第258話 オージュ・リトグラフ

 キィンッ


 キィンッ


 キィンッ


 まったく狂うことのないリズムで等間隔に響き続ける澄んだ音。


 巨大な銀晶の大樹、神晶樹の下で一人の男が手にした何かを振るって剣のようなモノを打ちつけていた。


 男の身体は大きく、比較するのならば鍛冶師クロムよりも一回り以上は大きい。しかしその体格はどこかずんぐりむっくりとしていてまるで童話に語られるドワーフのような体つきである。


 その男が手にして振るい続けているのはつちのようにも見えるがその正体がはっきりとしない。何故ならその物体は不定形に形を変えているようにも見え、その実、何も手にしていないようにも受け取れるからだ。


 そしてその鎚のような何かを打ちつける先には剣の地金のようなモノがあるようにも見えるが、それすら形が判然とせずにまるで虚空に向けて腕を振るっているかのようである。


 キィンッ


 キィンッ


 キィンッ


 ただ、確かに音は響き続ける。

 大男が手に握った何かを虚空に向けて振りおろした時、確かに光の中で銀晶の聖剣のようなモノが浮かび上がり、それと同時に澄んだ音色が神晶樹の森中に響き渡る。


 周囲の一切に目もくれずに腕を振り続けるその男の姿は、どこかとても幻想的であった。


「なん、なんだ。あの男は?」

 アゼルは目の前の光景におののいていた。

 何故なら大男が鎚を振るって音が響くそのたびに、アゼルの存在が削られていくような実感が彼を襲っていたからだ。


「彼こそが、僕がここに来て一番紹介したかった存在だよ。彼は湖の乙女たちの生みの親、そして世界樹を神晶樹に変質させ、この湖を作り出し、森を聖域と呼ばれるまでにしてしまった男。このハルモニア世界に、おそらくは初めて産み落とされた命さ」

 リノンはしみじみと大男に視線を向けて語る。


「最初の命って、あの人いったい何年生きてんのさ?」

 リノンの言葉にエミルは半信半疑で聞き返す。


「おそらくは4千年以上だろうね。なんたって僕の『深淵解読システムブック』にも記載がないんだ。だから4千年って言うのも、状況証拠とその他の知識を総動員した僕の憶測だよ」


「ふむ、してあの御仁は何をしているでござるか? 不思議だが、どこか親父殿のような雰囲気すら感じる」

 シロナは大男の錬鉄れんてつの様子にクロムの姿を重ねながら疑問を口にする。


「そうだね鍛冶師クロム殿に似ているとは言い得て妙だ。だってやっていることはほとんど変わらないのだからね。ただそのスケールだけが大きく違っている。彼はこの世界に生まれ落ちてからずっと、ただ一つのことだけを繰り返している。そう、彼はずっとを作っているのさ」


「聖剣を、だと? だとしたらアミスアテナもあいつが? それにさっきの湖の乙女たちの父親ってのもどういうことだ。まさかこいつ一人であいつらを産んだって話じゃないだろ?」


「まったく、質問が多いねキミは。いいよ、一つ一つ答えてあげるから。彼の名前はオージュ・リトグラフ。人間でも魔族でもない生命、一般的な人間の視点で言えば神と言ってもいいのかもしれないね。だけどまあ彼は命の尺度に終わりがないだけで正直世間に関してまったく興味を持っていないから、人が望む神とは違うだろう。まあそれはともかく、彼はハルモニア世界の礎たる。大事なのはそこだよ」


「ん、どういうことだ?」


「言っただろ、この世界において命の誕生の仕方は2種類あると。僕らのように親から子へ生命を継承していくタイプと、オージュ・リトグラフや白鯨、湖の乙女たちのように特別な存在に呼応して生まれるタイプとね。僕はそうやって誕生する彼らを純粋同位体ピュアアイソトープと呼んでいる」


「純粋同位体? そんなこと、あり得るのか?」

 リノンの説明に、それこそ半信半疑なアゼル。


「普通はあり得ない。でもこの場所はどう見たって普通じゃないだろ? 僕の見立てでは純粋同位体が誕生するトリガーは混じり気のないだ。世界の礎たる大樹、存在根源であるジンをまったく有しない矛盾した物体である無垢結晶、何千年単位でその清浄さを保ち続けたこの湖。それらに呼応するように特別な生命が誕生する」


「なるほどね、それぞれに存在が対をなしているわけだ。神晶樹に対するオージュ、湖に対する白鯨、そして聖剣に対する湖の乙女たち」

 リノンから提示された情報に対して、世界に対する感受性の強いエミルは天啓を得たように思考を巡らせてその言葉が意図せずに口から漏れ出る。


「ん、ってことはもしかしてアミスアテナって」

 そして何かに気付いたかのようにエミルはイリアの腰に差してある聖剣に目を向けた。


「ま、当然そこに考えが行きつくよね。おおむねエミルくんの想像通りで間違いないよ。それじゃあそろそろ彼にも声をかけてみるとしよう」

 リノンはエミルが何かに気付いたのを察しながらも、それを制してスタスタとオージュ・リトグラフのもとへと歩いていき、


「久しぶりだね、神晶樹の森の樹王、我が友オージュ。どうか喜んで欲しい、今日はを無事ここへ連れ帰ってきたよ」

 まるで長年の友人に再会したかのように、そんな言葉を口にした。

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