第214話 アルトとお茶会

 アルトに連れられてイリアが転移した先は、城の中の豪奢な応接室だった。

 城の主であるアルトの嗜好なのか、部屋の中は黒と紫を基調とした調度品で統一されている。


「どうぞ勇者イリア、そちらの椅子に腰かけて待っていて」

 アルトはイリアに着席を勧め、彼女自身は手際良くお茶を入れる用意をしていた。


「あ、はい、ありがとうございます」

 人様の領域ということもあり、イリアは言われるがままに椅子に座る。


「というかイリア良かったの? 今さらだけど単身でこんなとことに来ちゃって」

 本当に今さらながらアミスアテナがそんなことを言ってくる。


「大丈夫だよアミスアテナ。だって、仕方ないでしょ。アゼルの前では聞きたくないこと、いっぱいあるんだもん」

 イリアはスカートの裾をぎゅっと握って少しだけ俯いた。


「はい、お待たせ。お口に合うといいのだけど。少し気が落ち着くんじゃないかしら」

 そこへアルトがティーカップに紅茶を注いで運んでくる。


「あ、ありがとう、ございます」

 そしてイリアも勧められるがままに紅茶を口に含んだ。


「──────────、」

 そのイリアの様子をじっと見つめているアルト。


「?? どうかしましたか? このお茶、おいしいですよ」

 感想を求められていると感じたイリアは素直にそう告げる。


「ああいえ、うふふ。本当に可笑しいなって思って。だってその紅茶、普通の人間なら即死するほどの魔素が入っているのよ。なのに貴女はまるで平気なんて、思わず笑っちゃうでしょ?」

 アルトは本当に我慢できないように、お腹と口元を抑えながらクスクスと笑っている。


「!? 貴女は! 一体何のつもりですか?」

 イリアはアルトの言葉に思わず立ち上がる。


「やあね、ほんの冗談じゃない。まあこれで死んだら面白いなとは思ったけど、多分効かないとは予想してたんだから許してよ。ちょっと待ってて、改めて紅茶を淹れなおしてくるから」

 イリアの剣幕をまったく気にしない様子で、アルトはイリアからカップを取り上げて別室に引き下がり、そこから別のティーセットとお茶菓子、そしていくつかの器具を用意してきた。


「あら、まだ立っていたの? 安心して、今度は真面目に淹れるから。その証拠にここでお茶を淹れるところも見せてあげる。だから、ねえ座ってよ」

 アルトは妖しい笑みを保ったまま、再びイリアに着座を促す。


「……わかりました」

 イリアはやや不満そうではあるが、一応再び椅子に座る。


 彼女が座るとアルトは慣れた様子で魔石に火を付けてお湯を沸かし、茶葉の入ったティーポッドに注いでいく。そしてポッドの中から得も言われぬ味わい深い香りが漂ってきた。


 茶葉から成分が滲み出るのを待つ時間、アルトはその様子をじっくりと眺めている。


「随分と、手慣れているんですね」

 そのアルトの様子を見て、イリアは思わず言葉を漏らす。


「…………そうね、今の私は自由だけど、お父様が消えてからの数年間は軟禁されていたようなものだったから、お母様にこうしてお茶を用意することが多かったの」

 茶葉を見つめる視線は変わらず、アルトはイリアに返事をする。


「でもそれは人間の文化でしょ? 何で魔族の、それも魔王の娘がそんなもの持っているの?」

 そこにイリアは疑問を覚えてしまう。


「いいじゃない人間の文化、私は好きよ。私たち魔族の中からでは生まれてこなかったものだもの。魔族はね、一言で言ってしまえば『魔素』が全て。生命活動に必須ってだけじゃなくて衣服も家も魔素で構成することができる」

 滲み出す紅茶を見ながら、少し寂しそうにアルトは呟く。


 それに、イリアは普段アゼルの衣服が彼の自由自在に調整されていたことを思いだしながら、


「でもそれって良いことじゃないんですか? 服を作るのにイチから裁縫する必要もないし、この城みたいに自分の意思で居住場所を用意できるなら便利ですよね?」

 アルトが何故寂しそうな顔をするのかが分からないでいた。


「そうね、それができる私たちや上級貴族たちは何も不自由はないわ。だけど一口に魔族と言っても色々よ、中にはほとんど人間と変わらないくらい力の弱い者もいる。そういう者たちはね、自分より力が上の者、強い者にすがるしか生きる道がないの」


「────、」

 アルトの発言にイリアは返す言葉を失う。


「私はそんな魔族の社会が良いものとは思えない。強い者は死ぬまで強く、弱い者は死ぬまで弱い、そんな世の中つまらないでしょ? その点、私は人間の文化に可能性を感じているの。魔素に頼らない文明、それであれば魔素を上手く生成できないことで軽んじられていた者たちも自身の才能を発揮できる場所を見つけだせるかもしれない。そうやって自分の人生を謳歌できるかもしれない」

 静かにアルトはそう語る。その姿に、先ほどまでのいさかいの中では感じなかった王の風格をイリアは彼女に感じ取った。


「それじゃあ、アナタは、人間と魔族が手を取れたら、そう思うんですか?」

 一縷の希望も込めて、イリアはその問いを投げる。


「手を取る? どうかしら、交易くらいは結べたらいいとは思うけどね。まあそれも私が正式に魔王になってからの話。お父様、魔王アゼルは人間に対して不干渉を第一方針としてるから」


「そう、ですか。でも可能性はあるんですね。だってもうアナタの所にまで人間の文化が届いているんですから」

 イリアは彼女が紅茶を扱う様子を見ながら、そう期待を込めた。


「コレ? 私の近くにもそういう奴がいて色々持ち帰ってきてたのよ。まあソイツは人間のことが死ぬほど嫌いなのに人間の文化には興味があるなんていう頭のオカシイ奴だけど。───ルシュグル・グーテンターク、勇者なら知っているでしょ?」


「ルシュグル、魔王軍四天王の一人ですね。私たちが討ち果たせなかった」

 イリアはかつての記憶を振り返って思い出す。銀色の眼鏡をかけて陰惨な目をした、全てを裏から操っていたかのような男のことを。


「その通りよ。まあ貴女たちがあの男を取り逃したことについては良し悪しね。そのせいで犠牲になった同胞も多いけど、おかげで私に手番が回ってきた」


「??」

 彼女の言葉が上手くイリアは理解できなかった。ただ、アルトの視線がやや冷たいモノへと変わったのだけは感じ取る。


「さあ、これでいいわ。本題の話に入りましょうか。勇者イリア、貴女は私に何が聞きたいの?」

 準備ができたのかアルトは手際良く紅茶を2つのカップに注ぎ、イリアと対面の席に座った。そしてイリアを試すように、先に紅茶へと口をつける。


 イリアもその様子を見て心を決めたように出されたお茶を口にする。

 わずかな緊張の後、胸の中に広がっていく暖かな温もりをイリアは感じた。それによって落ち着いた心で、彼女はついに本命の質問を切り出す。


「まず、確認からさせてください。貴女は、アルト・ヴァーミリオンは、魔王の、アゼルの子供で、間違いないんですね?」

 言葉を詰まらせながら問いかけるイリア。その瞳には、違っていて欲しいという切なる願いと、おそらくは自分の望まない真実が返ってくるだろうという確信めいた予感が揺らめいていた。


「間違いないわ。私は魔王アゼル・ヴァーミリオンの娘。それは養子だとか仲が良くてそう呼び合ってるだけとかそんなことはなくて、正真正銘の血の繋がった親娘おやこであるということよ。あと、私のことはアルトでいいわ。私もこれからは貴女のことはイリアと呼ぶから」

 アルトはイリアの瞳を真っ直ぐに見つめてそう言葉を返した。


「そう、なんですね。──────わかりましたアルト。では次の質問です、貴女のお母さん、つまりはアゼルの…………奥さんは、今どうしているんですか?」

 イリアにとって一番掘り下げたくない疑問。しかし彼女は自身の中身全てが口から飛び出そうなほどの苦しみを堪えて、アルトにその質問を投げる。


「まあ普通は、そこが一番気になるわよね。あっさり答えを言っちゃうと、私のお母様は今も元気にしているわ。どう、残念だった?」

 アルトは組んだ両手に顔を乗せてイリアの表情を見つめる。まるでイリアの心が揺れる様子を愉しむかのように。


「残念、だなんて、そんなことありません。そんなこと、思っていいはずがない」

 イリアは俯いて、服をギュっと掴んで自分の心の中で揺れ動くを抑えていた。


「ちょっと、魔王の娘。あまりイリアを虐めないでくれるかしら? さっきから毒入りの紅茶を出したりと度が過ぎるわよ」

 そこへアミスアテナからの注意が飛ぶ。その言葉にはアルトに対する明確な冷たさが入り混じっていた。


「ああ、そこな剣は喋るのであったか。本当はイリアだけを招くつもりじゃったが余計な付属品が付いてきたものよ」

 アルトはアミスアテナの存在に気付いて心底残念そうな目をする。


「何が付属品よ。そもそも貴女は何の目的でイリアをここに連れてきたのよ。イリアは貴女から情報を得るでしょうけど、貴女自身のメリットが今のところないでしょ」

 より一層、棘の強くなったアミスアテナの言葉。


「はぁそれか。わざわざこんなことを言うのもなんだが、─────妾はそこのイリアと『友』になってみたいからここに招いたのじゃが?」

 アルトは説明するのがめんどくさそうにそんなことを言う。


「は、『友』? え、それって友達のこと? だって貴女さっき毒を」

 アミスアテナはアルトの言動がまるで理解できない様子である。


「毒を盛ったからそれがどうした? おそらくイリアなら問題ないと思ったとさっきも妾は口にしたはずじゃが。『友』とはあれじゃろ? 命のやり取りをしたり精神的にいたぶり合う関係を指すのではなのか?」

 アルトは心の底から本気の口ぶりでそんなことを言った。

 自身の発言の異様さを自覚している様子はまるでない。


「あ、この娘本気だ。ちょっとあの魔王をここに連れてきてすぐにでも親の教育の責任を取らせたいところね」

 アミスアテナから呆れた声が漏れ出る。


「駄剣ごときが父上を語るな」

 

「ちょ、駄剣って」


「剣の本分も忘れてペラペラと口の回る剣など駄剣で十分じゃろ。まあその点イリアは良いな。何せ妾の父であるあの魔王様が懸想してしまったのじゃ。その娘である妾が気に入らない道理はなかろう。性格、容姿も含め、実に可愛がりたくなるし、いたぶりたくもなる」

 ちろりと舌なめずりをして、アルトはサディスティックな笑みを見せる。


「さっきから性癖が倒錯しすぎてるのよ。アンタなんかにイリアは渡さないから」


「ちょっとアミスアテナもその辺にして。アルトが何かおかしいのは薄々分かってきたしいいよ。それに話が本題からずれちゃってるし」

 話が大きく脱線していることに気付いたのか、イリアはアミスアテナをたしなめた。


「アミス、アテナ? はてどこかで聞いたような。…………ああ、の昔話の中で似たような名を聞いたことがあるの。……そこな駄剣、心当たりはあるか?」

 アルトはあごに手を当てて考えるそぶりをして、アミスアテナに冷たい視線を送る。


「!? え、そんな、心当たり、なんて……」

 そしてアルトの指摘によってアミスアテナは明らかに動揺していた。


「さて、あの時お祖父様はなんと言っておられたか。白銀の水晶のような剣を持った女が突然城に乗り込んで来て、はて何をしたんじゃったかの?」

 アルトはわざとらしく、う~んと考え込む仕草を見せつける。


「アミスアテナ?」

 イリアはアルトの発言によって動揺を増していく自分の剣に訝し気な視線を送る。


「───やめて、今そのことに、触れないで」

 だが、アミスアテナは絞り出すようにそう口にするだけだった。


「別に妾は構わぬよ、たが代価は貰っておくぞ? そこな駄剣、しばらくの間黙っているがいい」

 そこへアルトはすかさず魔剣グラニアを取り出しアミスアテナへと命令する。


「!? ────────!」

 すると、アルトの言葉通りにアミスアテナがまったく発言することができなくなった。


「ちょっとアルトそんなことしなくたって、アミスアテナが何をしたっていうの?」

 突然のアルトの行動にイリアは驚く。


 しかしアルトは実に落ち着き払って、

「さあ知らないわ、だけど彼女が静かになったってことは、何か後ろめたいがあるんじゃないの?」

 魔剣を納めて優雅に紅茶を口にする。


「それにこのくらいしないとその剣は絶対に口を挟んでくるし、それじゃ話が先に進まないでしょ?」


「あ、まあ確かに」

 思わずアルトの言葉に同意してしまうイリア。


「─────────!」

 そこにアミスアテナの悲痛の声が響いたような気がしたが、それは誰にも届くことはなかった。



「さあイリア、ここからは私が順を追って話をしてあげる。お父様がお母様と出会い、そして貴女に出会うまでのことを。ま、あくまで私の知っている範囲ではあるけれど、私は結構知ってるわよ」

 意味深な笑みを浮かべて、いよいよアルトはイリアの知らない魔王アゼルを語り始めた。

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