第243話 大司教
「おやおやぁ、おかしいですねぇ。私には
突如現れた
中年男性はアゼルたちが先ほどまで話していた湖水教の兵士よりも階級が上であろう武装した騎士服の兵士を複数名護衛につけて背後に控えさせていた。
「だ、大司教様、こ、これはですね……」
そして覗き込まれた男は巨大なカエルに身体中を物色されているかのように動くことができずにただ震えていた。
「いけません、いけませんよぉ。私があなた方にお願いしているのは大事な大事なお仕事なのですから。浄水処女、このヴァージンレイクにおいて最も崇高なる職業に選ばれる栄誉を平等に与えるのですぅ。…………それとも、あなたのご家族をどなたか推薦されますかぁ? 確か、妹さんがいらしゃるのでしたかな?」
大司教と呼ばれた男はそう言って、ギョロリと瞳を動かした。
「いや、やめてくれ! や、やめてください。妹はまだ10歳になったばかりなんだ。あいつを化け物の前に送り出すなんて、お、俺には……」
「まったく、湖水教の蒼兵がそのような認識では困りますよぅ。アレはあくまでも神の使い、そしてその怒りに触れぬようにうら若き乙女たちに私たちはお願いをしているのですから。まあ、こちらとしてもろくに水を運べない子供を推薦されたところで困るのですから、さあさあ、あなたの職務を遂行してくださいよぉ。そちらの少女に声をかけていたところだったのですよねぇ?」
そういって大司教は、アゼルの背中に隠れている少女にいやらしい視線を送る。
「ひっ」
その視線に気づいた少女は、生理的な嫌悪からか思わず悲鳴をあげてしまっていた。
そして大司教に促されたリーダー格の男はゆらゆらと幽鬼のように振り向き、再びアゼルと対峙する。
「……すまんが、そういうこった。俺も、引き下がるわけにはいかなくなった。だから大人しく、その少女をこちらに渡してくれねえか?」
男は腰の剣に手をかけ、覚悟を決めた顔でアゼルを見る。
「ったく、全部お前らの話は聞こえてたよ。……なんかお前を殴りにくくなったじゃねえか。いいよすっこんでろ、後ろのカエルは俺が話をつけるからよ。その剣は収めとけ、どうせ俺には傷ひとつつけられねえ」
そう言ってアゼルは男の肩をポンと叩いて大司教の前へと進み出た。
「カエルぅ? カエルとは一体誰のことですかねぇ?」
大司教は自分のあご周りの
「ん~、ヴァージンレイクでは見ない顔ですなぁ。
「ああそうかよ。だが嫌がる女子供を無理やり引っ張っていくってのがお前らのルールだってんならそんなのクソくらえだ。お前が何者だろうと俺がぶっ飛ばしてやるよ」
アゼルが大司教の襟首を掴もうとしたその時、背後に控えていた護衛兵の二人が瞬く間に剣を抜いてアゼルの前で交差させる。
「……何の真似だ?」
眼前の剣に臆することなく、アゼルはさらに怒気を強める。
今にもアゼルが臨戦態勢に入って魔素を噴き出してしまいそうなその時、
「はいはい、ストップストップ。キミらも血気盛んで、ホント若いねぇ」
リノンが時を止めたかのように彼らの間に割って入り、護衛兵の剣も再び鞘の中に収められていた。
「???」
突然のことに驚きを隠せない護衛兵たち。
「一体何かね君は? まったく、次から次へと忙しい」
「まあまあ大司教どの、そう気を立てないでくれよ。それにアゼルも気が早すぎるよ。護衛の彼らが持っているのは聖剣だよ。流石に聖剣騎士相手だと秒殺ってわけにはいかないだろ? それに秘密の話ではあるけれど湖水教は大量の聖剣を
「な、貴様どこでその話を聞いたぁ?」
いきなりのリノンの暴露に驚く大司教。
「そりゃ大賢者だからね、何だって知ってるさ。まあこのくらいの話なら各国のお偉いさんくらいなら誰でも知ってることだけど。でねアゼル、キミがここで暴れてしまうと本来の目的が果たせなくなる。僕らの目的は何だったかな?」
「……森に入る許可を、貰う」
「そうその通り、そしてキミの目の前にいるのは?」
「あん? 大司教だろ? ……って、もしかして。なあお前、湖水教の中でどれくらい偉いんだ?」
まるで子供を教え促すようなリノンに苛立ちを覚えながらも、アゼルは導き出された答えを大司教本人に確認する。
「むぅ、随分と
大司教は背後の護衛兵に向けて質問する。
「は! 大司教マッグワック様は長年不在となっている教主様に代わり湖水教全体を指導されるお方。つまりは湖水教の、引いてはこのヴァージンレイク全体の頂点であります」
「ほっほっほ、いやそう言われると恥ずかしいが、まあそういうことだよ君ぃ」
大司教、マッグワックは再び自身のあご肉を触りながら自慢気な態度をとる。
「自分で言わせたんだろうが。……ということは何か? 神晶樹の森に入る許可はコイツに貰わないといけないのか?」
アゼルは苦い顔でリノンを見る。
「うんうんその通り、それでどうかな? 貰えそうな雰囲気に見えるかい?」
「…………最悪だな」
現状を把握したアゼルは、まさに最悪な顔をしていた。
「なんだぁ君らは、神晶樹の森に入りたいのかねぇ? はっはっは、これは傑作だ! ううむぅ、それならここで返事をあげようじゃないかぁ。
大司教は目の前で大きなバッテンを両手で作ってアゼルに見せる。
「何をしに行くかは知りませんがぁ、あそこは湖水教にとっての聖域であり金づる。────おっと口が滑りましたが、見も知らぬ旅人に許可を出すような場所ではないのですよぅ」
「まあまあそう言わずに大司教どの。こちらもそれなりの事情があるのだから。イリア、こっちに来てごらん」
リノンは今までのやり取りを少し離れた場所で眺めていたイリアに声をかける。
「どうしたのリノン、なんか雲行きが怪しそうだけど」
「別にそんなことはないさ。それにしてもエミルくんとシロナはどこにいったんだい?」
やってきたイリアは一人きりで、待っていたであろう場所にもエミルとシロナの姿はなかった。
「リノンが揉め事に加わった時に話が長くなりそうだからってシロナを連れて遊びに行っちゃった。一応止めたんだけど」
「いやいや、それはなかなかに運命の巡りが良いじゃないか。だってエミルくんがいたらまず間違いなくこの大司教の顔面を殴り飛ばしていただろうからね」
あははと笑いながらリノンは改めて大司教と向き合う。
「やあ、話がずれて申し訳なかったね大司教どの。もしかしたら見覚えがあるかもしれないけれど、こちらは先の魔族との戦いで活躍した勇者イリアだ」
「んん? ほう、この少女がウワサの勇者だと?」
大司教マッグワックはそれこそ舐めるような視線でイリアをじろじろと見る。
「あれ、もしかして顔を知らなかったかな? ああそうか、それはそうだよね。この前の戦いの時、ヴァージンレイクの私兵団は引き籠りを決め込んで一切戦場には出向かなかったそうだし。大司教どのが勇者の顔を知らないのも無理はない。ああ、ヴァージンレイクの聖剣や浄水の供給があればいくらか死者の数も違ったかもしれないけれど、まあそれは過ぎたことだよね」
「う、ぐぅ、君に何が分かるぅ! この都市の人々を守るためにはアレが最善だったのだよぅ」
「いやいや別に責めたわけじゃないんだよ、誤解しないでくれ。そういう選択肢もあるだろうし、その選択の結果守れた命もあるだろうさ。まあ、その守るべき命の中心にキミがいたんじゃないかって話は置いといてだ。それで、大司教どのが少しでも後ろ暗く思うところがあるのなら、勇者イリアに多少の協力はして欲しいのだけどね」
リノンは文字通り相手の弱みにつけ込むように話を展開する。だが、
「それで神晶樹の森への入場許可を出せと? …………いいやダメだねぇ。そもそもこの少女が勇者である証拠がないじゃないかぁ」
大司教は無遠慮にイリアを指差してそう言った。
「証拠、ですか? 改めて言われると難しいですね。この聖剣アミスアテナでは勇者の証明になりませんか?」
イリアは腰に差してあるアミスアテナを抜いて見せる。
「ちょっと、いい加減にイリアに許可を出しなさいよ! 私はこんなところでイチイチ手間をとりたくないんですけど」
すると今まで黙っていたアミスアテナがここぞとばかりに喋り出す。
「うわぁっ! 何だねいきなり抜刀して……、ん? 今の声はその剣から出たのかね? 腹話術とかではなく?」
大司教はイリアの突然の行動に驚きながらも、疑りながらも彼女が手にする銀晶の聖剣をジロジロ眺めていた。
「はい、この聖剣アミスアテナは生きています。この特別な剣を持っていることが勇者の証明にならないでしょうか?」
「ほ、ほ~ん。そういえば勇者は得体のしれない聖剣を持っているというウワサはあったが、それはこういうことだったのかねぇ。ふむ、わかった、君が勇者であることは認めようじゃないかぁ」
意外なほどにあっさりと大司教はイリアが勇者であることを認めたのだった。
「それでは!?」
イリアは期待を込めて大司教の次の言葉を待つ。
しかし、
「だがダメだねぇ。やっぱり入場許可は出せないよぅ。勇者が必要とされたのは有事の時のことだろう? 今はこんなにも平和じゃないか、それに我々は君に直接お世話になったわけでもないしねぇ」
「そんな、」
「むしろ、勇者の儀とやらで以前に神晶樹の森に入る許可を出したことを感謝して欲しいほどだよぅ。ああ、あの時はその直後に君の村、キャンバス村だったかは燃えてしまったんだっけぇ? おお恐ろしい、それなら君は
まるでイリアをあざけるような視線を向ける大司教。
「っ!」
その視線をイリアは感情を殺しながらこらえ、
「てめえ、ふざけるなよ!!」
アゼルはこらえなかった。
感情にまかせて右の拳を振り上げるアゼル。
そのあまりの速さに護衛兵すら反応ができていない。
反応できたのは、
「いいのかいアゼル、キミがそいつを殴って困るのは誰かな?」
鋭く、アゼルの脳裏に言葉を挟んだリノンだけだった。
「ぐっ!」
それにより金縛りにかかったようにアゼルは固まる。
遅れて大司教マッグワックが驚きの声をあげた。
「おおっ、また君かね。一体何度ヒヤヒヤさせれば気がすむのかねぇ。おい、お前たちしっかり見ておけ。私に指一本でも触れさせたら、お前たちの家族がこのヴァージンレイクでどんな立場になるかわかってるだろうねぇ」
一度は驚いたマッグワックもすぐに護衛兵をアゼルに張り付かせる。
「まったくさっきから乱暴な、この男は勇者どのの恋人か何かですかなぁ? だとしたらそれは残念、もしあなたが未通のおぼこなら浄水処女として森に入ることを考えてやっても良かったのですがねぇ。どうなんです、あなた、経験はおありで?」
イリアに向けて下卑た声を出す大司教。
「そ、それは……答えたく、ありません」
自身のスカートの裾をイリアは悔しさと恥ずかしさで握りしめる。
「うふ、うふっ、そんなの答えたも同然じゃないですかぁ。はあ、ならばやっぱり私はあなたに興味はありませんよぅ。まったく、汚れた勇者なんかに何の価値がぁはっ!?」
大司教マッグワックは、その言葉を最後まで言い終わることができなかった。
何故なら、アゼルが護衛兵の目にも止まらぬ速度で、マッグワックを殴り飛ばしていたからだ。
その重たい身体が嘘のように激しく吹き飛ばされ、まるで水面を石が跳ねるように大通りを何度もバウンドしていった。
「悪い、イリア。我慢も限界だ」
大司教が先ほどまでいた場所に、アゼルは拳を強く握って立っていた。そのアゼルの拳と同じ痕が大司教マッグワックの頬にもはっきりと刻まれている。
そしてアゼルはスタスタとマッグワックのもとまで歩いていき、彼の胸倉を掴みあげて指先を眼前に付きつけ、
「おい、二度とイリアに話しかけるな。もし次に俺の女を嫌な目に会せたら、殺す」
そう、はっきりと言い放った。
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