第256話 神獣 白鯨

 降り注ぐ浄水のシャワーとともに現れ、湖面から身体を半分乗り出す白い鯨。


「あ~あ、びしょびしょだよ。それに浄水なんてものを浴びせられて、魔王アゼルも苦しそうじゃないか」

 リノンはその鯨と向き合いながら、後方でのたうち回るアゼルを指差す。


「~~~~っ」

 アゼルは突然に襲ってきた浄水を全身に浴び、あまりの痛みで地面を転げまわっていた。


「ちょっとアゼル大丈夫!?」

 そんなアゼルへイリアは心配そうに駆け寄る。


「仕方ないよイリア。浄水をかけられるなんて、普通の人間からしたら強酸性薬物を頭からかぶるくらいの苦痛があるからね。ま、彼のすごいところはそんなダメージも数秒もしないうちに回復するところだけど。だがいずれにせよ僕らも濡れたままなのはいただけないな。乾かすとしようか」

 そう言ってリノンの指の一つが光ると次の瞬間には何事もなかったかのように全員の濡れた衣服が元通り乾いていた。


「あ~あ、せっかくみんなと水遊びしたかったのにリノンのせいで台無しじゃんか~」

 その様子を見て、巨大な白い鯨はまるで子供のような声でリノンに文句を言う。


「別に僕は遊ぶなとは言わないよ、ただそれは僕のいないところでやって欲しいというだけさ。それにそこの彼はここの水を被るととても痛いらしいからとくにやめてあげるといい。いじめっ子は女の子に嫌われるよ」

 リノンは教え諭すように白い鯨に話しかける。


「え~、嫌われるのはやだな~ じゃあやめる~」

 すると驚くほど素直に鯨はリノンの意見を受け入れるのだった。


「……おい大賢者、いい加減に説明しろよ。コイツはいったい何なんだよ?」

 そして浄水を浴びたダメージから回復したアゼルは、恨みがましい目をしてリノンに説明を求める。


「あれ、ヴァージンレイクで話したはずだろ? 神晶樹の森の湖には神獣が住んでいるって」

 だがリノンはアゼルの剣幕に臆することなく、さも当然のことのように彼の問いに答えた。


「は、神獣? コイツがか?」

 アゼルは見ようによっては愛らしい瞳をクリクリとさせている巨大な鯨、白鯨を指差して複雑な顔をする。


「そうだよ、僕としても困ったことにこの白鯨は神獣にカテゴライズされる生き物でね。つまりは僕らがどんなに頑張ったところでコイツを打ち倒すことなんてできないのさ」 


「む~、リノンもしかしてボクとケンカするつもり~? 絶対に負けないよ~」

 リノンの言葉を聞いて白鯨は大きな身体を身震いさせ、それに伴い湖に波ができていく。


「いやなに、ただの言葉のあやさ。それに今日は白鯨が喜ぶと思って可愛い女の子も連れて来てるんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだね」

 そう言ってリノンは大げさな仕草でイリアやエミルへと白鯨の意識を誘導する。


「わ~本当だ~ 女の子だ~ 銀色の髪の子にちょっと小さい女の子、その隣の白い髪の短い子は……女の子?」

 白鯨はイリア、エミルに続いてシロナへと視線を向けて少し考え込む。


「あいにくと拙者は男でござるよ」


「そうなのか~ 残念~」

 シロナの返答を聞いて白鯨は本当に残念そうにしょぼんとした表情となった。


「おいおい何なんだこの色ガキみたいなヤツは」

 その様子を見てやや不機嫌になるアゼル。


「神獣は清らかな乙女を襲わないって湖水教の連中が言ってたろ? この白鯨は根っからの女の子好きでね。だがまあ幸いなことに、中身はまだまだ子供だから別になにか悪さをするってわけじゃない。キミや僕よりも全然長生きしてるんだけどね」


「う~、またリノンがボクをこども扱いする~ いいよいいよ、ボクっておとなだから許してあげちゃうもんね~ それで~、今日は何をしにきたの~?」

 白鯨は間延びした声でリノンに来訪の目的を訪ねる。


「この銀の髪の女の子、勇者イリアの治療に来たのさ。白鯨、悪いがキミの背に乗せて神晶樹のもとへと運んでくれないか?」


「ふ~ん、それだけ~? いいよ~、お安いごよ~」

 リノンの言葉をあっさりと受諾した白鯨はゆっくりと旋回してイリアたちに背を向け、その尾の先を陸地へとちょこんと乗せる。


「…………これを登っていけってことか? 本当に大丈夫なんだろうな?」

 アゼルは疑いの視線をリノンに向けた。


「大丈夫大丈夫、むしろこれ以外の手段はないくらいさ。なにせこの白鯨はこの湖を誰かに侵されることを極端に嫌う。船を用意したり泳いでいくなんて論外だし、僕ら全員で空を飛ぶなんてできないだろ?」


「ま、まあそうだけどよ」


「湖水教がここから浄水を入手できるのだって、僕が白鯨と『浄水を少しだけ汲み取る代わりに、若い女の子を派遣する』っていう契約を結んだからさ。もしそうでない連中がここの水を略取しようとした場合、こいつは容赦なく呑み込んでしまうよ。ま、この湖はこいつ自身を生み出した母親みたいなものだから、その気持ちがわからないでもないけどね」


「ふ~ん、意外とちゃんとした理由があって浄水処女なんて役目ができんだ。まあアタシもここじゃ風の魔法に乗るなんてできないし、とりあえず用意された手段を使うしかないんじゃない?」

 そういってエミルは迷うことなく白鯨の背中に飛び乗った。


「うむ、そういうことでござるな。拙者もこの先から邪な気配はとくに感じない」

 そして彼女に続いてシロナも。


「大丈夫だよアゼル。アゼルが湖に落ちないように手を握っててあげるから」

 イリアは白鯨の尾に片足を乗せ、アゼルに向けて手を差し出した。


「いや、俺は別にそんなことを気にしてるわけじゃ…………まあいいか」

 アゼルは少し考える素振りをするも、素直にイリアの手を握り返して白鯨の尾を彼女と一緒に登っていった。


「はは、イリアが絡むと本当にチョロイね魔王アゼル。─────そして約200年ぶりの里帰り、いったいどんな心境なのかな、

 そんな仲間たちの背を見てリノンは小さく呟き、悠々な足取りで最後の乗員として白鯨の背中へと辿り着く。


「みんな~ 乗ったね~? 行くよ~」

 そしてイリアたちが背中に全員乗ったのを確認すると白鯨は神晶樹の湖の中央に向けて泳ぎだしたのだった。

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