第八譚:無私錬鉄の創世譚 後編―聖剣の始まり―

第255話 神晶樹の森

 キャンバス村を後にしたイリアたちはその後、寄り道することなく真っ直ぐに神晶樹の森の入口に向けて馬車を進めていた。


「ああ、見えてきたね。あれが入口だよ」

 御者をしているリノンが馬車の中の仲間たちに報告を入れる。


「へ~、地理的には魔素が届いていてもおかしくないのに、全然その気配がないや。さすが聖域ってだけのことはあるね」

 馬車から顔を出したエミルは、清々しい表情で風を浴びてフードと髪をはためかせていた。


「親父殿の話だとあそこでは一切の魔素が浄化されてしまうでござる。当然ながら魔力も同様ゆえ、エミルたち魔法使いにとって鬼門ではないのか?」

 エミルと同じようにシロナも御者台の方に顔を出してそんなことを言う。


「まあ魔法しか使えない里の連中にとっては間違いなく近づきたくない場所だろうね。アタシはまだ格闘戦のスキルがあるからそこまで深刻じゃないけど」


「とはいえエミルくんの戦闘力が半分になるのも確か、キミに恨みがあるやつが襲うとしたら狙い目だろうね」

 アハハと笑いながら、リノンが不謹慎なことを言い出す。


「へ~、そんな度胸のあるヤツがいるならアタシは大歓迎だけど、ね」

 そしてエミルはそんなリノンに対してスキンシップとばかりに首を絞めにかかっていた。


「う、苦しい苦しい。でもまあ失敗したらキミを完全に敵に回すことになるし、平時のエミルくんを襲うにしろ、魔法の使えないキミを襲うにしろどっちも命懸けだろうけどさ。それに魔族にいたっては魔法使い以上に条件が厳しいから彼らが襲ってくることも考えづらい」


「あ、やっぱり魔族的にも神晶樹の森はキツイんだ?」


「そりゃあね、弱い魔族はそもそも入った時点で命を落としかねない。それなりのヤツらでも活動するだけで手一杯で戦闘なんかムリ。貴族級なら戦えるだろうけど戦闘力が7割から8割は落ちるだろうね。ほぼほぼ制限を受けないのは無尽蔵に魔素を生成できる魔王クラスぐらいだよ」


「ふむ、それならアゼルは影響を受けないようでなによりでござる」


「まあそれも自身を中心にした一定範囲の話で、放出系の技はすぐに霧散してしまう。つまり周囲に大きな影響は与えられないのさ」


「それじゃアゼルもアタシくらい制限受けるって考えてた方がいいかもね」


「そういうこと。聞いてたかい魔王アゼル、キミも封印がかかった状態だとまともに動けなくなるから今のうちに解除しておいてくれ」

 リノンは荷台に振り向きながら中にいるアゼルに向けて言った。


「……聞こえている。だが封印を解けばイリアの症状が進みやすくなるんだろ。俺は別にこのままでいい」

 返ってきたアゼルの声はやや重い。彼の頭の中は、進行していくイリアの肉体の結晶化のことでいっぱいだった。


「ダメだよアゼル。いざという時に動けないと困るのはアゼルなんだから。私は全然大丈夫だって」

 アゼルの隣に座っているイリアは普段と変わらない明るい声で彼にそう言った。


「けどな、イリア……」

 キャンバス村にてイリアの悲痛な様子を見ていたアゼルはそんな彼女のことを気がかりに思っていた。


「安心したまえ魔王アゼル。そのイリアを治療する場所が神晶樹の森なんだ。誓ってもいいけどイリアはちゃんとそこで良くなるよ」


「…………わかったよ」

 リノンの言葉を受けてなお悩むアゼルだったが、未来を見通す大賢者が『誓う』と口にしたこともあり渋々イリアの唇に口付けをした。


 それをイリアは何も言わずに黙って受け入れる。


 すると目映い光が二人を包みこんで彼ら本来の姿に戻るのだった。


「なんかもう見慣れちゃったけどさ、これって世間から見たらかなり背徳的なシーンだよね」

 二人の様子を横目で見ながらエミルがそう呟く。

 もちろん彼女が言う背徳的が勇者と魔王の接吻せっぷんを指しているのか、妻子持ちの男性とうら若き少女のキスを指しているのかは定かではない。


「それは言わない約束でござるよエミル」

 対してシロナは悟ったかのように目を細めて遠くを見ていた。


「ま、何はともあれそんなことしてる内に到着したよ」

 リノンはそう言い馬車をしばらく走らせて停車させる。

 彼が馬車を止めた先には大きなテント、天幕が設置されていた。


 それは100人単位での生活ができるのではないかというくらいに大きく、掲げてあるシンボルから湖水教のモノであることも間違いなかった。


「何用でしょうか旅のお方。ここから先は湖水教の聖域、神晶樹の森となっております。許可なき方をお通しするわけにはいかないのですが」

 馬車の到来に気が付いていたのか、天幕の中から法衣服を着た男性が出てきてリノンに対して丁寧な応対をする。


「ああ、もちろん許可は大司教殿から頂いているよ。勇者イリアの一行と言えば分かるかな?」

 リノンはとくに慌てることなく飄々ひょうひょうとした態度で法衣の男性に話していく。


「そうですか、あなた様方が。もちろんお話は伺っております。とくに大賢者を名乗る方のお言葉には従うようにとも。失礼ですが貴方様のお名前は?」


「大賢者リノン・W・Wだよ。そうか、そこまで伝わっているのなら話が早い。僕らはこれから勇者イリアの治療で湖まで向かう。それで悪いのだけど今日一日でいいから浄水をくみ取る作業はお休みしてくれないかな?」


「それは、ですが。……いえ、大司教様のお言葉は教主様の言葉も同じ。その大司教様がアナタの言葉に従えと言うのです、お言葉通り今日は乙女たちを休ませるとしましょう。既に向かった者たちもおりますので帰ってくる彼女たちと途中すれ違うかもしれませんが、そればかりはご容赦を」

 法衣の男性はリノンの言葉に少しだけ戸惑うものの、意外なほどにあっさりとその要求を受け入れるのだった。


「うわぁ、ここまで大司教、教主の意向が強いのも驚きだけど、その湖水教の真実を知った後だととんだ茶番だよねぇ」

 目の前のやりとりを見ながらエミルは小声で呟き、薄っぺらい笑顔で交渉をしているリノンの背中をゲシゲシと足蹴にしていた。


「茶番であれ無用ないざこざがないのは喜ばしきことでござるよ」


「そういうことさ、エミルくんの主義に合わないだろうけどちょっとだけ目をつむってくれよ」

 そう言ってリノンは少しだけ申し訳なさそうにエミルへと振り向く。


「別に~、ただ最近暴れ足りないなぁって思っただけだから」


「いやいや、ヴァージンレイクで兵士たちを散々殴り飛ばしたことをもう忘れてるでござるよ」


「え~、あれはムカつく奴を殴っただけだからノーカンだし」


「まったく、エミルくんを見ているとこんな社会不適合者がいるのなら僕も大丈夫だって安心できるから嬉しいよ」


「それは、どっちもどっちだと思うでござるが」


「あ、あのう」

 盛り上がる3人に対して申し訳なさそうに法衣服の男が声をかける。


「ああ、すまなかったね。それでは私たち5人が森に入らせてもらうよ」


「はい、ですが森の中には馬車を入れられませんので、こちらでお預かりすることになりますがよろしいですか?」


「もちろんだとも、では貴方にこの馬たちをお任せしようか」

 そう言ってリノンは身軽に御者台から飛び降り、それにならってエミルやシロナも続く。


「イリア、アゼルも用意はいいかな?」


「ああ、別に問題ねえよ」

 リノンが声をかけるとアゼルはやや不服そうな顔で出てきて、続いてイリアはいつも通りの様子で馬車から降りてきた。


「うわぁ、神晶樹の森に来たの久しぶりだなぁ。この森は、全然変わってないや」

 イリアは清々しい表情で目の前に広がる巨大な森を見ていた。

 右から左、見渡す限りの視界を埋め尽くす美しい木々たち。それらはあまりにも自然で、ただそこにあるだけであらゆる不浄を寄せつけぬ清らかさに満ちていた。

 そして森の奥からは正確な時を刻むかのように一定のリズムで金属同士がぶつかり合うような甲高い音がが響いてきていた。


「本当に、久しぶり、ね」

 イリアの言葉に、聖剣アミスアテナはやや緊張した声音で同意する。


「緊張するかいアミスアテナ? まあそれはそうだよね、キミはこの土地で生まれたのだし」


「ん? この土地で生まれた? ああ、そう言えば聖剣には湖の乙女から譲り渡されるなんて伝説があるんだったか? 今から行く場所がそうだっていうのかよ」


「まあキミの認識で概ね間違いないよ魔王アゼル。アミスアテナは正確にはその伝説で渡される聖剣とは違うのだけど。それは道すがら話していこうか」

 リノンはそう言って躊躇ためらうことなく神晶樹の森の入り口へ入っていく。

 そしてそれにイリアたちも続く。



「ぐ、確かにこの森の中だと結構しんどいな。一秒ごとにそれなりのダメージを喰らう感覚がある」

 森をしばらく歩くとアゼルがそのような感想をもらしていた。

 

「大丈夫アゼル? 今のアゼルでそれだけきついなら、やっぱり封印を解いてて正解だったね」

 イリアはアゼルの隣で彼を気遣いながら歩いている。


「ちっ、悔しいがその通りだよ。この森は本当にどうなってんだ? 正直下手な聖剣よりもキツいものがあるぞ」


「まあ感覚的にはイリアの作る結界『ホワイトベール』の中にいるような感じだよね。私の魔力も全部空っぽにされちゃったし」

 エミルは手の平をグーパーしながらそんなことを言う。


「ふむ、その理論でいくと拙者も動きが鈍るはずなのだが…………、何故か不思議と安心するような気配に包まれているでござる」

 森の中に入ることでマイナス効果を受けるアゼルとエミルに対して、シロナは反対に調子が良さそうな表情をしていた。


「ああ、そうか。シロナにはもしかしたらここの空気は相性が良いのかもしれないね。ここはある意味でシロナのような存在にとっての聖地でもあるから」

 リノンは先頭をゆったりと歩きながら意味深なことを口にした。


「シロナのような存在? それってどういう意味だ?」

 アゼルはまるで山道を登るかのような若干しんどい表情をしながらもリノンに聞き返す。


「命なきものに命が宿る。無から有が生まれる。シロナは鍛冶師クロムの長きに渡る苦悩の果てに完成した自らの意志を持つオートマタだけど、それに前例がないわけじゃないって話さ」


「え、それじゃあシロナみたいな人が他にもいるの?」


「う~ん、それはちょっと違うかなイリア。オートマタとしてシロナと同じような存在は僕は知らない。僕が言っているのは命の生まれ方の話だよ。尊き思い、いやこの場合はひたすらに純粋な感情、行動、存在には奇蹟が伴うと言った方がいいかな。─────この世界において、命の生まれ方はたった一つじゃないのさ」


「………………」

 そんな会話の中、ただ1人もしくはただ1本、アミスアテナだけが誰にもわからない沈黙をしていた。


 ただ、リノンだけはその気配を感じ取ったかのように、


「ま、その辺のメカニズムは実際に見た方が納得がいくかもしれないね」

 そう言ってこの話題を終わらせてテクテクと歩を進めていった。


 そうして約一時間ほど彼らは神晶樹の森の中心へと歩いていき、途中で浄水を汲んだ水瓶を運ぶ浄水処女たちとすれ違いながらもついに湖へとたどり着いた。


「って、おいマジかよ。これが本当に湖なのか!?」

 初めて目にする神晶樹の湖に驚愕するアゼル。


「驚いたかい、まあそれもムリないか。なんていったってこの湖は直径約60キロメートルもあるからね。パッと見これを海だって言ったら何も知らない人は信じてしまうだろうさ」 


「確かにねえ、でもこの水が全部浄水なわけでしょ? 世の冒険者たちが見たら大喜びするんじゃない?」

 エミルは反対側の陸地を見渡すように目を凝らすが、うっすらとかかる霧のせいでそれはかなわない。


 ただ、森の中を歩いているときから聞こえていた甲高い金属音がよりはっきりと伝わってくる。


「気になっていたがこの音はいったい何でござるリノン? 何やら懐かしい気分にすらなるが」


「ああ、それも実際の現場を見た方が早い。これから僕らはこの湖の中心、神晶樹にまでいくんだから」

 そう言ってリノンは湖の中心を指差す。

 そこには白銀の結晶体で構成された巨大な樹木が輝いていた。


「へえ、あれが『神晶樹』か。話だけには聞いていたが確かに神秘的なもんだな」

 アゼルは惹かれるように湖へと歩いていき、ふとそのまま湖面を覗き込む。


 湖の中は透明度が非常に高く、どこまでも見渡せるにも関わらず底が見えなかった。


 そして次の瞬間、その奥底から白いナニカがとんでもない勢いで浮上してきたのだ。


「!?」

 突然の事に身体が固まるアゼル。


 そんなアゼルに構うことなくその白いナニカは何もかもを丸飲みにできそうな巨大なあぎとを開いてそのまま湖面を突き抜けて身体の半分があらわになる。


 皆の目の前に現れた白く神々しい巨体。

 一見巨大な魚類のようで、しかし明らかにどこか一線を画するその姿。


 それは突き出した身体をそのまま湖へと倒れこませて大きな水しぶきを作りだした。


「ざっば~ん!!」

 ……どこか愛らしい声に乗せて。


 水しぶきはイリアたち全員に等しく降り注いで美しい虹が絵描かれる。


 突然現れたソレに対して誰もが言葉を失う中、唯一反応できた者は1人、大賢者リノンのみ。


「いやはやまったく、ずぶ濡れじゃないか。もう少しまともな挨拶の仕方は考えつかなかったのかい、


 そして彼は、昔からの知己に語りかけるようにその名を呼んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る