第254話 墓
フラフラと歩き続けるイリアを気遣うようにゆっくりと追うアゼルは、彼女がある地点で立ち止まったことでついに追いつく。
そこにあったものは、
「これは、墓……だよな」
無数に並ぶ小さな墓の列だった。
その数は30を優に超え、だが50には届かない程度の規模である。
「この墓は、イリアが?」
イリアの背中へ向けてアゼルは慎重に問いかける。
「────ううん、違う。私はこの村が燃やされた後、すぐにハルジアまで駆けつけて魔王軍、……四天王が率いる軍と戦ったから。私、それから今日までここには来なかったの」
イリアは感情の見えない声でそう答えた。
「っ、俺のことは気遣うなイリア。たとえその場に俺がいなかったとしても、お前が戦ったのは、人間たちを殺したのは魔王である俺の軍なんだから。…………だが、イリアがこの墓を建てたんじゃないとすると一体誰が? 結構ちゃんとした墓だぞ」
アゼルは並ぶ墓を見てそう言った。
墓そのものは決して大きくはなくむしろ小ぶりではあるが、丁寧という言葉が相応しいくらいには隅々までの作りがしっかりしてある。
そしてその墓碑銘も、ひとつひとつ綺麗な字で刻まれていた。
「…………もしかしたらハルジアがこのお墓を用意してくれたのかな。あの時私を呼び出したのも黒騎士アベリアだったし」
イリアは深く考えることができないような虚ろな瞳をしており、ただ言葉だけがその口からもれ出ていた。
「そう、か。(まあ、ありえる話だ。人間たちを救うために活躍して、村を失った勇者に対する気遣いなのかもしれない。だが気になるのは、墓碑銘が刻まれていることだ。他国の小さな村の住人の名前と亡骸を全て把握しているものか? それか、亡骸と無関係に名前を刻んだというなら可能だろうが。それにこの墓の周囲だけ草が綺麗に刈り取られてある。誰かが管理しているのか?)」
イリアの少し後ろでアゼルは頭に疑問をよぎらせていた。
だがその内容がイリアを不安にさせるものでもあり、決して口にはしなかった。
「バッカスおじさん。ニカニおばさん。ラルク兄さん。クレア、リン、オルフェ、サイール、ルカ、ロイ、ミリア、…………お父さん、お母さんっ」
イリアは墓碑に刻まれた名前を次々に読み上げながら、自分の両親の名が刻まれた墓の前で立ち止まり嗚咽の声をあげる。
そんなイリアをアゼルはただ静かに見つめていた。人間を救う勇者として育てられ、望まれた通りに彼らを救い、だがその実、本当に守りたかった人々をこそ失なってしまった憐れな少女を。
そのまま半刻ほどが過ぎた頃、アゼルは彼女に歩み寄って肩に触れる。
「イリア、冷えるぞ。そろそろ、行こう」
優しいかどうかは分からない、冷たいことかどうかも判断がつかない、ただアゼルはイリアの心の機微を精一杯に考えながらその行動をとった。
「うん、アゼル。ごめんね、時間、取らせちゃった」
目元を拭いながらイリアは顔をあげる。
その顔はまだアゼルには見えない。
「ねえアゼル。私、ずっと考えていたことがあるの」
「…………何だ?」
「私は勇者だと言われて、勇者になるようにと育てられて、そして聖剣を手に神晶樹の森の湖で勇者に成ったよ。でも、それと同時に勇者として守りたかったみんなを、全てここで失ってしまったの」
「……ああ」
「その時、どうするのが正しかったのかな? やっぱりアベリアの言葉に従ってみんなの亡骸を置き去りにハルジアへ行くのが正しかったのかな。それともこの村に残って、みんなを弔ってここで静かに全てが朽ちていくことを待つのが良かったのかな」
「……イリア、それは」
「あは、変だよね。私が本当に守りたかったみんなは苦しんで死んでこの下で眠っていて、私が守りたかったのかよく分からない人たちが楽しそうに笑っている。私が守りたかったのは、私が守ったのは、何だったんだろ?」
「イリア、それ以上あまり考えるな。ツラくなる」
アゼルは自身の経験からもイリアが思いつめること心配する。
「大丈夫だよアゼル、別にツラくなんてないから。本当は後悔なんてしていないし、こんなこと思ってなんかもいないよ。──ただ、アゼルの前だから、ここにはアゼルしかいないから。他に誰も
どんな感情を乗せているかわからない口ぶりでイリアは話し、そして再びアゼルの名前を呼んだ。
「…………何だ?」
「アベリアは村の人たちは魔族に滅ぼされたって言ってた」
「ああ、前にイリアはそう話していたな」
「もしそれが本当で、私の目の前にみんなの仇が現れたとして───」
「…………」
「私がその人を殺したら、アゼルは怒る?」
イリアはアゼルに振り向くことなく、そう聞いた。
二人の間を、風が吹き抜ける。
「───イリア、大丈夫だ、その時俺は……」
「なぁんてね、冗談だよアゼル」
アゼルが何かを口にしようとした瞬間、イリアはにこやかに振り向いた。
「ごめんねアゼル。答えづらい2択を迫るなんて、私って嫌な女だね」
そう言ってイリアはいつもと同じ軽い足取りでアゼルの横を通り抜ける。
「いや、別にそんなことは……っ」
イリアの変化にアゼルは面食らいながらも、彼女が普段と同じ瞳をしていることに安心し、戦慄した。
イリアの瞳は白銀の瞳。
彼女の美しい銀髪と同じ色をした、宝石よりも煌めきを放つイリアのシンボル。
その瞳の奥が燃えていた。
彼女がかつて流した血のように赤く、煮え滾るマグマのように鈍く。
人を救い、仲間を得て、恋人を愛そうと消えることはないと、復讐の火が永遠の憎しみを薪にして燃え続けていた。
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