第218話 ルシアの気持ち、それでも

 アルトはルシアに向けて手を差し出す、『お前が欲しい』と。


「は? 何を言っているお前は、何でオレがお前の物にならなければいけない」

 対するルシアは当然のことのようにアルトの申し出を拒絶した。


「おや、言い方が少し悪かったかの。魔人ルシア、妾はそなたの力を認めていると言っているのじゃ。その特別な在り方と力を見込んでのこと、どうじゃ妾の側で働いてはみぬか?」

 そんなルシアの拒絶にも構うことなくアルトは手を伸ばし続ける。


「もちろんそなたがそこな勇者にただならぬ想いを抱いているのは承知している。だがそれとこれとは別のことじゃ。好きだからといってその者の周りをウロチョロするのはあまりにも芸がない。その上、相手には確かな想い人もいるのだしな」

 アルトはチラリとアゼルに視線をやってそう言った。


「っ、だからって何でお前のとこなんだよ!? オレは別にどこにだって……」

 そう口にしてルシアは言葉に詰まる。

 自分はどこにだって行ける、それはルシアにとって歴然とした事実だ。これまでだって一所ひとところに留まることなく旅をしてきたのだから。


 だがそれは、裏を返せばこれまでのどの土地にも彼の居場所がなかったことに他ならない。


 そのルシアの逡巡を見逃すことなくアルトはさらに言葉を重ねる。


「何故妾のもとでかと言えば、それはもちろん妾がそなたを求めているからであろう。次期魔王の側に使えるのだ、奉公先としてはこれ以上のモノはなかなかないとは思うが? それに、いつまでも今のように風来坊を気取るわけにもいかないだろうに」

 アルトは迷うことなく一歩一歩ルシアへと歩を詰めていく。


「オレを舐めるな、手前ぇのことは手前ぇで面倒を見る、だから───」

 ルシアは言葉の勢いとは裏腹に一歩後ずさっていた。それは、


「それは、そなたが世界から拒絶されているからか?」


「!?」

 ルシアの核心を突くアルトの言葉。

 その言葉でルシアが動揺した瞬間に彼と彼女の距離はもはや顔が触れそうなほどに近づいていた。


「っ、ああそうだよ! 人間と魔族の間に生まれた半端者なんぞ、受け入れる場所があるわけがないだろ」


「ここにある」

 アルトはルシアの背中に手を回し、彼を抱きしめた。


「な?」


「ここにあると言っている。そなたの生い立ちは父上を追いかける過程で偶然にも覗いてしまい知っている、それは謝ろう。だがだからと言ってそなたがどこにも受け入れられないなどと知ったようなことを言うな」


「何を言ってるお前は、事実──」


「今まではそうだったかもしれんが、それで未来までそうだと諦めるな! 確かにそなたはまともな人間扱いをされなかった、実験動物と同じじゃった。だがどうした、貴様はそれでも己の心を失わなかった強い男じゃ。その男に妾が価値を見出すのがそんなに不思議なことか?」


「オレに、価値が?」

 ルシアはアルトの言っていることがまるでわからないと、呆然としている。


「ああ、そうじゃ。世にも稀な魔人としての在り方、この世で貴様しか持っていない魔聖剣に魔銃。そして何よりも我が魔剣にすら折れることのなかった強い心。それら全ては妾にはどんな宝物よりも眩しく映る」

 ギュっと強く、アルトはルシアを抱きしめた。

 その存在を手放さないように、その存在を許してしまう母親のように。


 そんな二人の様子を他の者たちは気まずい目で見ていた。

 何故なら、アルトはルシアを抱きしめながらも、彼から見えないその表情はニタリと笑っていたからだ。


「いやぁ、魔王アゼル。キミの娘は実に悪い笑みを浮かべるじゃないか」

 小声でアゼルに耳打ちするリノン。


「言うな、まさかアルトのやつこんな甘言かんげんであの小僧を手駒にする気なのか」

 アゼルも実の娘のまさかの行動に頭を抱えていた。


「アルト、ルシアが欲しいって言ってたけどこういうことだったの? 大丈夫かなぁ」

 イリアも彼らの様子と成り行きを不安に見守っている。



 その時、突然ルシアが膝を崩す。

 当然彼を抱きしめていたアルトも同じように腰を落とすこととなり、アルトとルシアが顔を見合わせる形となった。


「────────」

「────────」

 二人の間に流れる沈黙。


 それは、アルトが悪しき笑みを浮かべていたから、ではなく。


 ポタリ、ポタリと降り始めの雨のようにこぼれ落ちる雫。


「──そなた、泣いておるのか?」

 ルシアの瞳から大粒の涙が止めどなく溢れているからだった。


 彼の表情はアルトを見つめたまま変わらない、ただその涙だけが感情のせきが壊れたかのように止まることがなかった。


 その光景を目前で見ているアルトは戸惑いを隠せない。


「こ、こら。男の子が、女の子の前でそんな風に泣くものじゃないでしょ」

 彼女の口調すら大きく崩れてしまっている。


「泣いている? オレが?」

 ルシアは己の目元を拭い、確かにそれが濡れていることを知った。


「す、少しびっくりしたではないか。あまり妾をど、動揺させるな。それでどうするのじゃ? 妾のもとで、仕えてみるか?」

 アルトは慌てて尊大な態度を取り戻しながら、それでも内心の動揺を隠せずにルシアに問いかける。


「悪くはない、話なんだろうな。だが、少し考える時間が欲しい。答えはその後でいいか?」

 そういってルシアは涙を拭って立ち上がる。


「まあ、妥当なところじゃろうな。ではこれを持っていくがいい。これは方位魔石、常に妾のいる方向を指し示す石じゃ。気持ちが定まったのなら再び妾のもとを訪ねよ」

 アルトは懐から手の平大の丸い円盤状の魔石を取り出す。その魔石の中の黒状の点は確かに彼女のいる方向を示していた。


「わかった、気が向いた時には、そうする」

 ルシアはアルトから方位魔石を受け取り、そのままその場を立ち去ろうとして、


「それじゃあ、イリア。今日のところはオレはこれで消える、またな」

 泣き腫れた顔を見せたくないのか、ルシアはイリアたちに背を向けたまま駆け去っていった。



「これは、うまく収まったのか?」

 アゼルが呆然と呟く。


「さあ? 僕には何とも、なるようになるんじゃないかな?」

 あらゆることを見通せるはずのリノンは、適当にそんなことを言った。



「…………まあ、ちょっと予想外の反応ではあったけど、未来への種を蒔いたと考えれば上々かな」

 アルトはややぎこちない仕草で膝周りの草を払って立ち上がる。


「ではお父様、私はそろそろ帰ります」

 心に動揺を残したままアルトはアゼルへと頭を下げる。その時、


「あ、アルト様だ」

 その場に響く明るく幼い声。


「本当だ、アルト様いらっしゃってたんですね」

 馬車の中で眠っていたはずのユリウスとカタリナが起きてきたのだった。


「ん? そなた達は」


「あ、申し遅れました。俺はユリウス・ガトーショコラ、こっちはカタリナ・ザッハトルテと言います」

 アルトの存在に気付いたユリウスは前に出て跪き、カタリナもそれに倣う。


「お前たち、アルトを知っているのか?」

 そのユリウスたちの行動にアゼルは驚く。


「当たり前じゃないですか魔王様。アルト様は今やアグニカルカの内政を完全に取り仕切っているお方ですよ。民の人気も非常に高いんですから」

 

「そ、そうなのか」

 ユリウスの意外に熱のこもった説明に、アゼルも思わず一歩引いてしまう。


「ふふ、わかってはいたことじゃが、直接そう言われると妾もむず痒いものよ」

 アルトはユリウスの賛美がまんざらでもないのか嬉しそうだった。


「それで、アルト様は、どうしてこちらにまで、いらしたのですか?」

 カタリナはおどおどとしながらもアルトに質問をする。


「なに、父上の動向を探りに来たというだけじゃ。どうも色恋の方面で妖しい匂いがしたのでな」

 アルトは口元を手で隠しながらもカタリナに答えた。


「色恋? あ、あぁ」

 アルトの口ぶりで何かを感じ取ったのか、カタリナはイリアとアゼルを一瞥して納得したようだった。


「??」

 対してユリウスは一体何の話かわからないといった様子である。


「さて、二人が出てきたのなら丁度良い、────お父様」


「ん、何だアルト」


「この二人は私がアグニカルカへと連れて帰ります。よろしいですか?」


 と申し出たのだった。

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