第260話 大賢者の語り

「さて、キミたちにはいったいどこから話せばいいかな」

 湖畔こはんのほどよい岩に座ったリノンは思わせぶりにそう切り出す。

 彼の周りにはイリアたち、そして興味深そうにしている湖の乙女たちが座っている。


「まあ全てのことは全てと繋がっている。始まりの、その始まりから語ってしまおうか」

 リノンがそう口にした瞬間、彼の気配が切り替わる。


 普段の軽薄で胡散臭い態度とは別物、本当の、真の賢者としての風格を漂わせて彼は言葉を紡ぎ始めた。


「本当の意味での世界の始まりについては僕の知り及ぶところではないけれど、それでもさかのぼれる歴史というものは存在する。まずはオージュのことから話そうか」

 漂う清浄なる空気。そこにオージュが聖剣を打つ甲高い音が響いていく。


「彼はこのハルモニア世界を支える大樹、今は神晶樹と呼ばれるこの樹の側に生まれ落ちた。そこに何の理由があったのかは定かではないし、多分理由なんてなかったんだろう。きっと彼もそう自分を定義づけた。だから彼は自分がまず何をするかを探し、それはすぐに決まった」

 そう言ってリノンは両手の手のひらを見つめる仕草をする。


「彼には手があった。自由に動かせる手があった。だから何かを作ろうと思ったんだ。何かを作れればよかった。それは何でもよかったんだ。彼は落ちていた大樹の枝を一本取り、そして足元に転がっていた一つの石に向けてそれを振るい始めた。それが始まり、それがきっかけ、そしてそれが全てだった」

 その時の光景がまるで見えているかのようにリノンは頭上を見上げる。

 見上げた先には、神晶樹の美しい枝々が広がっていた。


「彼は愚直で、高潔で、そして忍耐強かった。石と枝、そんなものをぶつけあっていればいずれはどちらも砕け散る。だがそれでも彼の腕は止まらなかった。たとえ手にしていた枝が擦り切れようと、目前の石が認識できないほどに細かくなろうと、彼は決してその行為をやめなかった。それは何故か? 彼は狂気に侵されたわけでなく、無意味を重ねる愚か者ではなく、ただどんな理由であれ自分が始めたことを絶対に手放さなかっただけ」

 そう口にしてリノンは自分自身の手を見つめる。

 果たして己も同じように最後まで手放さないでいられるのだろうかと問いかけるように。


「普通の人間であれば愚かな徒労で終わるその行為も、死を知らない彼にとっては無意味となることはなかった。二千年以上に及ぶ研鑽の果て、ついに初めての聖剣が完成する。無意味より生まれし意味、存在するはずのない存在。矛盾を孕み、それ故にあらゆる魔を拒絶する無垢結晶で構成された剣」

 リノンはイリアが手にする聖剣アミスアテナに視線を向ける。


「そしてその奇跡に呼応するように一つの命が生まれた。それが始まりの湖の乙女、トキノだ。彼女の誕生にオージュは驚いたが、それ以上のことはなかった。何故なら彼はまた次の聖剣を打ち始めたからだ。彼にとって何かを完成させることが目的だったのではなく、それに挑み続けることこそが大事だったらしい。その辺りは限られた命を持つ僕らには理解できない感覚だね。ま、そういうわけで彼は鍛造を続け、トキノは自然と彼の身の回りの世話をするようになった」

 リノンの語るかつての物語を聞いて、当のトキノは嬉しそうに笑っていた。


「そこから少しだけ物事の進みが早くなる。一本の聖剣を完成させたことでコツでも掴んだのか、それから何本もの聖剣が生み出された。とは言っても数百年にひとつというようなペースだから気の長い話であることに変わりないけど。そしてトキノと同様に聖剣の完成の度に新しい湖の乙女たちも生まれていった。それと同時に大樹とこの土地にも変化が訪れる」

 神晶樹と周囲を満たす湖を見渡しリノンは言う。


「オージュが絶え間なく打ち続ける鍛造の余波、今も鳴り響くこの音の波動が大樹を徐々に結晶化させ、この土地すらも清浄なる水が蓄積する湖へと変化していった。その湖は徐々に今の大きさにまで広がり、そしてそれに呼応するように白鯨が誕生した。この場所は、この神晶樹の森はそうやって聖域となっていったんだ。彼一人が貫き続ける一つの意志のみの力でね」

 静かに、だが良く通る声でリノンは語り続ける。


「かつての究人エルドラの時代にもこの森は侵されることなく、究人エルドラを滅ぼした神獣たちでさえ決してここだけは破壊しななかった。そうして彼が誕生してから何千年と経過した頃、ここは白銀に輝く結晶体のような大樹とあらゆる魔を浄化する湖、それに数多の乙女たちがたたずむ妖精郷となったのさ。…………そして、そんな場所に一人の若者が訪れる」

 その語りとともに、リノンの瞳が深みを増していく。


「何を隠そうそれは僕のことだ。あの当時の僕は血気盛んでね、この世のあらゆる叡智を自分のモノにしたいと世界を駆け巡っていた。そして当然ながらこの神晶樹の森、その深奥にも辿り着く。だけど肝心の樹王、オージュ・リトグラフはあの調子だ。どんなに僕が語りかけても反応すらしてくれずに聖剣を打ち続けるばかり。そんな中で僕の話に興味を持ってくれたのは彼女たちだった」

 リノンは目の前の湖の乙女たちに視線を向ける。

 すると乙女たちはただそれだけでも嬉しそうに微笑み返していた。


「今はこんな風に感情豊かな彼女たちだけど、僕が初めてここを訪れた当時はそんなことはなかった。皆人形のように無口で無表情。誰が誰かの区別がつかないほどにみんな違いがなかった。だけど僕の話は静かに聞き続けくれる。だから僕は彼女たちに話をすることにした。この森の外の世界のことを、僕が見た世界の話を」

 静かに目を瞑り、リノンはそのかつての日々を思い返す。


「何カ月と話をしたかな。最初はただ耳を傾けるだけだった彼女たちが相槌あいづちを返してくれるようになった。しばらくここを離れ、また外で仕入れてきた話をする時には笑顔を見せるように。次に来た時には自分から僕に外のことを聞き始めた。そうして次第に、彼女たちに『個性』が生まれ始めた」

 リノンは再び目を見開く。

 ここからが真に語るべきことだとでも言うように。


「同じだと思っていた彼女らは同じじゃなかった。よく笑う者、明るい者、うれい気な者、寂しがり屋にお調子者、彼女たちは僕の話を栄養に感情を成長させていたんだ。そして彼女たちが個人として確立した頃、ハルモニア世界にある大事件が起こる。そう、魔族の流入だ」

 アゼルに向けられるリノンの目。


「西の果ての門が開かれて魔界と呼ばれる場所から多くの魔族と、大量の魔素が現れる。結果として当時栄えていた西側の人間たちは滅び、そして生き残った東側の国にも大混乱が生じ、人間たちの人口は六割ほど減少した」

 リノンのその語りに、複雑な表情をするアゼル。


「そんな悲惨な出来事も、僕はここで彼女たちに話した。世界には楽しいことばかりではないから。ありのままの外の世界を彼女らに知って欲しかったから。そして僕はさっき、彼女たちに個性が生まれたと話したね。一人、いたんだ。魔族によって引き起こされた大混乱に怒る者が。義憤を抱く者が」

 そう口にしてリノンはイリアの、彼女の手にする聖剣を見る。


「そしてその乙女は未成熟な正義感を胸にこの森を飛び出した。オージュの造り上げし聖剣アテナを手に、たった独り魔族の討伐に向かった彼女の名はアミス。その彼女の引き起こした顛末てんまつをこれから語ろうじゃないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る