第236話 神竜降臨

 ゴクン、と噛み砕かれたドラゴンが飲み込まれる音。


 そのただの嚥下の音ですら神々しい威圧をもって周囲に響き渡る。


 英雄ラクスに遅れて突如現れたその巨竜は、その巨体に対して非常に静かに、まるで空中に浮遊するかのようにおごそかに羽ばたいていた。


 体表は黄金のうろこで覆われ、その瞳は黒と白の真珠が多層に組み合わさったかのように荘厳、あらゆる生物を咬み砕けるであろう巨大なあぎとと研ぎ澄まされた牙、比較の対象がないほどの巨躯きょくにそれと同じサイズの翼が2対、そしてその額には白銀に煌めく水晶のような角が雄々しく突き立っていた。


「まったく、ラクス嬢はとんでもないモノを連れて来てくれたね。これは、────伝説における神獣、神竜じゃないか」

 リノンですらその威容に、目を見開いて冷や汗をかいている。


「何だよコイツは、本当に何なんだ!?」

 アゼルは本能で感じ取る。絶対的に勝つことのできない上位の存在を。


「美しい、そして、恐ろしいでござる。身体が上手く、動いてくれぬ」


「あれ、何でだろ、さっきから上手く息ができないや」

 シロナとエミルですら、この巨竜が現れたと同時に身体に不調を覚えていた。


「しっかり意識を保つんだみんな。既にこの領域の魔素はあのドラゴン、神竜に支配されている。気を抜くと魔素も魔力も全て持っていかれるよ」

 リノンは杖を構え、一切の遊びのない態勢に入っている。


「これが、ラクスさんに、ここまでの傷を負わせた存在なんですね」

 そこへ、イリアがアミスアテナを正面に構えて立ち上がる。


「ゴメンねイリアちゃん。ちょっとだけ時間稼いで。私もすぐに回復して参戦するから」

 ラクスはそう言って『ふくろ』に手を伸ばす。その動作すら緩慢で、彼女がいかに手痛いダメージを負ったのかがよく伝わってくる。


「おい、ふざけるなよ。こんなの戦って勝てるわけがないだろうが!! 逃げるんだよ、一刻も早く!!」

 アゼルは震える身体を抑えてどうにか立ち上がり、即刻脱出を提案する。


「それができることなら僕だってそうしてる、僕の力をいくらでも使ってね。だからいいかい魔王アゼル。んだ。そこの英雄ラクスが全力の逃亡を図って逃げられなかった。それが意味するのはそういうことだよ」

 覚悟を決めたようにリノンは一歩前に出る。それしか選択肢がないかのように。


「それじゃあ、勝つしか、ないのか」


「勘違いしないでくれ、アレには絶対に勝てない。だから生き残るんだ。勝つことと生き残ることは別のことさ、負けることと死ぬことが別なように。だから負けてもいい、どうにか生き残る術を探し続けよう」


 そうリノンが口にすると同時に、神竜の恐ろしい眼光がイリアたち全員を射抜く。

 その瞳が次の獲物はお前たちだと告げていた。


「OK、リノンの言いたいことは分かった。それならアタシも今できる最善を尽くし続けるよ」

 先ほどまで顔が青ざめていたエミルは不敵な笑いを見せて神竜を見上げる。

 いや、その顔はいまだ青いままだが、全身を巡る魔力は少しずつ灼銀の輝きを放ち始めていた。


「勝つことができない、殺すことができないのならアレは星も同じ。……いい試し斬りの相手でござる。拙者の身命、この戦いに賭けてみせる」

 シロナも体内の魔素の流れをその強い意志で強引に取り戻し、二振りの聖刀『凛』と『翠』を強く握りしめて一歩前に踏み出した。


「ったく本当に信じられねぇ。コイツのやばさが分からないかなお前たちは。───いいぜ付き合ってやるよ、とにかくコイツが俺たちに飽きるまでどうにか凌ぎきるぞ!!」

 そして覚悟を決めたアゼルも、その魔素炉心を激しく燃やして全身から魔素を放出させる。


 それが合図となったのか、黄金の神竜は咆哮をあげる。そのただの咆哮すら物理的なダメージとなってグジンの塔の最上階フロアを破壊していく。


「ちっ、マズい。みんなここを戦場にしたらグジンの塔そのものが破壊されて帰る手段がなくなる。みんな空戦に切り替えるんだ。焦点化リアル・フォーカスで指を一本使う『僕たちは落ちない』」

 そう言うや否や、リノンは塔の外、足場のない空間に躊躇うことなく踏み出していく。すると不思議なことにリノンは歩くかのように確かな足取りで空の中を移動していた。


「あ、間違えないで欲しいけどキミたちも空を歩けるわけじゃないよ。これはワールドウォーカーとしての僕の権限だからね。さっきのは事故的な落ち方をしないというだけだから、各自工夫して空戦を行なってくれ」


「ああそうかよ。だがさっきも言ったろ、俺にも空中戦の術はあるんだよ」

 アゼルも空の中へと飛び出して、自身の魔素骨子を空間に固定して足場としながら移動していく。


「それじゃアタシも行くかな。シロナは行けそう?」


「無論。あれだけの図体があれば足場には事欠かぬでござる。だがまあ時折みんなを踏み台にするが許して欲しい」


「ハハ、そりゃいいね。リノンの頭をさんざん踏んでやりなよ。よし、じゃあ行くよ。猛き風『エアリアル』」

 エミルは短い詠唱とともに生み出された激しい風の魔法を身に纏い、空へと飛びあがっていく。

 そしてそれに遅れるようにシロナも跳躍して黄金の神竜へと迫る。


 残されたのはイリアとラクス。


「ラクスさん、私も行きます」


「ありがと、だけどイリアちゃんは空中戦、難しいんじゃない?」

 息も絶え絶えな様子で、ラクスは顔を伏せながら聞いてくる。


「シロナの真似をすればなんとか。だけど正直戦場にいるだけで精一杯で、戦力にはならないかもですね」


「それでも、行くんだ? 相変わらずの真面目ちゃんだね。でもまあ時間稼ぎをお願いした手前、足場くらいは用意しないとね」

 ラクスはそう言うと手にした星剣アトラスを強く握りしめ、


「『たとえ私は愚かでも、高みに昇らずにはいられない』アトラス大いなる者!!」

 起動キーを口にする。

 すると星剣アトラスは全長100mを超えて巨大化していく。

 その刀身の先は、ちょうど黄金の神竜の滞空している戦場に位置している。


「うっ」

 ラクスの右腕から噴き出る血液。それはそうである、星剣の超重量を今ラクスは肉の抉れた片腕で支えているのだから。


「ちょ、ラクスさん。そんな無茶をしたら死んでしまいます!!」


「いいのいいの。死ぬ前に、ちゃんとあの霊薬飲むから、ねっ!」

 そしてラクスは片手で星剣を握ったままその柄を自身が背にしているグジンの塔の壁に力づくで突き刺して固定した。


「ほら、これでしばらくは足場ができた。さ、行ってイリアちゃん。私もすぐに行くから」

 フラフラで今にも失神しそうな表情でラクスは言う。


「……わかりました。少しくらい遅れてもいいですから、死なないでくださいね!」

 そう言い残してイリアも皆が戦う空の舞台へと駆け出していった。

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