第224話 ルシュグルの最期、万死をこえて

 ユリウスとルシュグルの決闘が行われた翌朝、大境界にもっとも近い人間の都市であるフロンタークの広場では大きな人だかりができていた。


 広場の真ん中には巨大な杭が打ち付けられ、そこには一人の男が縛り付けられている。

 その人物には両腕がなく、彼の頭上には一枚の紙が貼ってあり、そこにはこう書かれていた。


『この魔族の男、ルシュグル・グーテンタークは昨年の魔族の大侵略、そして先日の浮遊城の侵攻を企てた張本人である』と。



「おいおい誰だよこんなことしやがったのは? だいたいこんな張り紙本当なのかよ」

 人だかりの中から一人の男が前にでて、縛られて気を失っているルシュグルの頬をパチパチと叩く。


 するとルシュグルはその刺激によって目を覚ました。


「!? 何だここは? 何だお前たちは? 来るな、触れるな! 人間ごときが私に近づくな!!」

 意識を取り戻すと待っていた目の前の現実に、ルシュグルは狂乱したように暴れる。

 しかし両腕を失った彼ではいくらもがこうと、その縛りをまったく抜け出せない。


「おいおい、人間ごときって。コイツは本当に魔族なのかよ」

 ルシュグルに近づいた男は嫌悪感を込めた目に変わった。


「くそくそくそっ! 何でお前たちの前でこんな無様を。クソッ、魔素も上手く操作できない。まさか、あの薬を飲まされたのか?」

 周りの人間たちを殺してしまおうと魔素を放出しようとしたルシュグルだが、身体から少量の魔素が滲み出るのみである。

 そしてルシュグルはこの状態に心当たりがあった。

 まさに彼自身がかつてセスナ・アルビオンの自由を奪った薬である。


「おい気をつけろ! あまり近づきすぎると魔素でこっちがやられちまうぞ」


「だがこのままってわけにもいかんだろ。それに魔族だってことは確定なんだ、さっさと殺してしまおうぜ」

 ルシュグルが魔族だとわかったことで彼をこのまま処刑しようという声があがり始める。


「だったら石打ちでいいだろ、それならこっちも安全だ。おい街中の奴に声かけて、あと石もありったけ持ってくるんだ」


「はは、そりゃあいい。魔族の公開処刑なんて最高だな!」


 そしてものの半刻ほどでルシュグルに対する石打ちの処刑の用意がなされた。


「ふざけるなふざけるなふざけるな! 何故私が人間ごときに、ありえないありえないありえない!!」

 ルシュグルは歯をガタガタと震わせながら目の前の光景に怨嗟の声をあげる。


「うるさいんだよ魔族が! お前たちのせいでどれだけの人が死んだと思ってるんだ!」

 先陣を切るように一人の青年が全力で石を投げつける。


 しかしその石はルシュグルの頭の横を勢いよく通り過ぎていく。


「何やってんだお前は、よく狙え。それにひとりひとり投げたって埒があかねえよ。みんな一斉に投げればいいんだ。どうせ相手は魔族、ちょっとやそっとじゃ死なねえよ」

 一人のリーダー的な男性が前に出て、集まった群衆に指導する。


「それもそうだ、何十回だろうと今までの恨みをぶつけてやるよ!」

 いよいよと堰を切ったように集まった群衆が皆ルシュグルに向けて石を投げ始める。

 素人の投石ということもあり外れる石も多かったが、それでも200人を越える人々の石は確実にルシュグルの肉体を打ちのめし、抉り削っていった。


 中には怪力の持ち主によって頭の大きさほどの岩も投げ込まれ、それがルシュグルの頭部にクリーンヒットして彼の眼鏡を打ち砕き、額からの流血が止まらなくなる。


 人々は歓喜していた。


 今まで泣き寝入りをするしかなかった魔族を相手に直接復讐をできることに。


 人々は興奮していた。


 人間たちを弱者だと見下していた魔族を相手に、一方的に暴力をふるえることに。



 そしてルシュグルは、それらの人間を見てどう思ったのか。



 彼らの瞳には確かな憎悪があった。


 彼らの行動には燃え盛る憎しみがあった。


 だから彼は悔しくて堪らなかった。


 こんな、こんなくだらない生き物に自分は殺されるのかと。


 自身の最期が何故ここまでも惨めなものなのかと。


 彼は、彼が死の淵に追いやった数多の命のことを棚に上げて、自身の今を悲嘆していた。


 投石の一発一発が彼の寿命を削っていく。


 だがそれは上級の魔族である彼にとっては一本一本ずつ針を刺されるかのような微かな苦痛である。

 あと何百発、何千発の投石をもって、彼は死を迎えることができるのだろうか。


 定まらない意識の中で、ルシュグルがそんなことをぼんやりと思い始めた時、


「やめてください!! 一体何をしているんですか!?」

 一人の少女の声が辺り一帯に鳴り響く。

 いや、それだけではないその声をあげた少女は身を張ってルシュグルの前へと飛び出したのだ。

 歳の頃は15過ぎだろうか。二つに分けたおさげが特徴的な、どこにでもいるような少女だった。

 当然集まっていた群衆は慌てて投石を止める。


「おい、なんてマネをしてるんだ危ねえだろうが!」

 

「恐ろしいことをしてるのは貴方たちの方です。身動きのできない方を寄ってたかって石打ちにするなんて人のすることではありません」

 少女は群衆の前に立つ恐怖におびえながらも、毅然とした態度で自分の意見を口にする。


「だがソイツは魔族だぞ。それに魔族の侵略の手引きをしたのもソイツだって紙に、」


「そんなの、何の確証もないことじゃないですか! よくよく調べもせずに、こんな両腕を失くした方に容赦なく暴力を振るうなんて酷すぎます。きっとキチンと話し合うことができれば、誤解も解けるはずじゃないですか?」

 多くの大人を前に、少女は語る。

 彼女は人の善性を信じていた。

 だから、ほんの些細なきっかけで人間たちが悪鬼になってしまうことが見過ごせないのだ。


 だが、


「うるさいんだよお前! いい子ぶってんじゃねえ」

 そんな彼女に群衆の内の一人の少年から石が投げつけられる。

 そしてその石は少女のこめかみに吸い込まれるように直撃した。


 当然ながら、石をぶつけられた少女は倒れ込む。


「おい、馬鹿! 何やってんだよ」

 石を投げた少年の周りの人々がすぐさま彼を非難する。


「い、いやまさか当たるだなんて」

 少年も頭に石が直撃するとは思っていなかったのか、青ざめた表情をしていた。


「だ、大丈夫、ですから。私は、立てますから」

 そんな中で石を投げつけられた少女は、ゆっくりと立ち上がる。

 そのこめかみからは赤々とした血が流れていた。


「そこの彼を、責めないでください。きっと、間違っているのは私なんですから。憎い気持ちは、きっとどなたにでもあるでしょう。殺したいほどの憎悪を持っていたとしても、何の不思議もないと私は理解しています」

 血を流しながらも少女は毅然と群衆を見つめて言葉を紡いでいく。


「おい、よく見りゃあの女の子はミーナじゃないか?」


「ミーナ? ああ、こないだの浮遊城の侵攻で兵士の父親を亡くしたっていう?」


「この前の葬式の時も声をあげて泣いてたじゃないか。…………亡骸の入っていない棺の前でずっと」


「それなのにあの子は身を賭して魔族をかばおうっていうのか? 彼女こそ殺してしまいたいほどに連中が憎いだろうに」


 血に濡れた少女の言葉に、徐々に群衆の空気が変わっていく。


「魔族を、彼らを害したい気持ちはわかります。でもこんなカタチではないでしょう? こんなカタチで、自分たちの心を獣に堕としてまで彼らに牙を剥くのなら、私達も彼らと何ら変わりはありません。本当の本当に私達の仇の張本人であるならともかく、どこの誰とも知らない誰かを都合の良い生贄にしていいわけがありません」

 ルシュグルを守るように背にして、少女は自身の気持ちを皆の前に吐き出した。


「「「…………………………」」」

 響く沈黙。

 誰もが彼女のように割り切れるわけではない。

 しかし、誰よりもつらい思いをした少女が赦そうとしている中で、再び石を手にできるものはその場にいなかった。



 そしてルシュグルは、感動していた。


 自分の前で、自分を守ろうと立ち塞がる少女を見て、どこからくるとも分からない感情で涙していた。


 今までゴミだ害虫だと思っていた人間の中に、こんなに尊い者がいるのだと知った。


 自身の身を盾に、自身の仇を救おうとする目の前の少女は、彼にとって紛れもない聖女だった。


 もし、もしも赦されるのなら、彼女の為に残りの人生を捧げてもよいと思えるほどに。



 そこへ、空から一つの首飾りがルシュグルの前に落ちてくる。

 空を見上げると一羽の黒い鳥が悠々と街の上空を旋回していた。


「!? アレはアルト様の魔鳥、何故ここに?」

 疑問を抱きながらルシュグルは目の前に落ちたソレを凝視する。

 ソレは、昨日アルトがルシュグルの首から引きちぎったはずのモノだった。

 その首飾りに付いている黒い魔石。ルシュグルは知る由もないが、アルトがメモリーストーンと呼んでいるソレが鈍く輝き始める。


 そしてメモリーストーンから、ある映像が流れ始めた。



『見ろ! カッサンドーラ。必死に武器を掲げて奴らは戦えているつもりなのか? これでは、───────まるでゴミが人のようではないか! カハッ、ハハ、ハハハアハハハ!!!』


 その映像には、浮遊城の指令室から命懸けで戦いに挑む人間たちを嘲笑するルシュグルの姿が映し出されていた。


『そんなに面白いのかルシュグル』


『楽しいに決まってるじゃないですか。害虫を一気に駆除できる爽快感といったらもう』

 その映像で、ルシュグルは喜々として笑っていた。


『いいじゃないですか。今はその力が思いのままにゴミクズへと揮えるのですから』

 その映像で、ルシュグルは人間の兵士たちを笑いながら一人一人殺していた。


『分かってませんねぇ、カッサンドーラは。一斉に殺してしまってはつまらないではないですか。ああいった害虫は一匹一匹潰していくとですね、───────────何故か心がスッキリするのです』

 その映像で、ルシュグルは悟ったような微笑みをして、人間たちを無惨に殺していた。



「「「───────────────」」」

 その映像は、この場に集まった群衆の全ての目に映った。


 当然、ルシュグルを庇おうとした少女ミーナの目にも。


 一瞬の静寂。


 ミーナはゆっくりと振り返る。

 その顔は血に濡れて、彼女の瞳は憎悪などと評するには生温いほどの憎しみの業火で燃えていた。


(やめて、やめてください)

 ルシュグルは、言葉を口にすることすらできずに心の中で祈りを捧げた。


 ミーナはゆっくりとルシュグルに近づいて、緩慢な所作で彼の近くに落ちていたへと目を向ける。


(お願いです、赦してください、何でもします、何度でも謝りますから)

 ガクガクと口元が震えるなか、ルシュグルは必至に心の中で懇願を繰り返す。


 憎しみが肉体の限界を凌駕したのか、ミーナは重量感のあるその岩を持ち上げて、ルシュグルの眼前で大きく振り上げた。


(だから、お願いです、君が、よりにもよってアナタが、そんなで私を見ないでくださッ)


 そしてミーナは、まぎれもない憎しみと、正当な復讐心をもって、その岩をルシュグルに向けて振り下ろした。


 それを皮切りに、群衆が一斉にルシュグルに向けて押し寄せる。


 投石などという理性的な行為はもはや不要。


 このフロンタークで起きたあらゆる不幸の根源たるルシュグルを、みんな自分の手で殺してやりたいと人間性などかなぐり捨てた憎悪を剥き出しにする。


(やめて、おね、がい。やめてください。わたしを、わた、しを、むしみたいにコロさない、で──)


 数多の暴力が、数えようのない憎しみが、一つの命を容赦なく塗り潰していく。



 その日ルシュグル・グーテンタークは、虫けらのように見下していた人間たちによって丁寧に踏みにじられ、万死など生温い残酷さをもって絶命した。

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