第228話 これから、イリアの変調
一夜明け、イリアたちは今後の方針について話し合っていた。
アゼルの魔城はすでにしまわれおり、彼らは馬車の周りに集まっている。
「さて、昨日のアルト嬢の突然の訪問から一晩立ったわけだけど、イリアたちの間で話はついたのかな?」
リノンはニヤニヤしながらイリアとアゼルに話を振る。
二人は付かず離れずといった距離で並んで座っており、決してベタベタとくっつくようなマネはしていない。
そう、お互いが少し手を伸ばせば触れ合ってしまうような、そんな距離である。
「リノンが何を聞きたいのかわからないけど、私たちはいつも通り何も変わらないよ。ね、アゼル」
イリアはニヤニヤした表情のリノンを牽制するように、笑顔で答える。
「ああ、まあ昨日は俺が原因で色々と騒がしくして悪かったと思っている。だが昨日言葉にした通り、俺単独でアグニカルカに帰るようなことはない。いずれ向かうことになる時はお前たちと、イリアと一緒にだ」
アゼルは真面目な表情のままそう言った。
「いやいや硬いねえ魔王アゼル。勘違いして欲しくはないが、僕はキミを責める気なんてさらさらないさ。僕は世界中の浮気男の味方だし、何よりもキミたちを心から応援しているんだから」
「うぐっ」
アゼルはリノンの『浮気男』というワードで苦しそうにしていた。
「リノンリノン、責めてる責めてる」
その様子を見てエミルが笑いながらリノンに突っ込みを入れる。
「おやおや、そんなつもりはなかったのだけどね。さてキミたちの問題が解決したことは理解したよ。まあ解決したのか先送りにしたのかはさておきね。それはともかくこれからの話でもしてみようか」
リノンはパンと手を打ち、話をするりと切り替えた。
「これからというのなら、それこそ今から魔族の領域に踏み込むのではないでござるか? そのために大境界の近くまで来たのだと思っていたが」
そのリノンの振った話題にシロナは素直に思っていたことを口にする。
「……さて、それはどうだろね」
だがリノンは意味ありげに空を見上げる。
「どうしてよ、もうここまで来たんだからさっさと魔族の拠点まで行けばいいじゃない。正直今のパーティーならあっという間にたどり着くわよ」
リノンの態度に業を煮やしたアミスアテナは憤慨したように彼をせっつく。
「随分とアミスアテナは先を急ぐねぇ。そんなに急ぎたい理由があそこにあるんだか」
しかしそんなアミスアテナの威圧にもリノンはどこ吹く風である。
「でもリノン、もう寄り道する理由はないでしょ? もし魔族を追い返すにしても、手を取り合うにしても実際に乗り込んでみないことには始まらないよ」
イリアもさすがに、リノンののらりくらりとした様子に疑問を覚えたようだった。
「うん、そうだねぇ。……ところでイリア、最近体調はどうだい?」
リノンはイリアの問いにも答えることなくあからさまに話題を変える。
「え、なに突然。とくに変わらないよ、むしろ調子が良いくらい」
イリアは握った両拳を小さく挙げて元気いっぱいのアピールをする。
その姿は本当に元気そうで、そしてどこか幸せそうでもあった。
「どしたのイリア? 何かいいことあった?」
そんなイリアを見てエミルが少しだけ優しい顔をする。
「え、どうかな? ……どうだろ」
そんなエミルの質問にイリアは少し口元を隠してはにかむ。
「ま、その辺はおいおい知っていけばいいさ。僕が気になるのはこっちでね」
リノンは空気の合間を縫うようにイリアへと近づき、何の遠慮もなくイリアの服を捲った。
「ちょ、リノン!?」
当然ながら驚くイリア。
リノンが服を捲ったことで彼女の肌白いお腹があらわになる。
「お前何してんだよ!」
リノンのイリアへの行為にアゼルは反射的に彼に拳を振り上げていた。
だがそのアゼルのパンチもリノンは振り向くことなく片手で軽々と受け止める。
「そう気を立てるものじゃないよ魔王アゼル。そもそも彼氏面できるような立場じゃないだろうキミは。──そしてイリア、いつからだい?」
リノンは真面目な表情に切り替わってイリアに問いかける。
そしてその視線の先はイリアの腹部、白く結晶化した脇腹に向けられていた。
「!? あ、ダメ、リノン!!」
リノンに指摘されて何かに気づいたイリアは慌てて服を戻す。
それによって結晶化した部分は隠れはしたが、周りは既にそのことを流せるような空気ではなかった。
「おいイリア、お前それどうしたんだよ?」
イリアの身体に起きている異変に驚くアゼル。
「何でもない、何でもないからアゼル」
しかしイリアはお腹を隠すように押さえて説明しようとはしない。
「何でもないことはないだろイリア? その感じだとそれなりの激痛が走っていたはずだよ。まったく、不幸に対して耐性があり過ぎるのも考え物だね」
リノンは呆れた様子でイリアの前にしゃがみ込む。
「イリアが言いたくないなら仕方ないじゃん。で、リノン……とアミスアテナは色々知ってそうだけど何か言えることはあるの?」
エミルはイリアから聞き出すことは早々に諦め、怪しい重要参考人たちに標的を切り替える。
「わ、私は、えーと、その……」
話を振られたアミスアテナはあからさまに動揺して口ごもる。
「いいよアミスアテナ、僕の方から話そう。魔王アゼルには以前少し説明したね、イリアを封印の解かれた状態、つまりはレベル99のままにしておくと良くないことが起こるからと」
「あ、ああ。そうだったな」
「まあ何でかって言うと、レベル99っていうのは一般的な人間の成長の限界を指す。そしてそれはイリアももちろん例外じゃない。それに該当しないのは英雄ラクスとか僕とかの
リノンはそう言ってイリアの腹部へと視線を送る。
「結晶化、っていうやつか?」
アゼルはゴクリと唾を飲み込み、自身でも想像したくない単語を口にする。
「ああそうさ。本人の成長は止まっているのに、無垢結晶としての彼女は成長し続ける。そうなるとイリアの人間としての部分を塗りつぶして肉体が真の結晶体へと変化してしまうのさ」
リノンは動揺ひとつなく、恐ろしい事実を平然と告げた。
「
「え、いや今初めて聞いたよ。ただ、最近何か身体の調子がおかしいなぁとは思ってたけど」
イリアはリノンの説明に苦笑いしながらもそう答える。
「って、イリアが初耳なのかよ。おいリノン、それにアミスアテナ! 何でイリアにこのことを黙ってたんだよ!」
イリア自身がソレを知らされていなかったことにアゼルは激昂して二人に詰めかかる。
「まあまあ落ち着きなよ魔王アゼル。アミスアテナには僕が口止めをしてた。だって知ったところでイリアは止まらなかったし、知っていたとしても結局こうやって結晶化が始まらない限り対処のしようがない。それに対策はもう打ったあとだったしね。キミの封印にも利用していたイリアのレベル抑制、それだって本来は彼女の結晶化の進行を遅らせるための苦肉の策だったんだから」
リノンはアゼルに襟首を掴まれながらも、平気な様子で答えた。
「っ! だったら……」
「やめてアゼル、そんなに怒らないで。ちゃんとみんなに相談しなかった私が悪いんだし、アゼルにも、黙っててゴメンね」
イリアはアゼルの袖を掴んで、申し訳なさそうに俯く。
「いや、お前が悪いわけ、ないだろうが」
そんなイリアの様子を見て、リノンの襟首を掴んでいたアゼルの腕が力なく落ちる。
「ふう、ようやくこれで建設的な話ができるね。まあさっき確認したけど、イリアの結晶化はまだ初期も初期、いくらでも対応のしようがある。そういうわけでまずはイリアの治療を優先して行動しないかい?」
リノンは掴まれていた襟周りを整えなおして、皆に向けてそう言った。
「異議なし、それでどこに行けばいいのさ?」
エミルは落ち着いて手を挙げ、リノンの考えの内容を確認する。
「まあ目的地は神晶樹の森かな。だけど、そこに直接乗り込むと後々面倒があるから、ここは手順を踏んで湖水教の本拠地、浄水の都ヴァージンレイクを目指すとしよう」
「何でだよ、直接行けるならそっちの方が早いだろうが」
リノンの回りくどい提案に、アゼルは苛立ちを隠せない。
「そういうわけにもいかないのさ。神晶樹の森への入り口は湖水教の連中が守護している。確かに僕らの戦力なら強引に突破はできるだろう。でもそれをしてしまうとイリアの今後の立場が悪くなる。一刻一秒を争うってほどでもないんだ、正規のルートを使った方がイリアの為だと思うけどね」
リノンはそう言ってアゼルを試すような視線を送る。
「う、わかったよ。イリアにとって一番良い方法を取ってくれ」
アゼルはリノンの圧に負け、素直に今後の方針を委ねた。
「了解、それに避けられる戦闘は避けておくべきだからね。イリアの結晶化のトリガーになったのはおそらく英雄ラクスとの戦いだろう。自分から血を流してその血を結晶化させる荒業を行なったんだ、イリア自身の結晶化が進行してもおかしくなかったはずさ」
「そうか、あの時」
アゼルはその戦いの時を思い出して後悔する。
イリアに無理をさせなければ、戦わせなければと。
だが、そんなことを考えていたアゼルの手をイリアがそっと握る。
「アゼル、何か余計なこと考えたでしょ。私は何一つ後悔していないし、もしあの時に戻ったとしても何度だって同じことをするよ。だから、そんな顔しないで」
「イリア」
アゼルから見たイリアは少し困った顔と、優しい微笑みが混じっていた。
それは、アゼルが悲しい顔をしていたから彼女はどう立ち直らせようか困っている顔であり、かつての選択に確かな誇りを抱いているからこその揺るぎない微笑みだった。
「はいはい、アンタらいちいちイチャつかないの」
そんなイリアとアゼルのやりとりにエミルが呆れたように茶々を入れる。
「誰がイチャつい、…………てるよ! 悪かったな」
「!? 認めたでござる?」
アゼルのまさかの肯定に驚くシロナ。
「はは、面白い面白い。そうさそのくらい吹っ切れてくれた方が僕も親近感がわくものさ」
「お前に親近感を持たれるとか人として終わっているんだが」
「人として終わってるとか魔王が何を言うのやら、だよ。さあそれじゃあ目的地は決まったし、やることはいっぱいある。そしてキミらもいい加減に知るべきだ、勇者と聖剣、そのルーツをね。神晶樹の森、そこに全ての答えがあるのだから」
リノンは芝居がかった様子で両手を広げる。
まるでイリアたちをどこかへと誘うかのように。
彼らの物語も半ばを過ぎ、一枚、また一枚と伏せられていたカードが裏返されていく。
リノンが語る神晶樹の森で明かされる秘密とは一体何なのか。
それは希望をもたらすのか、それとも確かな絶望を突き付けるものなのか。
イリアとアゼル、二人は一緒にいてはいけないのかもしれない。
勇者と魔王、二人は一緒にはいられないのかもしれない。
それでも二人が手を伸ばすのは、二人が手を繋ぐのは、
そして二人が手を離さないのはきっと────
生きているのだから誰かを愛し、憎むことだってあるだろう。
綺麗なだけの恋なんて、世界のどこにもありはしない。
それでもきっと、握ったその手さえ離さなければ、この恋愛譚はいつまでだって続いていく。
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