第257話 湖の乙女たち

 風を切るように快速で進む白鯨の背に乗せられて数十分、イリアたちはいよいよ神晶樹を目前にしていた。


「いざ目の前にすると随分とでかいんだな。なあ、あの樹はいったい何でできてるんだ?」

 眼前に迫る神晶樹を見上げながらアゼルはリノンへと質問する。


「う~ん、一言ひとことじゃ答えられない質問をしてくれるね魔王アゼル。実はこの大樹の本来の名前は、神晶樹じゃないんだよ」

 こめかみを掻きながら答えづらそうにリノンは言う。


「え、そうなのリノン?」

 そのリノンの返答にイリアも驚いていた。


「神晶樹っていうのはこの大樹の姿を目にしたかつての人間たちが名付けたものだ。いや、大抵の事象や物体に名前をつけるのは人間なんだからそれは不思議なことじゃないんだけど、その理屈で言うならこの樹には別の名前が付くべきはずだったんだよ」


「別の名前?」


「そう、例えば世界樹とかね。もしこの樹がありのままに成長していれば生命力溢れる大樹としてそう呼ばれただろう。だけどこの樹はある時点から結晶化を始めて成長を止めた。その結果として美しい銀晶の大樹となり、人々に『神晶樹』と呼ばれるようになったのさ」

 リノンは神晶樹を見上げてその歴史を語る。

 だがアゼルにはそれ以上に聞き逃せない言葉が混じっていた。


を、始めた? おい、それってイリアの結晶化と何か関係があるのか!?」


「無関係、とまでは言わないよ。原理は一緒と言っていいかもしれない。まあ何はともあれ先に色々紹介しないと説明しても理解が進まないかな」

 そう言ってリノンが視線を下ろすと、白鯨はうっすらとした霧を抜けて神晶樹が根を張る浮島のような内陸へと辿り着いていた。


 そしてそこには数十人の乙女たちが待ち構えていたのだ。


「!?」

 突然の光景にリノンとアミスアテナを除く全員が驚く。

 それもそのはずで、その乙女たちは皆イリアと同じ白銀の髪と瞳をしており、容姿こそ年齢にばらつきがあるが薄い衣をまとって清浄な気配を漂わせていた。


 その中の1人、年長なのであろう美しい女性が前に出て口を開く。


「お待ちしておりましたリノン様。そしてアミス、

 女性はそう言ってリノンに対して深く頭を下げた。


「久しぶりだね、トキノ。少しだけ騒がしくさせてもらうよ」

 リノンはとくに気構えた様子もなく、自然な足取りで白鯨から陸地へと舞い降りた。


「おい、自分だけわかったようなツラするなよ大賢者。こいつらは一体何者だよ?」

 あまりに自然過ぎるリノンの態度に苛立ちを覚えるアゼル。


「私、会ったことあるよこの人に。正式に勇者と成る時の儀式に立ち会ってくれた人だ」

 イリアはトキノと呼ばれた女性を指してそう言った。


「そうだね、少しだけ説明すると彼女たちは俗に『湖の乙女』と呼ばれる存在だ。世に出回る聖剣が彼女たちによって譲り渡されるという伝説の通り、聖剣に深く関わる乙女たちさ」


「それで、リノン様。こちらの方々の紹介をしてもらってもよろしいですか? 私、気になりますので」

 湖の乙女の一人、トキノの興味津々な瞳はいまだ白鯨の背に乗るイリアやアゼルたちに向けられていた。


「ああ、さっそくキミの興味を引いてしまったか。それじゃきちんと紹介するから、少し落ち着く場所へ行こう」

 そう言ってリノンは迷わずに湖のほとりの先にある、腰を据えるのにちょうど良さそうな岩に座って片足を立てる。

 すると湖の乙女たちは皆一様にはしゃぎながらリノンが座る岩の回りに次々と座り込んでいった。


 その光景にイリアたちは困惑しながらも白鯨から降りたって乙女たちにならって地べたへと座った。


「では一人ずつ紹介していこうか。まずはそうだね、そこにいる金のふち取りの黒いローブを羽織る少女。彼女の名はエミル・ハルカゼ、かの始まりの魔法使いエミル・ホシカゼの才能を引き継いだと言われる最強の魔法使い。こと武勇において彼女の右に出るものはなく、彼女一人でひとつの軍隊に匹敵するほどの力の持ち主さ」

 リノンはエミルに手を向けて湖の乙女たちに紹介する。

 すると彼女たちは沸き立つようにエミルに向けて拍手を送る。


「え、あ、ありがと」

 まるで無邪気な子供のような反応を見せる湖の乙女たちにエミルもやや戸惑いながら手を軽く挙げて応えた。


「そしてその隣にいる白髪淡眼の美少年のようなオートマタ、鍛冶師の研鑽の結晶である聖刀を操る二刀使い。人形でありながらも魂を持った、たったひとつの奇蹟。キミたちの親戚と言ってもいい無垢なる少年。その刀はあらゆるジンを切り裂き魔法すらも掻き消してしまう。星を斬るというその気概をもって誰のことも傷つけたくはない、そんな優しい心の持ち主さ」


 リノンの紹介とともに再びの拍手が今度はシロナを包む。


「…………かたじけないでござる」

 

「続いては白銀の髪と瞳を持つ貧にゅ、もといスレンダーな美少女。聖剣を手に数多の魔を滅ぼし人間たちを救った勇者イリア・キャンバス。無垢結晶として生を受け、成長し続ける彼女はキミたちの姉妹と言っても差し支えないだろう。その活躍の日々はさすがに一言じゃ語りきれないので後日改めて時間を設けようか。それに彼女が手にする聖剣アミスアテナこそ…………やっぱりこの話は後に回そう」

 リノンは何故かアミスアテナの話題に触れたところで突然口をつぐんでしまう。

 すると湖の乙女たちからのブーイングがリノンを包む。


「まあまあ、いいじゃないか。それにこちらの話が一番キミたちの興味を引くんじゃないかい? 僕ほどではないけれどイケメンの黒髪長身の彼。本来魔素が存在することのないこの神晶樹の森の中でただ一人異彩を放つ男。彼こそが魔族を統べる王、魔王アゼル・ヴァーミリオンさ」

 リノンの言葉に乙女たちの興奮は最高潮を迎えていた。


「魔王という肩書きに恐れるなかれ、彼は意外なほどに優しく、そして真面目だ。そう、どのくらい真面目かというと、思いつめるあまり妻と娘を置いて国を飛び出し、自分の城をよその国に勝手に建てて10年間引き籠り、あげくの果てに魔族の天敵である勇者と恋仲になってしまうくらい真面目なんだよ」

 リノンの付け加えた注釈、もとい暴露で湖の乙女たちはキャーと盛り上がる。


「いやテメエふざけんな! なに勝手なこと言ってやがんだ!」


「おや魔王アゼル、何か間違ってる説明が一個でもあったかい?」

 アゼルの罵倒にもまったく動じることのないリノン。


「いや、だから、その、間違いは…………ねえよ」


「素直でよろしい。いやいや罪の自覚があるのは大事なことだよ。自覚がないより自覚があった方がなんとなく許された気になるからね」


「誰もそんな話はしてねえよ。というかさっきからなんだコレは? 俺たちはイリアの治療に来たんだろうが。この紹介とやらに何か関係があるのかよ?」


「ん? とくに関係はないよ。ま、ちょっとした通過儀礼だとでも思ってくれ、何せ彼女たちは物語に飢えている。外からのちょっとした刺激、新しい情報だけでもこの湖の乙女たちにとってはかけがえのない娯楽なんだよ」

 リノンは湖の乙女たちを慈愛の目で見渡しながらそんなことを言う。


「でもまあこれ以上話を長引かせて魔王アゼルが暴れだしてもことだ。そろそろ話の、そして物語の核心に触れてしまおうか。トキノ、僕らをのもとに案内してくれないか」

 やれやれといった様子でリノンは立ち上がり、湖の乙女たちの中からトキノを指名する。


「はい、わかりましたリノン様。では皆さま、私についてきて下さい」

 乙女たちとともに座って話を聞いていたトキノはすっと立って神晶樹の方へと歩きだした。


「ったく、今度はどこに連れてかれんだよ。それにこの女どもはいったい何だ? どこか雰囲気が、イリアに似ているが」


「今から向かうのは彼女ら、湖の乙女たちの父親のもとさ。そこに一つの真相がある。それに魔王アゼルは少し勘違いをしている。彼女らがイリアに似ているんじゃない、むしろイリアが湖の乙女たちに似せてデザインされたのさ」


 湖の乙女トキノにイリアたち一行が案内される中で、リノンはそんな謎の発言を残す。

 

 だがその異質な言葉にアゼルが反応するよりも先に、彼らの前に異様な光景が広がっていた。


 神晶樹の大樹の周り、数多の剣が地面に突き立っている。

 その全ては、聖剣アミスアテナと同じ銀晶の剣だった。


「これは、全部、聖剣?」

 目の前の、ある種幻想的な光景にイリアが言葉をもらす。


「その通り、流石は聖剣の使い手だ。そしてここは聖剣が生み出される場所。何もない『無』より、ヒトの手では到底叶うことのない『無垢結晶』が鍛造される場所さ」

 リノンの言葉の先、数多の聖剣の奥から甲高い澄んだ音が響いてくる。


 イリアたちがこの神晶樹の森に入ってからずっと耳にしていた音。


 まるで時計のように正確な間隔をおいて響き渡るその音の根源には、何かを何かに打ち続ける、一人の大男が座っていた。

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