外伝 愛憎跋扈の恋愛譚―神竜降臨―

第230話 グジンの塔

「さて、今回のお話は時系列上どこに位置するかは少し曖昧だ。まあ僕たちの物語のどこかに、こんな話があったのだとでも思っておいてくれ」



「は? 空に向かって急に意味不明なことを話し始めたぞ。この大賢者ついにおかしくなったか?」

 大賢者リノンの突然の独り言に思わず突っ込みを入れるアゼル。


「何言ってんのさアゼル。リノンがおかしいのは前からそうでしょ」


「……確かにな、言われてみたらそりゃそうだ」

 エミルのフォローに、アゼルは納得したように冒頭のリノンの謎の発言を流した。


「いやぁ、相変わらずキミらは僕への扱いが雑だねぇ。まあいいや、さあこれがグジンの塔だよ! どうかな間近で見た感想は?」

 リノンは天を衝くほどの巨大な塔の前で、両腕を広げて何故か自慢気にイリアたちに感想を求める。


「感想って言われても、スゴいって言葉しか出てこないよリノン。ここまで近づくと逆にてっぺんがまるで見えない」

 イリアは目一杯顔を上げて背伸びをするが、塔の頂上付近は雲でかすんでまるで様子がわからなかった。


「俺は別段何も感じねえよ。ここに来るまでの間、この塔がずっと視界の一部を占領してたんだ。今さら感想もなにもないだろが」

 グジンの塔を間近で見たことで少し興奮しているイリアとは対照的に、アゼルはややうんざりした様子だった。


「まあそれは仕方ないでござる。なにせこのグジンの塔はハルモニアのどこからでも見ることができるほど巨大なのだから。そのグジンの塔を目指して進む以上は塔しか目に入らなくなるのは自明の理」


「シロナは冷めてるねぇ。アタシは結構ワクワクしてるよ。だってこのてっぺんにはヤバいくらい強い魔物がワラワラしてるって話じゃん」

 冷静に解説するシロナの肩に、鬱陶しいほどにテンションの上がったエミルが腕を回して絡んでいく。


「お前はただ強い敵と戦いたいだけじゃねえか。はぁ、それでこの塔の頂上付近にお探しのとやらがあるのか?」

 いまいちここに来る必要性を理解できないアゼルは怪訝けげんな視線をリノンへと向ける。


「ある、とは残念ながら言い切れない。本来なら僕の深淵解読システムブックを使えばハルモニア世界の情報は簡単に手に入る。だけどグジンの塔の頂上付近はあまりにも高度が高過ぎて深淵解読システムブックが対応してないんだ」


「ん? 高さとか関係あるの、リノンのそのチート能力?」

 リノンの能力に制限があることが意外だったのか、エミルが質問を差し入れる。


「高さ、というよりは管轄の問題かな。僕の深淵解読システムブックはハルモニア世界にのみ対応している。つまりは太陽や月が存在する超高度の領域はハルモニア世界と認識されてないということだね。まあ、グジンの塔をあまりに高く建設しすぎて天上の神獣たちの怒りを買った歴史もあるくらいだ。目に見えるからといってあそこを地上と同じ感覚で認識しないほうがいいさ」


「天上の神獣? なんだそれは?」


「遠い遠い昔話さ。かつて栄華を極めた究人エルドラはその記念碑としてこのグジンの塔を築き上げた、このハルモニア世界を制覇した証として。だけど空の領域を侵さんとする行為に空の向こうに住まう神獣は怒り、究人エルドラを滅ぼしてしまったのさ」

 リノンは淡々と、遥か過去にあったであろう出来事を語る。


「マジかよ。究人エルドラってお前やあのラクスと同じ連中だろ? それを滅亡させるってよっぽどだぞ」

 アゼルはかつて戦った英雄ラクス・ハーネットのことを思い出して顔が青ざめていた。


「そう、よっぽどなのさ。だから、と言えばいいのか、空を越えた先の領域は別世界と認識しておいた方がいい。まあそういうわけで僕にも実際にこの塔を登った先にお目当ての無垢結晶があるのか分からない。ま、だからこそ保険を掛けておいたわけだけどね」


「保険、ねえ。本当にアイツに頼んでよかったのかよ?」

 アゼルは再びいぶかしむような視線をリノンに向ける。


「それは仕方がない。以外にこのクエストを依頼できる相手はいないのだからね。僕としても正直顔を合わせたい相手ではなかったけれど、出会ってしまった以上は可能性をほんの少しでも上げておきたかったのさ。今後どうしても必要になるものでね、天然の無垢結晶が」


「リノンよ、前々から気になっていたのだがその『天然の無垢結晶』とは一体何でござるか? 拙者は無垢結晶とは聖剣アミスアテナ、または勇者イリアのことを指すものだと思っていたが」

 リノンの口にした単語に、シロナが困り眉をして尋ねてくる。


「天然は天然さ。まあむしろイリアたちの方が……、ああここでする話ではなかったか。え~とそうだねぇ、無垢結晶の別名はヴァージニティムーンと言ってね、つまりは月のことを指している」

 遥か天空を指差してリノンは言う。


「月? それってやっぱり夜空に浮かんでいるあの月のことだよね?」

 聞いていたイリアもリノンの説明に興味を示した。


「そうだとも、夜空の中で美しく輝く月。キミたちは知らないだろうけどあの『夜』というのも超高密度で積層された魔素なんだよ。そんな中で月が煌々と輝けるのは、それ自体が魔素を寄せ付けぬ無垢結晶であるからさ」


「ん? 今何かとんでもないこと言わなかったか? 夜の正体が魔素の塊だと?」


「まあそうだね。それも魔王の君ですらその中に長時間いたら命の保証はないほどの魔素だ。そんな中で当然のように生息しているのが究人エルドラを滅ぼした神獣たちさ。どれほど危険な相手かは分かるだろ? 話が脱線したけれど、天上に存在する月からは時折欠け落ちた結晶が地上に落ちる。それが無垢結晶と呼ばれる代物なのさ」


「ふ~ん、それなら別にこんなバカ高い塔を登らなくたっていいんじゃないの? 地上のどこかにあるその結晶を探せばいいことじゃん」

 頭の後ろで腕組みをしながら聞いていたエミルが疑問を口にする。


「それがそういうわけにもいかなくてね。鍛え上げられたわけでもない天然の無垢結晶はそこまで頑丈じゃない、いや脆くもないんだけど。……そうだねぇ、このグジンの塔の頂上からその辺の石を投げ落としたらどうなると思う?」

 リノンは近くに転がるこぶし大の石を指してそう言った。


「あ~、砕け散るね」


「そういうこと。天然の無垢結晶はその石の数倍以上の強度はあるわけだけど、月の高さはこの塔をもう一つ上に重ねなきゃいけないくらいには高いから、もし大地に向けて月から結晶が零れ落ちたとしても地面と衝突して霧散してしまうのさ」


「それで天然の無垢結晶を探すなら高いところに行かないといけないってことか」


「ご名答、魔王アゼル。どうだい、中々に難儀なものだろ?」


「でもリノン、どうしてそこまでしてその結晶が必要なの?」

 不思議そうに質問するイリア。


「ん~、それがね。僕にもよく分からないのさ?」

 リノンは困り顔で両手を広げて、やれやれといった仕草をする。


「はぁ? 分からないってどういうことだよ?」

 当然、彼のその態度にアゼルは強く突っ込みを入れた。


「分からないものは分からないのさ。だけど必ずどこかで必要になる。僕に未来を知る力があるのは前に話しただろう。『未来知アナザー・ビュー』、テキストとしてあらゆる未来の可能性を検索できる力。だけどその力は日に日に劣化しているのさ」


「劣化、でござるか?」


「ああ、先のことになればなるほどテキストが黒く塗りつぶされて見えなくなっている。少し怖い話をすれば1年先以降の未来は、ほぼほぼ見えなくなっているくらいにね」


「おいおい、それってかなりヤバイんじゃないのか?」


「安心してくれ、見えないというだけで未来が存在しないというわけじゃない。ただ僕の個人的なズルが効かなくなっているに過ぎない。だけどまあそこでだ、僕にまだ見ることのできるいくつかの未来で『天然の無垢結晶』を使用する記述があった。だからそれを今の内に手に入れておきたいのさ。残念なことにその前後の状況は塗りつぶされていて何故使うのか、どう使うのかは分からないけどね」


「なんだよ、それじゃあお前の個人的なお使いのためにこんなところまで来たのかよ?」

 リノンの説明を聞いて不服そうなアゼル。


「そうだね、キミの言う通りそうなのかもしれない。────だけどもしそうじゃなかった時はどうする?」

 アゼルを試すようなリノンの視線。


「!?」


「そう、もしかしたらその結晶をの為に使わざるを得ない場面が訪れるのかもしれない。言っておくけど無垢結晶は純度99%の魔石よりも価値がある代物さ。それを使わなければいけない状況がただ事ではないことはわかってもらえると思うけどね」


「それはもしかして、…………いや、わかった。必要だというなら手に入れようじゃねえか」

 アゼルは何かを口にしかけて止まり、目的の場所である塔の頂上を見上げる。


「ご理解いただけて何より。何、それほど心配しなくていいさ。未来で僕が無垢結晶を使用する記述があったってことは、僕がそれを手に入れる機会があるということに他ならない。だからきちんと手を打ってさえいれば入手自体はそれほど困難ではないはずさ」


「ま、そうでなきゃ困るけど。じゃないとはめになっちゃうんだからさ」

 リノンの楽観的な発言に、エミルは彼女にしては珍しく苦虫を噛み潰したような顔をする。


「あはは、エミルさん。あれは災難でしたね」

 イリアはそんなエミルに乾いた笑いを向けた。

 

 そう、それは遡ること1週間前。イリアたちは、かつて魔王アゼルを殺そうとして、そしてシロナを機能不全に追い込んだ英雄ラクス・ハーネットと遭遇していたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る