第216話 落涙

 アルトは語り終える。


 かつてありし、ひとつの家族の物語を。



 ポタリ、ポタリと雫が落ちていく。


 彼女の話を聞いて、イリアは静かに泣いていたのだ。


「ちょっと、何で貴女が泣いているのよ」

 やや呆れ、そして拍子抜けしたような顔でアルトはそっと手を伸ばしてイリアの涙を拭う。


「だって、だって。そのお姫様が可愛そうで、それだけ魔王のことが好きだったのに、突然置いていかれたんでしょ?」

 アルトが拭ってもなお、イリアの涙は止まらない。


「はぁ、何でそっちに感情移入してるのよ。一応イリアがその魔王を奪った形になってるんだからね。それに、一応ぼかしはしたけど、お母様もお父様と結婚するにあたって相当えげつないことしてたんだし。綿密な根回しから強引なシチュエーション作り、それにライバルの排除だって。全部聞いたらお父様がドン引きするほどよ。まったく、政治には疎いクセにお父様のことに関してだけは異常な行動力を発揮するんだから、我が母ながら恐れ入るわ」

 アルトは本当に呆れたようにそんなことを口にした。


「でも、それはアルトが生まれる前の話なんでしょ? どうしてそんなに詳しく知っているの?」

 イリアは自分の涙を拭いながら、当然の疑問に思い至る。


「ああ、そのこと。私みたいな小娘が国を治め臣下を従えるのに必要なのは力と知恵だからね。力に関しては魔族同士なら1対1で負けることはないけれど、総出でかかられたら今の私じゃ負けてしまう。だからそれを補うためにも色々と威厳を持たせる必要があるの。例えばそれは喋り方だったり、例えばそれは情報だったりね」

 そういってアルトは胸元からひとつの魔石を取り出す。彼女が先ほど外で使用して見せたメモリーストーンだった。


「このメモリーストーンの優れたところは、リアルタイムの情報を集めているんじゃなくてその場にあった過去の情報を収集するというところよ。人が動けば魔素が流動して光と音のジンも滞留する。このメモリーストーンはそのかつてあった出来事を正確に情報として蓄積するの。───こんな風にね」

 アルトは手にしたメモリーストーンをテーブルの上でコロンと転がす。

 するとテーブル上にやや淡い映像ながらもくっきりと二人の人物が映し出される。


『まったく、ヒヤヒヤさせるんじゃないよルシュグル。この場で首が撥ねられるんじゃないかってドキドキしたじゃないか』


『まあまあ、安心してくださいよカッサンドーラ。あの方への仕込みはとうの昔に終わっているのです。口が悪いのは以前からですが、あの方が私に逆らうことなどありえませんよ』


『おい、声が大きい。誰かに聞かれたら大事になるぞ』


『いやいや、分かってませんねぇ。このようなことは噂にでも上がった方が効果的なのですよ。私に危害を加える、もしくは逆らえばただでは済まない。そう周囲に認知されることが重要なのですから』


「!? この人たちは、ルシュグル・グーテンタークとカッサンドーラ・アンブレラ!?」

 映像に現れた二人に対して驚きの反応を見せるイリア。


「流石に勇者ともなればこの二人のことは知っているみたいね。これは私の部屋から出ていった後に彼らが廊下でしていた会話よ。表では媚びへつらっていても少し離れたらこんなものよ。ルシュグルは私を御しうる子供だと思っていて、私はそれを知りながらアイツを泳がす。情報さえ持っていれば、こんな風に立ち回りが断然有利になるわ」

 アルトは自身に満ちた様子でそのことを語った。


「私はメモリーストーンを完成させる過程で城の中にたくさんこれを仕掛けて実験をしていたの。そんなことをしている間に過去にお父様に何があったかとか本来だったら知るはずのない多くのことを知ることができたわ。まあ、人間領域に持ち出せるほどの耐久性を獲得したのはつい1年前のことだけど」


「そうなんだ、ね」

 イリアはアルトの話に頷きながらも、何か思うところがあるようだった。


「……もちろん、今後もこのメモリーストーンを城で使って情報収集を続ける気はないわ。まあ言ってしまえばひどい覗き見アイテムだからねコレ。メモリーストーンを使うことを前提に治世なんて行なったら、それはヒドイ恐怖政治だもの。だからこれはあくまで私が国を治める力を手に入れるまでの補助にすぎない。そして、もう準備は整っているもの」

 静かに決意したようにアルトは言った。


「それにね、このメモリーストーンにもデメリットがあるの……」


「??」

 デメリットがあると言いながらその先を話さないアルトをイリアはキョトンと見ている。


「…………それは、相手の事情、相手の物語を知ってしまうこと」


「???」

 アルトの端的な言葉にイリアはさらなる疑問符を浮かべてしまう。

 そんなイリアを見てアルトは呆れた顔で、


「はぁ、つまりは相手に感情移入してしまうってこと。相手なりの正義があることや、相手にも譲れない理由があることを知ってしまうから」

 寂しそうにそんな言葉を口にした。


「本当はね、私はお父様を連れて帰れなくても仕方ないと思っていたの」


「え?」

 予想外のアルトの言葉に驚くイリア。


「もちろんお父様を連れ帰りたいっていうのは半分以上本気だったわ。だけど、お父様はきっと貴女の側を離れないと思ったから」

 少し複雑な表情でアルトはイリアの顔を見つめる。

 そこには嫉妬と、怒りと、確かな羨望が混じっていた。


「アゼルが、私から離れない?」

 イリアにはアルトの発言が意外過ぎたのか、上手くその意味を飲み込めずにいた。


「私はね、貴女とお父様の旅をずっと見てきた。だから分かるのイリア、貴女は確かにお父様を救っていたのよ」

 

「私が、アゼルを?」


「そう、救ったの。そもそも考えても見てよ。イリア、貴女が見てきたアゼル・ヴァーミリオンは、妻と子供を残して突然失踪するような男に見えた?」

 アルトのその質問に、イリアは強く首を横に振った。


「そうでしょう? ということはそんなお父様がそれでも家族と国を置いて逃げ出したくなるようなことがあったって考えるのが自然だと思うけど」


「それって、一体、どんな理由?」


「それは私も聞かされてはいないわ、だけど見当はついている。私が手にしたたくさんの情報から生まれた空白部分にきっとそれはあるの」


「??」

 イリアには今度こそアルトの言葉の意味がまるでわからなかった。


「別に今イリアが分かる必要はないわ。多分だけど、きっとそのうち貴女も知ることになる。お父様の側にいる限り」

 アルトの意味深な言葉。しかしイリアは、その言葉が指すもう一つの意味の方に耳を疑った。


「アゼルの側にいる限りって、私、アゼルの側にいていいの?」

 まるでそれは、アルトがイリアとアゼルの関係を認めたようにも聞こえたのだ。

 

「う~ん、それは答えに困る質問なんだけど。お父様を想う娘としては、イリアにはお父様の側に居てあげて欲しい。貴女が誰も癒せなかったお父様の孤独を癒し、あの人は貴女の為に前に進もうとしている。私はそんな格好いいお父様を愛しているからその背中は押してあげたい。───まあだけど、お母様の娘としてはコメントに困るのは分かってよ」

 アルトは最後に舌をペロリと出しながらそう言った。


「でも、貴女のお母さんは……」

 心苦しそうに言葉を選ぶイリアをアルトは遮って、


「私のお母様は確かに魔王の妻よ。でも妻だからずっと愛されるなんて保証はない。たった一人を奪いあう競争が、結婚をした途端に終わるなんて甘い話でしょ? だけどお母様はずっとお父様に憧れ続けた。せっかくお互いを理解し合える関係になったのに、それでもお父様に理想の魔王であることを求め続けた。だから結局、家族を得てもお父様は孤独であり続けたの」

 まるで自嘲するかのように彼女は語る。自身もまたアゼルを孤独にさせてしまった一人であるかというように。


「……アルト」


「憧れはそこに近づくためには強い原動力となる感情だけど、それだけじゃ理解には遠く及ばない。お母様は本当は知ろうとしなきゃいけなかったの。無様でカッコ悪いお父様を、弱くて誰かに抱きしめて欲しかったお父様を。だからイリア、それを一番最初にお父様に与えた貴女には魔王アゼルの側にいていい権利がある。そこだけは胸を張ったらいいわ」

 そう言ってアルトはイリアの薄い胸をポンと押した。


「何で突然、アルトは私に優しくしてくれるの?」

 イリアには彼女の行動が理解できなかった。

 敵対したかと思えばイリアの背中を押してくる無軌道な彼女の行動理由が。


 その疑問に対しアルトは、

「それは私が貴女のファンだからよ。私の大切なお父様を救った貴女を私は尊敬しているの」

 優しく笑ってそう答えた。


「……だけど、初めて会った時に私をぶったよね。『泥棒猫』って」

 イリアはかつて叩かれた頬を押さえながら抗議の声をあげる。


「あれはあの言葉で貴女が一番傷つくと思ったからよ。私、大好きな人たちが傷つくのを見ると興奮するの。だから気にしないで、いいえむしろ気にして」

 アルトは一切の負い目なくそんなことを言いきった。


「いや、さすがにそれは人としてどうなのかな。それにアゼルにキスもしてたし」

 イリアはもう一つの見逃せない事実を思い出す。


「あれ、そんなにおかしかった? お父様はあれだけ美形なんだもの、親子でもとりあえずキスくらいはしておくでしょ。それに私ね、男性的な意味でもお父様のこと大好きなの。一応自重はしているけど、多少のことは見逃してくれないかしら」

 本当にアルトはまったく自身にやましいところはないと、自身の変態的な趣味嗜好もあっけらかんと明かしてしまう。


「やっぱり変態だ。───終わったことはもう仕方ないけど、もう次は見逃さないから」

 イリアはぷくぅと頬を膨らませてそう抗議した。


「はいはい善処善処。さて、そろそろお父様たちもお話が終わってる頃かしら、ってあら、あの魔人が城の中に入ってきてるわね」

 アルトが手をスライドさせて目の前に魔素のスクリーンを作り出すと、そこにはこの城の中を駆けるルシアの姿があった。


「え、ルシアが? 追いかけてきたんだ、なんか彼にも今回悪いことしちゃったな」

 ルシアに関するここ最近の出来事を思い出して、イリアは軽く落ち込む。

 

「ふぅん、随分となつかれてるみたいねイリア。だけどイリアはアレいらないんでしょ。私が貰っていい?」

 スクリーンに映るルシアを見ながらアルトは突然そんなことを言い出す。


「貰うって、ルシアは物じゃないよ」


「知っているわよそんなこと。だけど貴重な存在であるのは間違いないでしょ。貴重で希少、それに彼の持っている武器も特殊だもの。ぜひとも私の近くに置いておきたいの」

 アルトはうっとりとした瞳でスクリーン上のルシアを指でなぞる。それはまるで希少な動物や芸術品を愛でるような視線だった。


「そういうのは良くない、と思うけど。それは私がとやかく言うことじゃないし、決めるのはルシアだから」

 イリアは複雑な表情でそう答える。二度も彼の想いを拒絶した自分には何も言う権利がないとでもいうように。


「あら、それなら私の好きにさせてもらうわ」

 そういってアルトはルシアの映っていたスクリーンを消しさる。


「それじゃあイリア、今からこの城を消して外に出るけど、覚悟はいい?」

 彼女はイリアに問う、アゼルともう一度向き合う心構えはできているのかと。


「……うん、大丈夫だから」

 そう答えたイリアの瞳は、真っ直ぐに前を向いていた。


「────その眼、私好きよ」

 アルトはそうして魔城を霧のように消してしまう。


「────────」

 イリアはただ外で待っているはずのたった一人のことを想う。

 今度こそ、本当の意味で彼と向き合いたいと。

 

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