第223話 敗者

 ルシュグルとユリウスの決闘、まず先手を繰り出したのはルシュグルだった。


 自身の魔剣を左手に顕現させて、先手どころか勝負そのものを決定しようとする。


「四方より固定せよ、グーテンベル……」

 だがその前に、

「自壊せよグーテンベルグ」

 魔剣グラニアを手にしたアルトの命令が鳴り響く。


 彼女の宣言とともに粉々に砕け散るルシュグルの魔剣。


「な、アルト様いったい何を!?」

 決闘開始直後のアルトの横槍に驚きと憤りを隠せないルシュグル。


「何を驚くルシュグル、貴様は自らを四天王と称したほどの男であろうが。それが子供相手に初手から魔剣を使うとは情けない。多少の力の差は妾がならさせてもらうぞ」

 ルシュグルの怒気すらそよ風のように受け流して淡々とアルトは答える。


「むしろ驚かされたのは妾の方じゃ。グーテンベルグが壊れたということは、ルシュグル貴様が妾に多少なりとも負い目を感じているということ。ふふ、幼気いたいけな少女を傀儡としようとしたことが少しは心苦しかったのか?」

 アルトはククク、と口元で笑いを堪えていた。


「世迷言を、この程度で戦いも知らない少年と並べられたなどそれこそ屈辱」

 ルシュグルはすぐさまに切り替えて自身の魔素骨子を左腕から歪な剣のように伸ばしてユリウスへと駆けていく。

 彼は内心で理解する。これは決闘などではなく処刑の場なのだと。


(だとしたら笑いぐさだ。まさかあの小娘はこんなものが処刑になるとでも思っているのか? 魔剣を失ったところで10年も生きたかどうかわからない少年が100年近い戦いの年月を重ねた私に敵う道理などない。この少年とそこの少女の首を撥ねて、今度こそどちらが主人なのか教え込みましょう)


 不穏な笑みを浮かべながらルシュグルは間合いに入ったユリウスに向けて自身の左腕を振るう。


「!?」

 しかし不思議なことにルシュグルの腕から伸びる魔素骨子は完全に空を切っていた。

 ユリウスは完璧と言っていいほどの最小限の動きでルシュグルの攻撃を躱し、今度は腰に差していた護身刀を抜いてルシュグルの無防備な胴へ向けて斬り込んだ。


「ぐはぁっ」

 思わず苦悶の声をあげて数メートル後方へ飛ばされるルシュグル。

 彼の腹部からは薄っすらと刀傷ができており、そこから血が流れていた。


「子供だと思って侮ったなルシュグル・グーテンターク。俺はエミルさんやシロナに修行をつけてもらったんだ。お前の攻撃なんて当たるものか!」

 ユリウスは護身刀を構え直してルシュグルへと啖呵たんかを切る。


「く、油断した、のか? この私が? それに何だその刀は? 聖剣でも聖刀でもないようなのによく切れる」

 ルシュグルは傷口を押さえながらゆっくりと立ち上がる。


「だがこの程度で勝った気にならないで欲しいですね。 業炎の血潮フレイム・ブラッド!」

 彼は傷を押さえていた手を振りかざしてユリウスに向けて血液を撒き散らす。そしてその血が燃え盛る火炎となってユリウスへと襲いかかった。


「うわぁ!」

 突然のルシュグルの反撃に驚くユリウス。

 業炎は彼を逃げ場なく包んで燃やし尽くそうとする。


「ユリウス!!」

 思わずカタリナが駆け寄ろうとするが、それはアルトに止められてしまう。


「やめよカタリナ、ユリウスの戦いを穢すでない。それによく見るのじゃ」


「え?」

 カタリナが目を凝らすと、業火の中をユリウスが駆け抜けて飛び出してきた。


「なんだと!? 何だというのですその刀は!?」

 あまりの出来事に驚愕するルシュグル。

 彼にはユリウスの持つ護身刀から発する淡く青い光が確かにユリウスを火炎から守っているのが目に見える。


「熱い、けど耐えられる。クロムさんが、俺を見守ってくれている!」

 炎の中から駆け抜けたユリウスはそのままの勢いでルシュグルへと迫っていく。


「くそっ、ふざけるな!」

 動揺しながらも新たな術を繰り出そうとするルシュグルの手のひらを冷静にユリウスは切り裂き、そのまま肩をぶつけるように体当たりをして彼を地面へと倒す。


「これで、終わりだ。父様たちの仇!!」

 ユリウスは地面に倒れ込んだルシュグルへ向けてそのまま刀を突き立てようとするが、その時。


「!? え、何で? 父様?」

 腕を振り下ろそうとしていたユリウスの動きがピタリと止まる。

 突然ルシュグルがユリウスの父親の姿に変化していたのだ。


「??」

 そして困惑しているのはルシュグルも同様だった。

 彼には何故ユリウスが動きを止めたのかがわからない。

 しかし、すぐにカッサンドーラが彼女の魔剣を抜いていることに気付いて状況を把握する。


「なるほどカッサンドーラの魔剣の『幻影』の力ですか、だがこれは良い。おお、ユリウスよ、この父にその刃を突き立てようと言うのか? またこの父に死の苦しみを味合わせようと言うのか?」

 ルシュグルはユリウスの父親に成りきってそんなセリフを口にする。


「く、このっ」

 ユリウスとてこれが幻影であることにはすぐに気付いている。

 しかし彼には父親を、無念の中で死に絶えてしまった父に刀を振り下ろすことができなかった。


「ハハハハ! ああ甘いのですよ少年!!」

 そんなユリウスの顔面をルシュグルは渾身の力で殴り返した。


 激しく飛ばされるユリウス。

 ルシュグルはすぐさま立ち上がってユリウスの上に跨って、彼の顔を何度も拳で打ち付けた。


「ハハ、ハハハハ!! これならば躱すも何もないでしょう。まったく! こんな! 子供が! 私に! 傷を! 付けるなど! 赦されない!!」

 ユリウスに刀で斬られて血のにじむ左手でルシュグルは間断なくユリウスを殴り続ける。


「アルト様! 今のは明らかにあの女の加勢がありました。あんなこと許されていいわけがないです。どうかユリウスを助けてください!!」

 すでにカッサンドーラの幻影は解けているが明らかな不正であり、目の前で続く悲惨な光景にカタリナはアルトへと助けを求める。


「──────────」

 しかしアルトは黙して何も語らない。


「くだらないくだらないくだらない! 魔剣すら生えてこないガキが私に歯向かってくるなどくだらない!! さあいい加減にアナタの父君のもとへと送って差し上げましょうか」

 ルシュグルは拳を大きく振りかぶってユリウスへトドメの一撃を加えようとする。


「ふざ、けるな。くだらないのはお前だ、みんなのもとへ行って赦しを乞わなければいけないのはお前なんだ!!」

 死に至る拳が振り下ろされる瞬間、ユリウスは毅然と迫りくる死を見つめて、それに抗い続ける。


 刹那、血が激しく飛び散る音がした。



「へ? 何故?」

 間の抜けたルシュグルの声。

 同時に彼に残されていた左腕が、ボトリと地面に落ちる。


 そしてユリウスの手には、その腕を斬り落とした黒き魔剣が。


「何だと!? この土壇場で魔剣に目覚めたのか?」

 カッサンドーラの驚く声。

 ユリウスの手に新たに生まれた剣は、小ぶりではあるが確かな可能性に満ちた光を放っている。


「ひ、ひぃ。腕が、私の腕が、どっちも、どっちも落ちてしまった」

 ルシュグルはユリウスに馬乗りになったまま狂乱したかのようにもはや存在しない両腕で虚空に何かを探し続ける。


「いい加減に、俺の上からどきやがれ!!」

 ユリウスは全身の力を振り絞って上体を起こして、ルシュグルを撥ね退ける。

 強引に立たされたルシュグルはそのままたたらを踏んで後方へと転んでしまった。


「ひぃ、ひひひひぇ。あれ、立てない、立てない立てない。腕、腕がないと立てない」

 地面を背にして転倒したルシュグルは、まるで手足をもがれた虫のようにジタバタと転がり続けている。


「く、くそ。トドメを、アイツに、トドメを!」

 一方で殴られ過ぎたユリウスもフラフラな様子でルシュグルへと近づいていく。

 しかし、意識を保つのも難しいのか、ふと彼が手にした魔剣が霧のように消えていった。


「!? 何で? クソ、まだ上手くコントロールできないせいか。でもまだ」

 ユリウスは魔剣を失い、それでもルシュグルへと距離を詰める。何故なら彼の手にはまだ一振りの刀が残っている。


「殺す、殺す、コイツを殺すんだ! みんなの仇、父様の仇! こんな、こんな奴がいるから世界は!!」

 いよいよルシュグルの頭の近くまで来たユリウスは、刀の柄を逆手に、両手で大きく振りかぶる。

 眩暈で今にも倒れそうな自分を堪え、正確に、外さないように狙いを定める。


 例え聖刀、聖剣にあらずとも、この無防備な頭蓋に刃を突き立てれば即死は免れない。


「ヒ、ヒェエ!! ヤメロ、ヤメテ、殺すな、殺さないで、頼む、お願い、命令だ!!」

 自身の死を直感して必死の懇願、そして命令をするルシュグル。

 それを聞いてユリウスは瞳の中の憎悪の炎をより一層燃え上がらせその刀を、


「ダメ! ユリウス、その刀を下ろしちゃダメ!!」

 振り下ろすことは許されなかった。


「カタリナ! 何で邪魔をする、離せ! コイツが殺せない」

 今まさにルシュグルへと断罪の刃を突き立てようとするユリウスをカタリナが後ろから抱きしめて止めようとしていた。


「ダメ、ダメなのユリウス」


「何がダメなんだカタリナ! コイツは俺たちの親を殺したも同然の男だぞ」

 カタリナの行為が理解できないユリウスはそれこそ彼女までをも害してしまいそうなほどの憎悪を撒き散らす。


「違うの、そうじゃないのユリウス。そんな気持ちで、そんな憎しみで濁った心でその刀を使っちゃいけないの。その刀は、クロムさんが私たちをにくれた物でしょ?」


「!!」

 カタリナの精一杯の言葉に、動きが止まるユリウス。


「その刀を憎しみで殺す為に使ってしまったら、きっともうクロムさんに胸を張って会うことはできないよ。笑って良かったねってお話しすることなんてできなくなるよ」


「──────────」

 ユリウスは言葉を失い、振り上げたはずの腕が力なく落ちる。

 彼は手にした刀を見つめる。護身の為に渡された、大切な一振りを。


 美しい刀身に月光が差し、この世のモノとは思えない淡い輝きがユリウスを照らし返す。

 ただそこにあるだけで明鏡のように美しく、それ故に憎しみで濁っていた心すら止水のように静めてしまう


「わかってる、カタリナ。この刀はこんな奴の血で汚すためにあるんじゃないってこと」

 ユリウスの目から憎しみの光が消えたわけではない。

 ただ、その燃えたぎっていた憎悪は静謐の結晶として彼の瞳に収められている。

 

「ルシュグル・グーテンターク、お前を感情にまかせて殺すなんてことはしない。父達の無念を晴らすため、貴様の首をここではねる」

 ユリウスは護身刀を鞘に収め、一呼吸をおいて自身の魔剣を顕現させた。


「魔剣ゼクロム、この一刀で全てを絶つ」

 黒く月の光に濡れた魔剣を振りかぶり、ユリウスは今度こそ仇敵の首に向けてそれを振り下ろした。


「そこまでじゃ、ユリウス」

 しかし、その決意の一刀はアルトの一声によって止められる。


「!? 何故ですかアルト様! これでようやく決着がつくというのに」


「決着ならついている。お前の、いやお前たちの勝ちじゃ。かたや横槍を入れて仲間の誇りを貶め、かたやその身を賭して仲間の誇りを守った。だからユリウス、お前がそのゴミのために手を血で汚す必要はない」

 アルトは静かに前に出てそっとユリウスの肩に手を置く。


「こやつの最期の始末は妾がつけよう」

 そういってアルトがさらに一歩前に出るとルシュグルの足先から徐々に黒い魔石に覆われていく。


「ひ、ひぃ、アルト、様」

 少しずつ肉体の自由を奪われ、恐怖で顔が引き攣るルシュグル。


 そしてそれと同時に離れた場所でドスンと何かが倒れ込むような音がする。

 ユリウスたちが振り向くとそこには後ずさりをしようとして尻餅をついているカッサンドーラの姿があった。


「なんじゃまだおったのか? え~と、カサ、カサ、…………何だったかの。まあよい、妾はお前までわざわざ手にかけるような真似はせん。好きなところで朽ち果てるが良い」

 アルトはカッサンドーラへついぞまともな視線を向けることなく事実上の追放宣言をする。


「う、う、うわぁああああ!!」

 カッサンドーラは悔しさと恐怖と、そして何よりも生存本能から奇声を上げながらその場から逃げ去っていった。


「…………良かったのですか? アルト様」

 カタリナは心配そうにアルトを見上げる。


「良い、わざわざ二人分のをするのは妾も面倒だからの」


「??」

 アルトの言葉の意味がカタリナにはよく理解できなかったが、それで構わないといった様子でアルトはルシュグルの顔の近くへと歩み寄っていく。

 もうルシュグルは肩のあたりまで黒い魔石によって固められてしまっていた。

 アルトは彼の首に下がっていた、彼女が以前彼に授けたという魔石付きの首飾りをブチッとちぎり、


「ルシュグルよ、もうこれで貴様と会話をかわすのも最後じゃな」

 彼女は柔和な笑みを浮かべながらもはや口を動かすしか自由のないルシュグルを眺める。


「アルト様! どうかお助けを、お慈悲を!! 貴女をこれまで支えてきた私をお忘れですか!? そう、私は貴女様のためにこれまでも尽くしてきたのです! どうか思い出してください、私達が出会ったころを!」

 ルシュグルはどこまでもみっともなく、最後まで足掻きの言葉を吐き続ける。


「うん、覚えているわよルシュグル。貴方は随分と私に優しくしてくれたわね」

 アルトは口調を本来の自身のものに戻して彼に言葉をかける。

 その瞳は、これから息絶える虫を見守るような慈愛に満ちていた。


「贈り物もたくさんくれた。私の言うことはなんでも聞いてくれた。貴方は私に気に入られるために何でもしたわね」

 優しい口調のまま、アルトは言葉を続けていく。

 それに、ルシュグルは僅かでも赦しの光を感じ取る。


「では! どうかご慈悲お˝っ!?」

 だが、彼の身体の自由を奪い続ける魔石の侵食はいまだ止まらない。ついには彼の口もとまでもが覆われてしまった。


「そうね、貴方はこう考えたのでしょうね。この幼い小娘を自身に心酔させれば、都合よく国を動かせると。そしてあわよくば私を伴侶にして魔王の系譜を取り込もうとまで思ったかしら」

 アルトは優美な仕草で、いまだ魔石に覆われていない耳元に近づいて、


「ねえルシュグル、もしかして貴方、私が貴方のことを好きなのだとでも思っていた?」

 これまでルシュグルが聞いたことのない甘い声で囁く。


 この場に不釣り合いなその囁きに、彼に残された最後の自由である目元はこれ以上ない恐怖でひたすらに歪み、


「貴方、

 アルトの最後の言葉をもって、完全に魔石に包まれてあらゆる自由を失った。

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