第251話 それから

 

 エミルに豪快なアッパーカットを打ち込まれてさらにはステンドグラスに衝突し、また落下してきた元大司教マッグワック。

 奇蹟的に目立った外傷もなく、指先がピクピクとしているもののどうやら命に別条はない様子だった。


「さて、それじゃあ僕の仲間たちの縛りをほどいてもらってもいいかな?」

 リノンは近くの湖水教の兵士にそう告げると、兵士たちは慌ててアゼルやイリア、シロナを縛っていた縄をほどいた。


「ありがとう。あとそれじゃ、彼の処分は新たなる大司教であるライラに任せるけど、どうする?」

 リノンはライラを試すように瞳をキランと光らせて彼女に問う。


「わ、私は……この方を許したいと思います。も、もちろん立場をお守りするといわけではなく、この方が望むのなら、湖水教の一般的なお仕事にでもついてもらえればと」

 たどたどしくはあるものの、ライラは自分の考えをはっきりとリノン、湖水教の教主に告げた。


「ん、それでいいんじゃないかな」

 そしてそれをリノンはあっさり了承する。


「おいおい、それでいいのかよ。余所者の俺が言うのも変だが一つの組織を私物化しといて何の罰も与えなくていいのか?」


「うんうん、もちろんキミの考えも正しいよ。社会秩序を守る為に罪に対して規定された罰を与えるのも必要なことさ。だけど正しい裁きがいつだって善であるとは限らない。だからライラがそれでいいと言うのなら僕はその考えを尊重するよ。それともアゼル、キミは誰かを裁けるほど偉かったかな?」

 リノンは口の端を上げて、であるアゼルにその質問をした。


「………………いや、そんなことはねえな。俺は誰かを裁けるほど偉くねえよ」

 アゼルはこの問答で納得を得たのか、ライラたちに背を向けて礼拝堂の入口へと歩いていく。


「ちょっと待ってよアゼル。置いてかないでよ」

 それに引き続きイリア、そしてシロナ、エミルもそれぞれの歩みでこの場所を後にしようとする。


「みんな気が早いねえ。ま、ここでするべきこともなくなったのだし仕方ないか。それでは大司教ライラ殿、これからのキミの活躍を祈っているよ」

 リノンもライラにそう告げると、別れを惜しむこともなく颯爽と去っていく。


「待ってください教主様! まだもっといっぱい教えてもらいたいことがあります!」

 だが、ライラは彼の背中を必死に追いかけて声をかける。


「知りたいことなら渡した本を読むか、近くの大人たちに聞くといい。僕みたいなロクデナシが必要なことなんて、できるだけ少ない方がいいのさ」

 ライラの声に振り向くことなく、リノンは彼女に背中越しで手を振って、


「ああそれと、僕が礼拝堂を出たら僕が教主であることはみんな忘れてしまうけど、それはごめんね」

 残酷な別れを口にした。


「え、そんな、待ってください!」

 ライラがそう叫んだ瞬間、既にリノンは礼拝堂から一歩足を踏み出していた。


 彼はゆっくりと振り向き、

「ん、どうしたのかな? 大司教殿」

 いつもの他人面でライラと向き合った。


「え、いえ、あれ? ああ、そうです。皆さまをお見送りしないとと思ったのでした」

 彼女は一瞬混乱したような素振りを見せたもののすぐに落ち着きを取り戻し、リノンと彼を待っていたイリアたちに向けて頭を下げた。


「大司教自らお見送りとは畏れ多い。慣れない身で何かと不安はあるでしょうが、いち信徒としてあなたを応援していますよ。では我々は許可を頂いた神晶樹の森へと向かいます」

 リノンはライラに儀礼的に頭を下げ、それからもう彼女に振り返ることなくイリアたちを連れてこの場所を去っていった。

 


「あれで良かったのかよ? というかお前完全にあの子に面倒ごと押し付けただけだろ」

 湖水教本部から離れて大通りまで抜けたイリアたち、そこでアゼルはリノンに対して問い質す。


「うん、そうだよ」

 だがリノンはまったく悪びれもせずにそう答えた。


「いくら僕の渡した攻略本があったってそれなりの苦労を彼女はするだろうし、なんで自分がこんなことをしているんだろうって思う日も来るかもしれない。…………でも、人生ってそういうものだろ? 何も彼女が特別なわけじゃない。キミもそうじゃなかったのかい、魔王アゼル?」


「それは、だが、」


「リノンに突っ込むのはその辺にしときなよアゼル。リノンは基本罪悪感なんて持たないし、自覚的に詭弁を使うロクデナシなんだから」

 リノンからの問い返しに言葉を詰まらせるアゼルに、エミルがちょっとしたフォローを入れる。


「ま、アタシだってロクデナシだし。アゼルだって、そうでしょ? みんな誰かのしくじりをつつけるほどできた人間じゃないんだから、見過ごせるものは見過ごしていかないとね」


「エミルさん、大人です」

 そんなエミルに感動の視線を向けるイリア。


担い手イリアも騙されるでないでござる。今のは真っ当な大人が口にした場合は名言だが、エミルが口にすると意味が変わってしまう」

 そしてそんなイリアにシロナは突っ込みを入れる。


 そんなそんなを繰り返しながら彼らは馬車を取り戻してヴァージンレイクを出立しようとしていた。


「それじゃいよいよ神晶樹の森とやらに行ってイリアの治療をするんだな」

 馬車に乗り込むと意気揚々とアゼルは本来の目的を口にする。


「いや、その前にちょっと寄りたいところがあるんだよ」

 だが、御者台に移動したリノンはそのアゼルの気持ちに水を差す。


「は? いやいや十分に寄り道しただろうが。これ以上どこに寄るってんだよ」

 一刻も早くイリアの治療に向かいたいアゼルは、憤慨しながら御者台のリノンに詰め寄ろうとするが、


「イリアの故郷だよ」

 そのリノンのひと言に固まってしまう。


「このヴァージンレイクから神晶樹の森の入り口に向かう途中にイリアの故郷キャンバス村があるんだ。─────あったんだ」

 リノンは笑うこともなく静かにその言葉を告げる。


「……でもリノン、いいの。そもそも私の治療自体が寄り道なのに、また時間を取っちゃって」

 リノンの提案にイリアは申し訳なさそうにしていた。


「ここは甘えておきなさいよイリア。私たちがキャンバス村を離れたあの日から、一度も帰っていないんだから」

 そんなイリアに聖剣アミスアテナが彼女の心の背中を押す。


「アタシは別にいいよ~ シロナもそうでしょ?」


「同意でござる」

 馬車の片隅でさっそく簡易的な修行を始めていたエミルとシロナもその提案を受け入れていた。


「で、魔王アゼル、キミは何だって?」


「……行くに決まってんだろ、イリアのふるさとに」

 やや憮然としながらもアゼルは同意して座り込んだ。


「それじゃ決定だね」

 そう言ってリノンは馬車を進ませる。


 かつて勇者を産み育て、そして燃え盛る炎によって全てが失われた村。


 勇者イリア・キャンバスの故郷、キャンバス村へと。

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