第232話 天穹山

天穹山てんきゅうざん? そりゃ知ってるけど。というか知らない奴なんていないでしょ。グジンの塔と一緒でぐるりと見渡せば必ず視界に入るんだから」


 ラクスはグジンの塔の真向かい、魔族領域から鋭く顔を出している山嶺を指差した。


「愚問だったね。まあ知ってるとは思ったけど一応の確認さ。天穹山、絶対山脈ハイエンドの中で頂点に位置する最大最高の山。だがあそこが前人未到の場所であることも知ってるかな?」


「いやまあ知らなかったけど、まあそれはそうなんじゃないの。魔族領域にあるんだし、普通はあそこまで辿り着けないでしょ」


「そう考えるのはもっともだけど、意外と魔族領域で活動することはノウハウさえ知っていればそんなに難しくない。実際魔石ハンターはそこを主戦場にしているし、魔法使いたちにいたってはそこで生活しているわけだからね」


「はいはい、私の見識不足でした。それで何が言いたいの賢者さんは?」


「単純な話、あそこには強大な魔物、魔獣がゴロゴロしているのさ。キミが満足できるくらいのね」


「ふーん、興味深い話をありがと。だけど依頼って別にその魔物を倒せってことじゃないんでしょ?」


「その通り、魔物を倒す倒さないは正直どうでもいい。そこはキミの趣味の領分だからね。僕が頼みたいのはもしそこで無垢結晶を見つけたらそれを譲ってほしいということさ」


「譲る? 確か無垢結晶って相当高価なんじゃなかったっけ? 私もそれなりの収集癖があるからタダじゃあげる気にならないんだけど」


「それは承知しているさ。もちろん対価は払うとも、むしろキミの欲しいモノは何だい? 何であれ用意して見せるよ」


「欲しいモノねぇ、大抵のものは自分で取りに行っちゃうからなぁ。あ、そうだ」

 ラクスは名案を思い付いたかのように指を立て、


「アゼル君とデートがしたい。お泊り付きで」

 そんなことを言い出した。


「ん、魔王アゼルとデートか。仕方ないね、いいだろ……」

 その要求をリノンがほぼ即答で飲もうとした時、


「ダメです!!」

 当の本人であるアゼルよりも早く、イリアが前に出て要求を拒否した。


「絶対にダメですからね、ラクスさん」

 イリアはアゼルの前に出て、彼を隠すように両手を高く上げて壁を作る。


「え~、いいじゃんイリアちゃん。ちょっとしたお遊び、ほんのちょっと味見するだけだよ?」


「なおのことダメです!! アゼルに指一本でも触れたら怒りますよ!!」


「むぅ、何やら真剣なご様子。そっか、見ない間に完全にできちゃったのか。それじゃあこれ以上のちょっかいはかけられないなぁ」

 ラクスは残念そうにあごに指を当てて考え込む。


「あのなお前ら、俺に口を挟ませずに俺の身体のやり取りをするなよな」

 アゼルはやや呆れ気味に口をこぼす。


「え、何アゼル。もしかしてラクスさんとデートしたかった?」

 その瞬間、イリアから絶対零度のようなオーラが噴き出して、彼女はアゼルへと首だけ振り返った。


「!? バ、バカなことを言うな。別に俺はそんなことは言ってないだろうが」

 そんなイリアにアゼルはタジタジな様子で必死に否定する。


「やれやれ、魔王アゼルも尻にしかれて。まあそんなことはどうでもいいや。ラクス嬢のその要求にはどうやら応えられないみたいだね。代わりに何か希望はないかい?」

 

「う~ん、色々考えたけどそうね。そしたら私エミルちゃんとデートしたい。もちろんお泊り付きで」

 ラクスはこれまた名案を思い付いたかのようにエミルへと指差す。


「は? アタシ?」

 突然の指名を受けたエミルは驚いて自分自身を指差していた。


「そうそう貴女。カッコイイ男を横にはべらせるのも楽しいけど、エミルちゃんみたいな女の子とデートするのも楽しそうだなって。それにこれってお金じゃ絶対に手に入らないイベントでしょ」


「ほう、それは良い提案だ。それじゃあその交換条件で依頼は成立ということで……」


「こらこら馬鹿リノン! 勝手に話を進めるなっての。なんでアタシが女同士でデートなんてしないといけないのさ?」


「別にいいじゃないかエミルくん。どうせ男とデートするあてだってないんだし、っておわぁ!」

 リノンは台詞を口にする途中でエミルに殴りかかられていた。


「余計なお世話だっての!」


「あはは気が立ってるねえ。良かったら僕がデートしてあげようか? いや、別にキミの幼い体形はまったくもって好みじゃないんだけどね、たまには慈善活動だって僕はするよ?」


「────うん、殺そ」

 エミルの表情からは怒りが消え、逆に全身の魔力が熱く燃え滾っていく。


「まあ落ち着きたまえエミルくん。どんなにキミが僕に暴力をふるったところで殺すことができないのは承知してるだろ? まったく、知性の高いキミにしては随分と短気な……」

 リノンはエミルの凄みにも動じることなくいつもの軽薄なトークを続けるが、


「ああ、エミルちゃんその賢者殺す? 私も手伝ってあげる、え~と『ふくろ』の中に『』とか入ってなかったかな~」

 英雄ラクスがその台詞とともに腰に付けた袋を探り始めた時、彼の表情が一変して青ざめる。


「!? いや、僕が悪かった。先ほどの愚かな発言を取り消そう。僕にできる償いなら何でもするとも。これからは真面目に生きることだって誓おうじゃないか。そもそも僕は前々から僕自身のこの軽薄な生き様をどうかと思っていてね。ああそうか今日がその日だったのか。僕は今日、生まれ変わるんだ」

 そしてリノンは矢継ぎ早に謝罪のような言葉を並べ立てて、エミルとラクスの前に平伏へいふくする。


「すげえなアイツ。ちょっとでも身の危険を感じたら一瞬で態度が切り変わったぞ」


「まああれがリノンでござるからな」


「そうだね、あれがリノンだよ」

 その様子を傍から見ていたシロナとイリアはとくに驚いた様子もなくそう口にする。


「…………ったく、そこで折れるくらいなら煽ってくるなっての。はあもういいよリノン。それにさっきの要求も飲んであげる」

 エミルは毒気が抜かれたように呆れてそんなことを言った。


「え、要求って私とのデートのこと? いいのエミルちゃん? お泊りだよ? 夜のバトル付きだよ?」


「いいよ。この前負けた借りがあるし。夜と言わず、朝から晩まで付き合ってあげる」

 エミルはここでギラリと目を光らせてラクスに視線を向ける。


「あ、なんか楽しくなさそうなバトルの予感。でもまあ、力づくで押し倒してってのもお姉さん的には楽しみかも」


 そう言ってラクスもエミルへと熱い視線を向け、二人の間で視線がぶつかってバチバチと火花が散る。


「っふう、雨降って地固まるというやつかな。良かった良かった」

 その光景を見てリノンが額の汗を拭う。


「何が雨降ってだ。勝手に話を大きくしやがって」


「まあまあ、言いっこなしだよ魔王アゼル。それではラクス嬢、依頼は成立ということでいいかな? 成功報酬ではあるけど、もしそっちが空振りでもキミは楽しくハントができるんだから別に損ってわけでもないのだしね」


「う~ん、まあ言われてみればそっか。でも、正直この報酬は欲しくあるから私頑張っちゃうかも。それじゃ早速天穹山に行ってくるわ」

 一通りの会話で十分に楽しめたのか、ラクスは手をヒラヒラと振りながら天高くそびえる山へ向けて去っていった。


「…………、アイツ普通に歩いていったけどここからあの山に辿り着いて、さらには山頂付近まで登るのに何カ月くらいかかるんだよ」

 去ったラクスの方角を見て、アゼルはふと覚えた疑問を口にする。


「おお、いいところに気付いたね魔王アゼル。まあ普通なら半年で帰ってこれたら大成功のクエストかな。おかげでしばらくは彼女と顔を会わせる必要はないんだ、気が楽だろ?」


「まあ、ヒヤヒヤしなくて済むのはありがたいが、それはお前も同じことだろ大賢者」


「……否定はしないさ。彼女は究人エルドラ、その上で僕より遥かにレベルが高い。うっかりしていると正攻法で打倒されかねないからね」


「それを聞くと惜しいことをした気もするがな」


「何にせよ彼女をあまり常識の範疇で測らない方が良い。フラグを敢えて立てておくけど、あの子には自然とトラブルが寄ってくる。それも常人ではとても処理しきれないレベルのヤツがね」


 英雄ラクスと同じ究人エルドラである大賢者リノンは、そう不吉な言葉を残したのだった。

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