第225話 ジェロアの研究

 ハルモニア大陸の東端の大国、最果てのハルジアにて、


 その王城の地下の研究室で魔族の科学者ジェロア・ホーキンスが歓喜の声を挙げていた。


「クヒ、クヒッ、キャハハアハハハ!!!! 最高だ最高だ! 天才か私は? ああ天才だとも。ワンダフル!! デリシャス!! ん、デリシャス? まあいい、何はともあれグッジョブだ!」

 ジェロアは気持ち悪いほどのテンションで小躍こおどりを繰り返している。


「順調だ、順調すぎるくらいに順調だ。まさか最難課題のアレが一番先に完成してしまうとはな。まあ幾分調整は必要だろうが、これまでのハードルと比べれば些事だ些事。まあ、あれだけの高純度魔石をどこから都合してきたかは知らんが、こういう時にスポンサーが強いと研究が実にはかどる」

 独り言を口にしながらジェロアは大きな机の上に置いてあるソレを手にする。


「うむうむ、美しい。ここまでくればコードの書き換えも必要ないだろう。そもそも素体の人間性に悪影響が出るなど、私からしてみれば関係ないことだしな」

 ジェロアが手にしているソレは、まるでシロナの魔石核を一回り小さくしたかのような球状の魔石であった。その魔石の中には複雑怪奇な回路が幾重にも刻まれている。


「どうだジェロア、進捗の方は」

 すると突然、彼の後ろから低く威厳ある声がかけられる。


「!? 賢王グシャか、クヒッ、せめてこの部屋に入る時に一声欲しいものですねぇ」

 ジェロアは驚きつつも慇懃無礼な態度で物申す。


「すまんな、貴様がはしゃいでいたようなのでつい水を差すのを躊躇ってしまった。してそのコアの具合はどうだ?」


「ヒヒッ、まあ概ね問題ないでしょう。これを埋め込めば数日程度でアレが発現するようになります。クヒッ」


「だが、人格に対する影響が残っているのではなかったか? そちらは解決したのか?」


「まあ戦闘に影響ない程度には、────1年ほどで発狂して死ぬかもしれませんが」

 ジェロアは後半の言葉は小声でサラっと済ませようとする。


「ふむ、それでは十分に有効とは言えんな。確かに半年だけでも性能が維持できれば目的は達せられるが、だがそれで人的資源をみすみす失うのは惜しい。どれジェロアよ、その魔石核を見せてみるがいい」

 そういって賢王グシャはジェロアから魔石核を取り上げ、そして頭上の明かりで透かして魔石核の中の回路を覗き込む。


「なるほどな、αラインとγラインがどちらも人体頭部に向けての魔力循環を促している所為で人格変容を起こしているのだろう。ジェロアよ、このγラインをΘ方向に順列で繋ぎ直せ。そうすれば多少の人格影響は出ても発狂までには至るまい」

 グシャは魔石核を角度を変えながら検分して、そう結論付けた。


「─────は?」

 だがそれはジェロアにとってはあまりにも規格外過ぎる発言だった。

 そも魔石核を覗き込んで分析するということ自体がおかしいのだ。


 本来は分析・再構成をするにしても、魔石核の中の立体的な魔積回路を平面図に興した上で不具合を検討して、それを再度立体的に組み直すという面倒な工程が必要なのである。


 できることならジェロアもそのような作業は簡略化したいのだが、それを実現するには人の頭脳が三つや四つあったとしても足りないだけの演算能力が求められる。そのため研究者として一流であるジェロアであっても煩雑な手間をかけながらこの魔石核の調整を繰り返していたのだ。


 それを、目の前の賢王グシャは僅か一瞬の分析で済ませてしまった。

 もちろん彼の分析が正確かどうかは実際にコードの書き換えを済ませなければわからないことである。


(だが、おそらくこの男の言う通りなのだろうな)

 ジェロアは忸怩じくじたる思いでグシャから魔石核を受け取る。

 彼が手にするこの魔石核も、グシャがいなければ完成が何年先になっていたかわからないものであった。


 もちろん主となって研究に取り組んでいたのはジェロアだが、彼が研究に行き詰まると必ずグシャが現れて的確な助言を残していくのだ。


「クケッ、そのライン変更であれば3日もあれば終わるでしょう。……それで、依頼していた戦闘に適した魔積回路の収集は進んでいるのですかな? さすがに私でも全ての回路をこの短期間で完成させるなど不可能ですので」

 ジェロアは話をすり替えるように机に並んだ複数の武器に刻まれた回路に目をやる。


「ふむ、そちらはやや難航しているところだ。戦闘で実用的な回路は数が限られているのでな。時間はかかるが魔法使いの里にもあたってみている。それで主要属性は何とか用意できるだろう」


「となると問題は設定された期限までの残り時間ですな。たとえ回路が用意できても仕込みまでの時間がなければ話になりませんぞ」

 ジェロアは頭をガリガリと掻きながらグシャに向けて悪態をつく。彼にとっての一番の懸念事項がこの明確に定められた『期限』なのである。


 これさえなければ彼のペースでゆったりと研究に打ち込み、賢王の助力なしに自分だけの成果をいとおしむことができるはずなのだ。

 しかしグシャはこの期限についてだけは頑として譲ろうとはしなかった。


 それはまるで、来るべき『ある日』だけを見据えているかのように。


「ひとつの研究が遅れるのであれば、もうひとつの研究の完成を早めれば良いだけの話」


「もうひとつ? ああ、オートマタ関連の話ですかな? アレはもう手の打ちようがないでしょう。理論が完璧なことは証明できましたが、いかんせん時間が絶対的に足りない。防護素材に魔素を馴染ませるという発想は革新的だったのですがな」

 ジェロアは実に惜しいという表情をしながらも、もう間に合わない研究だと匙を投げていた。


「はあ、せいぜい1体2体であればなんとかなるものを、1000体などとそもそもが無理な話。オートマタも既にここへ納品されてしまいましたが、いったい誰があれに手をつけるというのですか?」


 ジェロアは辟易とした顔でこの巨大な地下室の奥に並ぶ数えきれないほどのオートマタに目をやる。


「ジェロアよ、理論の完成と技術の完成とは別のモノだ。世界の未知、可能性を切り開くことにかけてお前は優秀だが、生産にあたってはそれとはまた違う才が必要なのだ」

 賢王グシャは静かに語る。


 それと同時に研究室の扉が再び開いた。


「賢王グシャ、カイナスであります。ただいま帰還いたしました」

 扉からは白い鎧を纏ったグシャの側近、白騎士カイナスが現れる。


「王の望まれた人物を無事お連れいたしました」

 そういってカイナスは彼の背中に隠れていた人物を前に案内する。

 出てきたのは筋骨隆々で体の大きな浅黒の男。


「たく、どうしてもっていう頼みがあるからと来てみれば、いったいなんだここは。おれに何をさせようってんだか」

 魔人にして稀代の聖刀鍛冶師、クロムの姿がそこにあった。

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