第八譚:無私錬鉄の創世譚 前編―湖水教の真実―

第240話 乾いた音

 魔族領域アグニカルカ、その中核たる城都市しろとしギルトアーヴァロンのある一室にて若い女性の苦悶の声が響き渡っていた。


「──っ!」


 間隔をおいて部屋にこだまする乾いた音。


 その度に、天井から伸びる黒い紐に両手首を縛り上げられた美しい女性の身体がビクリと跳ね上がる。


 スカート丈の短いドレスから覗かせる美しい肢体。だが今ではそのスカートはさらに捲りあげられ、なめらかなカーブを描いた張りのある臀部でんぶあらわになってしまっていた。


「──っ!」


 さらにまた乾いた音が鳴り響く。


 白く柔らかな肌に叩きつけられる衝撃。

 手のひらが強く食い込んだ臀部でんぶは、その手が離れると遅れて真っ赤に腫れ上がっていく。


 その白い肌に紅葉のように浮かびあがる痕跡こんせきが、どこか扇情的ですらあった。


「──っ、」


 女性の、いやの苦悶の声は止まらない。


 紫色の長い髪をした美少女の悲痛な声だった。


「痛い! 痛い! 痛いからもうやめいセスナ!!」

 涙声の混じった叫び。魔王の娘、懇願こんがんが再び室内に響き渡る。


「いいえ、やめません。今回ばかりはさすがにおイタが過ぎましたねアルト様。しっかりと反省してもらわなければ、いけません!」

 そう言って声の主、大魔王近衛騎士であるセスナ・アルビオンの美しい白い手がアルトのお尻に振りおろされ、再び乾いた音が部屋中にこだました。


 そう、現在アルトは、セスナによってお尻叩きの刑を受けているのだ。


「ひんっ! だから痛いと言うとろうが。いいかセスナ、これは体罰じゃぞ!? こんなの時代遅れもいいところじゃろう!」

 アルトは涙目になりながらも必死に威厳を保とうとしてセスナを糾弾きゅうだんする。…………強制的にお尻を高くかかげさせられた姿勢で。


「時代遅れで結構です。何せ私はアルト様とは300歳以上離れているのですから、ね!」

 再びセスナの張り手がアルトのお尻に飛ぶ。


「ひぃっ!」


 この行為が幾度繰り返されてきたのか、アルトのお尻は既に真っ赤である。


「くぅ! やめんか馬鹿者。これ以上やったらお祖父様に言いつけてやるからな」

 涙目でセスナを睨みつけるアルト。

 

「…………」

 だが、アルトの謎の脅しに対してその応えとばかりにセスナの白い手がまた彼女に振るわれる。


「きゃん! ごめんなさいごめんなさいセスナ。取り消す取り消す! 絶対お祖父様には言わないから許して。私が悪かったからぁ」

 ついに威厳が保てなくなったアルトは本当に涙目でセスナに許しをい始める。


「────はあ、アルト様反省しましたか?」

 そんなアルトの態度を見て、セスナの厳しい目元が少しだけ緩んだ。


「したした、ものすごくしたからいい加減許して」

 もはや次期魔王の威厳のかけらもないアルト。


「もうこの間のようなことはしませんね? あと大人を変にからかうこともしてはいけないんですよ?」


「しないしない、もうセスナをからかったりもしないから!」

 アルトは必死に涙声で懇願を続ける。

 しかし彼女の内心では、


(何がお尻叩きじゃ、この時代錯誤の年増ババアめ! 今に見ておれ、あと10年もしたら妾がセスナの実力も追い越してまったく同じことを仕返ししてやるからな! その時は泣いて許しをうても妾は絶対に止めんぞ)

 静かに壮大な復讐が決意されていた。


「わかりましたアルト様。本当は1週間は続けるつもりだったのですが、少しは反省されたようなので1日だけで終わりにしましょうか」


「1週間って、そんなのもはや拷問じゃろうが!」

 思わず突っ込みを入れるアルト。たかだか十数年の人生の彼女と300年以上を生きたセスナでは時間の感覚が違いすぎるのだった。


 だが、ようやくこの『お尻叩き』に終わりの気配が見えたことで安堵あんどの息をつくアルト。


 そこへ、

「では続きですね」

 油断したアルトのお尻にまた力強い張り手が叩き込まれた。


「ひぐぅ!? え、え、なんでセスナ!? 終わったんじゃないの!?」


「私がいつ終わったと言いましたかアルト様。私は1日だけにすると言っただけで、今日はまだ終わっていないじゃないですか。このお仕置きは相手の心を折るまでがワンセットですよ。まだ心、────折れてないでしょう?」

 にっこりと笑うセスナの瞳の奥にはアルトすら足元に及ばないドSの光が輝いている。


「────」

 アルトは絶望の表情でセスナを見ていた。

 彼女は測りそこねていたのだ。魔王アゼルが生まれる以前から大魔王に使えるこの女の恐ろしさを。


「では続きです。早く折れてくださいねアルト様。いえ、

 そう言って繰り出されるセスナの平手打ち。


 赤みを増したアルトのお尻に、容赦なく叩き込まれる白い手のひらは、実に良い音を室内に響かせる。


「んんっ!! もう、もうムリ」

 そしてアルトの心は、折れた。


「セ、セスナ! そう言えば私、お父様の居場所を知ってるわ!」

 唐突にまったくこの場に関係のない話題を切り出すアルト。

 

「!? なんですって?」

 だがその瞬間、アルトに振り下ろされる手がピタリと止まる。


「城を飛び出した時に偶然会ったの! 次は神晶樹の森に行くって言ってたわ(本当はメモリーストーンで知ったんだけど)」


「……そうですか。アゼル、魔王様が」

 アルトの言葉に逡巡しゅんじゅんを見せるセスナ。


「わ、私なんかの相手をするより、早くお父様を連れ戻した方がいいんじゃないかしら? お祖父様もきっと喜ばれるわよ」

 そしてアルトは父の情報を売り渡してこの窮地を逃れようと必死であった。


「…………そうですね、魔王アゼル様を連れ戻すのは大魔王アグニカ様の勅命ちょくめい。アルト様の情報を無視するわけにもいきませんね」

 お尻叩きの姿勢をやめ、セスナはあごに手を当てて考え込む仕草をする。


「そうそう、だから早く行ってらっしゃいセスナ。私は城で大人しくしてるから」

 アルトはにこやかな表情を作って、一刻も早くセスナが出ていくように念じていた。


「はあ、では仕方ありませんね。アルト様の歪んだ性根しょうねを叩き直すいい機会だったのですが」

 セスナは若干残念そうに肩を落とす。


「ではアルト様、私はアゼル様の捜索に向かいます。ああ、仮に今の情報が嘘だった時にはお仕置きは1週間ではすまないのでそのつもりで」


「本当だから信じなさいよ! そして早くこの縛りを解いて!」

 アルトは両手を高く吊るされた姿勢で必死に懇願する。


「ああ、その魔素の縄はあと1時間ほどで消えるようにしましたので」


(ちっ、抜け目ない。縄を解いた瞬間に魔剣グラニアの力で這いつくばらせようと思ったのに)


「…………はあ、私はもう行きますけど、本当に大人しくしていてくださいよ」

 アルトを見て少しため息をついたセスナはそのまま部屋の扉から出て行こうとして、ふと立ち止まる。


「ん、どうしたセスナ、はよ行っていいんじゃぞ?」

 そんなセスナに疑問を覚えるアルト。


「いえ、忘れ物をしていました」

 そう言ってセスナは再びアルトのところまで戻ってくる。


「忘れ物? 妾はもうとくに言い忘れたことはないぞ」


「いえ、を忘れていました」

 セスナの瞳の奥がギラリと光り、彼女は大きく右手を振りかぶる。


「ひぇっ!? ちょ、ちょっと待つのじゃセスナ」


 アルトの懇願も届くことはなく、セスナの渾身の平手がアルトの真っ赤に腫れたお尻にクリーンヒットした。


「───────────っ!!!!!!」

 声にならない苦悶の声と平手による乾いた音が部屋の中で何度も反響する。


 こうして、アルトとセスナの間で一生くつがえることのない上下関係トラウマが刻まれたのだった。

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