第229話 どこかのいつか
「と、まあお母さんとお父さんはこんな感じで結ばれた、かな?」
気恥ずかしそうに語尾を濁しながら、母親は自身の恋物語を娘に話してきかせた。
「う~ん、なんだか難しかった。何で誰かを自分ひとりのものしたいって思うのかな? だってそれだとふたりの人が同じ人を好きになったときに困るんじゃないの?」
娘はあごに指を当てながら可愛らしい仕草で首をかしげている。
「…………そうね。困るわ」
それに対して母親は僅かな沈黙の後にただ短く返答した。
「やっぱりそうだよね。そういうときどうするのお母様?」
「…………戦うの」
ボソリと母親は呟く。
「戦う?」
少女はさらに首を傾げる。
「そ、戦うの。だってそうするしかないじゃない。好きな人の気持ちを独り占めしたいのに、それを邪魔する相手がいるなら押しのけるしか手段はないでしょ?」
はあ、とため息をつきながらなげやりに母親は語る。
「そ、そうなんだ。恋愛ってバイオレンスだね」
その母親の言葉に娘は少しだけ引いてしまう。
「そうね、時には暴力も必要よ。まあ好きな相手を殴るか、恋敵を殴るかは人それぞれでしょうけど」
「あ、好きな人も殴る対象なんだ。それに殴るんだね」
まさかの手段に少女も驚きを隠せない。
「まあ物理的に殴るか精神的に殴るかの違いはあるわ、でもいずれにしても好きな人を屈服させるかライバルを再起不能にしないと自分の気持ちが貫けないんだから仕方ないじゃない」
母親はどこかでブレーキが外れたのか、普段娘に使わないような難しい言葉も混ざっていく。
「そうなんだね。…………うん、わたしには『恋』はまだ早いみたい」
娘は母親の変化を敏感に感じ取り、この話題からの撤退を決意する。
「そう? まあそうよね。アーシャはゆっくりとそういう相手を見つけたらいいわ。貴女だけを好きだって言ってくれる、そういう人とね」
優しく頭を撫でながら母親はそう言った。
「そんな人と会えるかなぁ。うん、会えるといいね」
「会えるわよ、だってお母さんの子供なんだから」
精一杯の愛情を込めた微笑みが、幼い少女に向けられる。
「えへへっ」
少女もただそれだけで世界中の誰よりも幸せそうにはにかむのだった。
そこへ、ノックの音が鳴り響く。
「失礼いたします。来週の式典について確認することがあったのですが」
間をおいて部屋に入ってきたのは赤い髪をしたスラリと背の高い青年だった。
「あらユリウス。しまったわね、私もその準備をしているところだったのだけど、アーシャと話し込んですっかり忘れちゃってたわ」
「そうだったのですね。いえ、こちらこそ失礼いたしました。少し時間をおいてから伺いましょうか?」
親子の仲睦まじい様子に気を遣ったユリウスはそんな提案をする。
「いえ構わないわ、話しなさいユリウス。アーシャはカタリナのところに行っていなさい」
「?? カタリナなら部屋の扉の所に隠れていますが?」
ユリウスはそう指摘して彼が入ってきた扉を指差す。
するとその扉の影からひょっこりと青く美しい髪が覗いていた。
「あ、カタリナだ~。カタリナかくれんぼ下手だねぇ」
少女アーシャは嬉しそうにカタリナと呼ばれた女性のもとへ駆け寄っていく。
「ちょっとカタリナ。貴女ね、私にめんどくさい話題を押し付けたでしょ。おかげで自分の恋愛話を話すなんて恥ずかしい思いしちゃったわよ」
カタリナの存在に気付いた母親も不満な様子で彼女へと詰め寄る。
「あわわ、いいじゃないですか。そもそも私には話せる話題がないんですから。そういうのは親の責任できっちり教えてあげてくださいよ」
カタリナは両手を胸の前に出して壁を作り視線も逸らしつつ、だがはっきりと自分の意見を表明する。
「む、随分と言うようになったわね貴女も。でもまあ考えてみれば昔からそんなところあったわね。だったら貴女もそろそろ恋人の一人でも作りなさいって話よ」
「しまった、藪蛇でしたか。もう私のことはいいんです。それより、今度の式典にはアーシャ様も出席されるんですから、色々準備とか説明とかしておいた方がいいんじゃないですか?」
自分に都合の悪い話を必死に逸らそうと、カタリナは重要度の高い話を切り出していく。
「ああ、そうね。最近会合の準備でバタバタしてて随分と後回しになってしまっていたわね」
母親も自分の娘に目を向けて、うっかり忘れていたという仕草をする。
「?? お母さま、何の話?」
「来週ね、アーシャのお祖父様に会いに行くのよ」
母親は少女の前にしゃがみ込んで簡単な説明をする。
「お祖父ちゃん? きのう会ったばかりだよ?」
少女アーシャはキョトンと首をかしげる。
「そっちのお祖父ちゃんじゃないもう一人のお祖父ちゃんよ。アーシャが初めて会うお祖父ちゃんのこと」
「え、お祖父ちゃんってもう一人いるの?」
「そうよ、少し、……かなり、…………ものすごく気難しい人だから仲良くするのは大変かもしれないけど、アーシャの顔だけでも見せてあげてくれないかしら?」
困り眉を作りながら母親は少女に問う。それは、少女が同行を拒否するならするで構わないといったニュアンスも含まれていた。
「うん、行く! 初めてのお祖父ちゃんに会ってみたい」
だが少女アーシャは満面の笑みで了承していた。
「ありがとうアーシャ、────貴女が、魔族と人間の、架け橋になってくれると嬉しい」
母親は少女を抱きしめ、小声で何事が呟く。
「?? うん、わたし頑張るね!」
意味も分からずにアーシャは答える。
「もう、今のアーシャ様には早すぎますよその重たい責任は。まあもちろん、人間と魔族の血をどちらも引いたアーシャ様だからできることもあるんでしょうけど」
「少し気が早いことくらいわかってるわよカタリナ。だけど、────────そろそろそんな夢くらい見たいじゃない」
娘を抱きしめながら、母親は顔を上げる。
天井越しの冷たい空に、彼女は一体どんな
人と魔、相容れないことは百も承知で彼女は手を伸ばす。
その手が握り返される保証がどこにもないとしても。
かつて失われたモノに値する光を求めて。
彼女は、手を伸ばし続ける。
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