第250話 後任
「え、きょ、教主様なんですよね? え~と何かの間違いではないでしょうか。私なんか、ただの子供で」
リノンからのまさかの指名に少女ライラは驚きを隠せない。
「ああ、もちろん間違いなんかではないとも。いいじゃないか少女で、それなら今回のような間違いは起こらないのだしね」
アイラの慌てぶりをまったく気にすることなくリノンはにこやかに笑っている。
「い、いえそれにしたって突然私が大司教などになれるわけがないじゃないですか。誰も認めてなんかくれないですよ」
「そんなことないよ。僕が認めてって言ったら認めてくれるさ。……だろ?」
そう言ってリノンは周囲の湖水教幹部に目配せする。
「は、はあ。教主様のおっしゃることであれば」
それに対して幹部たちは、やや戸惑いながらも首肯していた。
「本当の意味でトップがやりたい放題の宗教団体とかやべえな」
アゼルはリノンの所業に開いた口が塞がらないでいる。
「いやそれにしたってムリですよ。湖水教の大司教になるということはこのヴァージンレイクのトップに立つことと同じです。何の知識も経験もない私がその責任を負えるわけがありません」
少女ライラはこの場で一番もっともな意見を口にした。だが、
「うん、その言葉を待っていたよライラ。ちょっと待っててねぇ、多分ここに……」
リノンは勝手知ったる顔で礼拝堂の奥にある棚の一つを漁って、そこから一冊の本を取り出す。
「はいコレどうぞ」
「これは、何ですか?」
「何ってもちろん大司教のマニュアルだよ。これを熟読してくれたらライラも明日から立派な大司教さ。基本常識から組織の運営知識、簡単な人心掌握術からヴァージンレイクの維持管理まで、必要な知識は全部これに入っているよ。大丈夫、これを読んでこのマッグワックだって大司教をやってこれたんだ。キミならもっと上手くやれるさ」
「基本常識とかアイツが真っ先に覚えろよって思ったの俺だけか?」
「アゼルは甘い、リノンはその常識を知った上で無視してるから手に負えないのでござる」
「ちょっとちょっと、ここで茶々を入れないでくれよ。──それでどうだいライラ? もちろんキミの自由意志は尊重するけど、キミがこの話を受けてくれたら色んなことがもっと良くなると私が保証するよ。この湖水教も、ヴァージンレイクもね」
そう言って本当の意味での優しい笑みをアイラに向けてリノンは手を差し出した。
「…………はい、わかりました。私でみんなのお役に立てるのなら。でも教主様、私が道を踏み外した時は、今日のように正してくださいますか?」
その手をライラは少し不安そうに握り返す。
「…………そうだね。その時はそっと声をかけることにしようか。でもあまり期待しないでくれ、僕は既に人の道を大きく踏み外した身だ。それが誰かの道を正すなんて、本来あってはいけないことなんだからね。だからキミの好きにしてみるといい。もう僕なんてモノが戻ってくる余地がないくらいにキミらがここで活躍する日を僕は楽しみにしているから」
リノンは少し寂しそうに、そしてどこか楽しそうにライラが握り返した手にさらに手を重ねてそう言った。
「また、どこかに行ってしまうのですか?」
「そうだね、僕なんて
「そう、なんですね。わかりました。なら、またお会いした時に胸を張れるよう、私も頑張っていきます」
「ありがとう、無理をお願いしてすまない。それじゃあ大司教としての初仕事をお願いしたいんだけど、いいかな?」
「?? はい、いったい何をすればいいんですか?」
「僕らに神晶樹の森に入る許可を出して欲しい。助けてあげたい女の子がいるんだ」
リノンは少しだけ恥ずかし気に、その要求を口にした。
「……はい、わかりました。大司教として許可を出します。……これで、よかったですか?」
ライラは威厳を出すように少し胸を張り、そして恥ずかしそうにリノンの顔を見た。
「ああ、もちろんだ、ありがとう。幹部連中は優秀だから、これですぐに手配をしてくれるだろう。────それじゃあ残るは、」
そう言ってリノンは大司教、いやただのマッグワックへと視線を向ける。
とくに感情のない、思うところのないリノンの瞳がマッグワックをより恐怖へと駆り立てた。
「ひ、ひぃ、ひぃっ!!」
そして自己保身を最優先する彼の頭脳は目まぐるしく回転し、この場からの逃亡を彼に提示した。
その脂肪まみれの身体からは想像できないほどの機敏な動きでリノンやライラをかわして礼拝堂の入口へと駆け出すマッグワック。だが彼の逃げる先には当然のようにアゼルたちが待ち構えている。
「おやおや、元気なことで。ちなみに僕が既に拘束を受けていない以上、イリアたちの縛りももう解けているからね」
マッグワックとのすれ違いざまにリノンは、彼にはよく理解できない言葉を口にする。
混乱の中でマッグワックは彼の脳細胞を最大限に活性化させて生存の可能性が一番高い道を探しだす。
その結果マッグワックは、彼を殴り飛ばしたアゼルでもなく、勇者であるイリアでもなく、聖刀を腰に差すシロナでもなく、一番幼く武器も持っていない
「ひぃっ、どくのだよぅ! そこの子供ぅ!」
そんなマッグワックを冷めた目で見据えるエミル。
「アンタは十分いい夢を見たでしょ。いい加減目を覚ましなよ!」
マッグワックがエミルに突撃するその瞬間、彼女は瞬時に縄を引きちぎりクロスカウンターのように見事なアッパーカットを彼のあごに決め、マッグワックは空高く打ち上げられて彼を模したステンドグラスを粉々に打ち砕いた。
そのまま礼拝堂の床に叩きつけられるマッグワック。遅れて降り注ぐステンドグラスの破片は何故か奇跡的に彼を避けて散らばっていった。
「いや、これ流石に死んだんじゃねえの?」
あまりの光景に唖然とするアゼル。
「うーん、エミルくんのやったことだから多分大丈夫、息はあるよ。大賢者的に全治一週間と診断しよう」
適当なことを言いながらリノンはいまだパラパラと砕け落ちるステンドグラスをグラスを眺め、
「それに、おかげで趣味の悪いステンドグラスも壊れて何よりだよ。なあ、幹部諸君。これを直すなら次は清らかな少女を題材にするといい。どうせ同じ祈りなら、気分良く祈ってもらった方がいいだろ?」
湖水教教主として、本日一番まともな仕事をしたのだった。
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