第241話 ヴァージンレイク

「さあ到着したよ。ここが浄水じょうすいの都ヴァージンレイクさ!」

 馬車にて入場門をくぐり抜け、晴れやかな顔で大賢者リノンが声を上げる。


「いつにも増してウザイくらいにテンション高いな」

 そんなリノンを本当にウザそうに見ているアゼル。ちなみに今のアゼルはイリアとともに封印を掛けられた状態であり、本来の彼よりほんの少し若い。だがイリアに至っては視覚的にはほとんど変化がない程度である。


「テンションが高い? それはそうさ魔王アゼル、ここはハルジアに並ぶほどの大都市だからね! 行くところも見るべき場所もたくさんあるよ」

 そう言ってリノンは街の様子にアゼルたちの視線を誘導する。

 白い石作りの建物と石畳の街並み、視界の端では複数の水路が待ちを行きわたっていて、各所には噴水が上がる光景すら目に入る。

 そして街の奥に目をやると巨大な教会のような建物が堂々と建っており、まさにリノンが口にしたような浄水の都そのものであった。


「いや綺麗な街ってことは見ればわかるが、別にここに観光に来たわけじゃないだろうが。俺たちが欲しいのは神晶樹の森とやらへの入場許可だろ」


「もちろんその通りだよ。だけど人間いつだって心に余裕を忘れちゃいけない。目的にとらわれて周りの景色を見る余裕を失ったら人間終わりだよ」


「うむ、色々人として終わっているリノンにだけは言われたくない言葉でござるな」


「グサッ、シロナにまでそんなこと言われると傷つくなぁ。まあそれはともかくとして、別にイリアも街を見て回るのに反対じゃないだろ?」


「うん、私は別に急がないし、せっかく来たんだからゆっくりと観光もしてみたいな。アゼルが私のことを心配してくれるのはうれしいけど、それでアゼルがこの世界を楽しむ時間を奪いたくないの私」

 イリアは膝を抱えて座りながら、両手を指を伸ばして組みながら少し高い位置にあるアゼルの顔を見上げてそう言った。


「だけどイリア、お前身体が」

 アゼルはイリアの脇腹辺りを見て心配そうな顔をする。

 そこは先日、イリアの身体のが発覚した箇所だった。


「大丈夫だよアゼル。前にも言ったけどこんなの大したことないんだから。それより私はアゼルと一緒にこの街を回りたい」

 イリアはアゼルの手を両手でギュッと握って彼の目をさらに近くから見上げる。


 彼女の仕草は別段アゼルに媚びているわけでもなく、その表情も普段と変わりがない。だが、その美しい銀の瞳に見据えられるだけで、アゼルの心には言い知れぬ動揺が走るのだった。


「っ、わかったよ。少しくらいここでゆっくりしてくか。……だけどなイリア、少しでもきつくなったらすぐに言えよ」

 アゼルは少しだけ寂しそうに空いた手で彼女の頭をそっと撫でる。


「は~い」

 それをイリアは世界一嬉しそうな顔をしながら受け入れていた。


「さ、話はついたようだね。それじゃ早速馬車を適当なとこに預けて街を見て回ろうじゃないか」


 そうしてリノンは手際良く馬車を預け、一行はブラブラと浄水の都ヴァージンレイクの大通りを散策し始めた。


「にしても本当にこの街は賑わってんだな。行商の数だって言っちゃ悪いがアスキルドより多いくらいだぞ」

 アゼルはかつて訪れた奴隷大国アスキルドを引き合いに出してヴァージンレイクの発展具合に驚いていた。


「まあ実際に各大国と並ぶほどの潜在的な力を秘めているからねここは」

 リノンはさも当然といった風に鼻歌を歌いながら道を進む。


「だがリノンよ、何故ただの街がそれほどの力を持っているでござるか? ここは独立都市とは言え、元はアニマカルマの一部であったと親父殿に聞いたが」

 シロナはかつて鍛冶師クロムに教えてもらった知識を思い出しながらリノンに尋ねる。


「そうだね、シロナの言う通りヴァージンレイクは本来、商業連合国アニマカルマに属していた。というか今も一応名目上はアニマカルマの一都市に区分されてるはずさ。それが何で力を持つようになったかと言えばね……」


「あ、はい、はい! それは私も分かるよリノン。湖水教が世の中に広まったからだよね。その教えに心酔した人たちがそれぞれの国に広がって湖水教の影響力が強くなったんでしょ?」

 自分に答えられる問題がきて嬉しかったのか、イリアが元気良く手を挙げながら答える。


「おお、イリアにしては良く勉強してたね。うんうん、残念ながら不正解だ」

 リノンはニッコリと笑顔を浮かべて指でバツ印を作る。


「え、うそ。今の間違いなの!?」

 そして激しくショックを受けるイリア。


「まあ表向きはそう教えられるかもしれないね。実際にこのヴァージンレイクに在住の人間はみんな湖水教を信仰している。というかそれがここに住むための条件の一つでもある。だけどこの街が各国に強い影響力を持つその根幹は……」


「浄水、でしょ?」

 リノンが正解を言うよりも早く、エミルが答えていた。


「さすがエミルくん正解だよ。この都市はほぼほぼ浄水の利益で回っている。湖水教とこのヴァージンレイクは浄水に市場価値が生まれてようやく強大な力を持つようになったのさ」


「ん? 市場価値が生まれる? どういうことだ?」


「はは、それをキミが聞くのかい魔王アゼル。元々浄水なんてモノはただの水に過ぎなかった。キミたち魔族がこのハルモニアに入ってくるまではね」

 リノンは意地悪な笑みをアゼルへと向ける。


「ただの綺麗な水程度の認識だった浄水に魔素を浄化する作用があることが判明して、浄水の価値は大高騰したのさ。だって魔族と戦うにしても逃げ延びるにしても浄水は必須なんだ。それを独占していた湖水教が世間に対して莫大な影響力を持ってしまったのは必然的だろ?」


「……そうかよ。まあ良かったな、人間にも生き延びる手段があって」

 話題が話題な為か、アゼルはやや憮然とした表情で答える。


「まあ別に魔族との戦闘の為だけに浄水が必要とされてたわけじゃないよアゼル。アタシが前に言ったけど魔素で満ちた魔族領域で活動するのにだって大量の浄水がいる。だから魔族うんぬんは抜きにして魔界から魔素が流れ込んでしまった以上、浄水は人間側にとって必要不可欠なものになっただけ」

 アゼルの肩を叩きながらエミルが解説を加えた。


「それにしてもとんだ偶然もあったものでござる。その湖水教がたまたま浄水を確保していたが故に人間側は命拾いしたのだな」

 ここまでの話を聞いてシロナはしみじみと頷いている。


「あ、それは私聞いたことあるよ! 確か湖水教を作った教主の人が言ってたんだって。『神晶樹の森の湖の水を崇めて、その恩寵を賜りなさい』だったかな」

 イリアが先ほどの失点を取り戻そうとまた元気良く手を挙げて答えた。


「ふむふむ、イリアもよく覚えていたね。そう、湖水教が成立したのは今から250年以上も前。まだ魔族もいない頃さ。その時に湖水教を立ち上げた教主がその湖の水を神体として、皆に分け与えるように告げたんだよ」


「む、つまり湖水教の連中は神体として崇めているモノを飲んだり撒いたりしてるわけか? 結構罰当たりだな」


「罰なんて当たるものか魔王アゼル。だって所詮は水だよ?」

 ニヤリと笑いながらリノンは言う。


「ちょっとリノンさ、リノン! その言い方はないでしょ。そのせいで本来聖域であるはずの湖に人間が頻繁に立ち入るようになってしまったのに」

 イリアの腰に下げてある聖剣アミスアテナがリノンの物言いに対して声を荒げる。


「ん、今のそこまで怒るとこだったか?」


「いやいや仕方ないよ、彼女はその湖にえんがあるからね。今のは僕の配慮が足りなかったかもしれない。まあ今アミスアテナが言った通り、浄水も誰かが運んでこなければ皆に行き渡らない。そして湖水教はその仕事をいち早く独占していた、というわけでその浄水を取り纏めることで大きくなったのがこのヴァージンレイクというわけさ」


「なるほど、それで話がここに戻ってくるわけだ」

 そう納得してアゼルは改めて大通りの商店を眺めてみる。

 するとそれぞれ違った商売をしているはずなのに、どの商店にも浄水と思われるボトルが必ず並んでいた。


「基本的にこのヴァージンレイクの中では浄水は格安で湖水教から回されてるらしいからね。私たちみたいな外からの人間にちょっと割高で売りつけてるんでしょ」

 頭の後ろで腕組みをしながらエミルが言う。


「おやおや人聞きが悪いよエミルくん。一応この都市の中で浄水を購入した方が外で買うよりは安くつく値段設定になっているはずだよ。そうじゃなきゃヴァージンレイクへの集客力が落ちてしまうからね」


「なんだかなぁ、さっきからお金の話ばっかりで一大宗教って感じが全然しないんだが」

 やや呆れた様子のアゼル。


「おかしなことを言うね魔王アゼル。宗教にお金の話が絡むなんて当たり前のことじゃないか」

 そんなアゼルにリノンは、あははと笑いかけていた。


「もう、リノンったら。湖水教の人たちは本気で信仰しているんだから、そんなこと聞かれたら大変だよ」

 リノンの軽薄な態度にイリアはしっかりと注意を入れる。


「ははは、イリアはホント真面目だなぁ。もっと気楽に考えようよ気楽に」

 しかしリノンはイリアの説教もどこ吹く風で暢気のんきに歩みを進めていく。

 すると、彼らの歩く先から揉め事のような声が聞こえてきた。


「ちょっと、やめてください!」

 声を荒げているのは、うら若い少女だった。

 黒髪で身なりもきちんとしており、清楚という表現がそのままカタチになったかのような美少女である。


「いやいや、そんなこと言わずに俺たちと一緒に来なよ。ホント悪いようにはしないからさぁ。金だって結構出すぜぇ」

 少女と対するのは青い騎士服の男たちが3人。彼女を取り囲むようにしてジリジリとにじり寄っている。


「なあに、俺たちが紹介するのは簡単なお仕事よ。ほんのちょっとした労働で驚くくらいの報酬が手に入るんだ。やってみて損はないだろ? それに見ればわかるよ、君、男性経験ないだろ? そんな君にこそうってつけの仕事なんだよ」

 別の男も身振り手振りを交えながら、決して少女は逃がさないように言葉をまくしたてていく。


「ああ、もうお前ら何でこうも上手な勧誘ができんかね。さっきから言ってることが回りくどいんだよ。いいか、嬢ちゃん。俺たちが探してるのは処女だけだ。処女じゃないならさっさと言ってくれ、他を当たるから。ただ処女なんだったらこっちも引き下がるわけにはいかねえ。一緒に来てもらうぞ」

 騎士服の男たちのリーダーであろう男性が、高圧的に少女へと言い放つ。


 傍から見れば明らかに異様な光景。

 公衆の面前で少女を男たちが取り囲むという状況を、周囲の人々は遠巻きに眺めるか、素知らぬ顔で通り過ぎていくのみだった。


 それを見ていたアゼルは。


「何だここは? アスキルドよりよっぽど治安が悪いじゃねえか。何でこんな大通りで女が襲われてるのに誰も助けない?」

 明らかに不機嫌な態度になっていた。


「さてさて、どうしてかねぇ。まあ確かに彼らに品性のかけらもないのは確かだ。それで? キミはどうするんだい?」

 いつもと同じ、リノンの試すような声。それに、


「ああ? 助けるに決まってるだろ」

 アゼルは迷うことなく、少女のもとへと駆け出していた。


「まったく血気盛んだねぇ。200歳を超えてもまだまだ若い若い。……にしてもキミが真っ先に飛び出すものと思ってたけどイリア、良かったのかい?」

 リノンは傍らの勇者に向けて声をかける。しかし、


「アゼル、かっこいい……」

 その肝心の勇者は瞳をハート色に染めて、愛しの魔王を見つめていた。


「────さてまったく、本当にどうしたものかねぇ」

 それを見て、大賢者は珍しく思い悩むように空を見上げるのだった。

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