第212話 ルシア登場

「え、ルシア? 何でここに?」

 突然の魔人ルシアの登場に驚きを隠せないイリア。


「何度も言わせるな、イリアの泣き声が聞こえた。──それだけだ」

 そんなイリアにルシアは背を向けたまま言葉を返す。


「いや、セリフだけ聞けばカッコいいけどよ、さすがに都合が良すぎるだろ。お前はこの前イリアに振られたばっかりだろが」

 地面に平伏したままのアゼルが、あまりにもタイミングが良い彼の登場に突っ込みを入れた。


「…………お前には関係ないだろ」

 しかしルシアはアゼルの疑問には答える気はないようであり、そこへ、


「まあまあ、そこはあまり深く突っ込むものじゃないよ魔王アゼル。彼にはこの前シロナの魔石核を用意してもらった時に一応僕らの今後の予定を伝えておいたのさ。もちろん彼がどうするかは僕にも知るすべはなかったわけだけど、この状況を見るにルシア少年も同じ方角に進んでいたようだね。そして何でこのタイミングなのかはアレだよ、直接合流するのはしつこく追いかけているみたいで嫌だけど、好きな娘のピンチには真っ先に駆けつけられるような距離をずっと維持してたんじゃないかな?」

 リノンが何食わぬ顔で仲裁、もとい火に油を注ぎにくる。


「誰がそんなことを言った!? 殺すぞクソ賢者」

 ルシアはそんなリノンに対して迷わず銃口を向ける。


「答えろ、今これはいったいどういう状況だ? 何でイリアはこんな格好で悲しそうなんだ?」

 ルシアは地面に押さえつけられたような状態のイリアを見てその問いをぶつけた。


「いいさ僕が答えよう。今そこにいるのが魔王アゼルの娘アルト嬢。その彼女が父親を家に連れ帰るためにわざわざここまで出てきて、それにイリアが泣きながらやめて欲しいって抵抗してるところさ」


「ちょっとリノン、言い方ってものがあるでしょ!」

 リノンの物言いにイリアは顔を真っ赤にする。


「ん、娘? 魔王お前結婚してたのか? だがお前はイリアと…………。どういうことだ? それは、いけないことじゃないのか?」

 そしてリノンの説明を素直に聞いていたルシアはその素直さゆえに混乱してしまう。


「ぐっ」


「まあまあ、ルシア少年そのくらいで。もちろん妻子を持ちながら他の女性と懇意になるなんていけないことさ。しかし世の男性はいけないことと知りながらもその領域に足を突っ込むこともままある。まあそれはともかくこれ以上この件に触れるとそこの魔王アゼルが本当に死んでしまいそうだからね」

 リノンは自分でアゼルの傷口を広げておきながら、しれっとした顔で彼の擁護に回る。


「そこな駄犬、とりあえず状況は理解できたか? して、妾が今やっているのはいわば貴様の恋敵の回収じゃ。これを貴様に邪魔される言われはないが」

 ルシアが状況を理解するタイミングを見計らってアルトが彼に魔剣を向けた。


「ふん、あいにくだが魔王を倒すのはこのオレだ。勝手にどこかへと持っていくんじゃねえよ。…………それにな、悔しい話だがそいつが消えるとイリアが悲しむ。だからオレはお前を見過ごせない」

 ルシアはそう言ってアルトに対して自身の魔聖剣を向け返した。


「なんとも憐れな子犬よ。エサが貰えるわけではないのに一度優しくされただけで尻尾を振り続けるとは」

 アルトは本当に憐れみの視線をルシアに向け、


「だが雑種ごときが妾に剣を向けるとは勘違いも甚だしい。よい、妾が直々にしつけ直してくれる」

 ルシアの挑戦的な姿勢が気にくわなかったのか、アルトは怒気とともに恐ろしいほどの魔素を放出させた。


「血筋や血統などとくだらない。強い血を持つ者が勝者だというなら、はなから戦いなんていらないんだからな」

 アルトから溢れる魔王の血族の威風にも怯むことなくルシアは魔聖剣とともに魔銃を掲げた。


 二人の間で高まる戦いの空気。


「おいおい、戦うのは構わないがせめて離れてやってくれないかな。キミらの大事な人たちが今地面に転がっているんだからね」

 だが二人が戦いの口火を切る直前にリノンがすかさず注文を入れる。


「うるさい賢者め、わかっておるわ。ふんっ!」

 リノンの言葉を受けて、アルトは右手を無造作に薙ぎ払う。

 するとまるで見えない巨大な手が振るわれたかのようにルシアがアルトが手を振った方向へ飛ばされていった。


「ちっ、何だ今のは!?」

 10メートル近く飛ばされながらもルシアはすぐに態勢を立て直してアルトを睨み付ける。


「これが格の差じゃ。妾が無意識に放出している微量な魔素だけでもお前を吹き飛ばすだけなら造作もない。ここにいる他の連中ならこうはいかんぞ」

 アルトは明らかにルシアを侮りながらも彼に向けて歩を進めていく。


 対するルシアは灰色の髪をかき上げ碧い瞳でアルトを分析する。

「魔王の娘、次期魔王か。レベルは1000弱、まあ確かにレベル50そこそこのオレと比べたら能力差は歴然だな」

 瞳の力を使いわずか一瞬でアルトの正確な能力値を叩きだし、絶望的な力の差の前でルシアはそれでも不敵な笑みを見せた。


「だが別に気にすることはない。劣っているというのならオレはこの世界の誰よりも劣っている。どうせオレより下がそもそもいないんだ。だから弱いことは戦わなくていい理由にはならねえよ」

 彼我の実力差を見抜いた上でルシアは戦う意志を強く示す。


 その言葉にアルトの眉がピクリと上がるが、ルシアはそれに気づいた様子はなかった。


「魔王の系譜だろうと聖剣は通る、オレの銃も根っこの理論は魔法と一緒だ。魔聖剣オルタグラムと魔銃ブラックスミス、この2つでオレは勝ってみせる」

 駆けだすルシア。

 対するアルトはゆっくりとした歩みは変えぬまま進む。


 ルシアは牽制に魔銃から自身が精製した魔弾を無造作に連続で打ち込む。しかしそれら全てはアルトの魔素骨子によって悉くが絡めとられてしまっていた。


「ちっ、前に魔王と戦った時よりも威力は上がっているはずだが、その守りの強度は魔王以上か」

 現状を冷静に分析しながらもルシアはそのままアルトの魔素骨子を掻い潜って駆けていき近接戦を挑む。


「ほう、先ほどの魔弾は妾の魔素骨子の位置の把握とその動きを鈍らせるためか。雑種犬の割によく考える。だがこれはどうする? 妾に近づくならさっきと同じことだぞ」

 そういってアルトは先ほどルシアを吹き飛ばした時のように再び手を無造作に振るう。


 だが、今度はルシアが吹き飛ばされるようなことはなかった。


「舐めるな! さっきは不覚をとったが、ネタが分かれば対応はできる」

 

 そう話すルシアの周囲には黒く煌めく無数の輝きが見て取れた。そしてその輝きに向けてアルトの魔素が吸い込まれていく。


「──なるほどな、敢えて低純度の極小の魔石を自身の周りに散布することで妾の魔素の干渉を防ぐか。いやはや、本当に器用なものよ」

 アルトが一挙動分遅れた隙をついて、ルシアは彼女に正面から斬りかかる。


 ここまでがルシアにできる最善の一手、だがルシアは半ば予想していた。それでもこの敵にはまともにダメージを与えられないだろうと。魔聖剣であれば多少の傷はつけられるが、その後に必ず手痛い反撃が来るのだと。それを覚悟で彼は剣を振り抜く、その先に何があっても全てを踏み越える覚悟で。


 しかし、


 ブシュゥ


 予想外の血しぶきが彼の顔を濡らす。


 それはルシア自身の血ではない。


 その血は魔聖剣が深く胸にまで達した、アルトからの返り血だった。


「!? 何で、お前! 防御しなかったのか?」

 混乱するルシア。彼の攻撃力とアルトに備わった防御能力を考えればここまでのダメージになるはずがないからだ。


 そう、アルト自身がその守りを放棄しない限りは。


「いやはや、なかなかにこれは痛いのう。初対面の女の胸にここまで剣を通すとは、貴様も容赦がない」

 胸まで魔聖剣で切り裂かれ、それでもアルトは不敵な笑みを崩さない。


 ルシアは反射的に魔聖剣を抜いて飛びのく。

 それと同時にアルトからなお勢いよく鮮血が舞った。


「そう気軽に刃を抜くものではない、血が溢れるであろうが」


「お前、何で?」

 ルシアは彼女の意図が分からずに戸惑いを隠せないでいる。


「うん、心地よい。実にいい表情かおじゃぞ? ────まさかとは思うが、妾が貴様に勝ちを譲るためにこんなことをしたとは思っておらぬだろうな」

 ニタリと浮かぶアルトの笑み。


「?? どういうことだ?」

 しかしルシアにはその言葉の意味がまるっきり理解できなかった。


「数度ではあるが貴様の記録はメモリーストーンで確認している。そしてお前はあの魔法使いやそこな賢者のようにイカれた精神構造はしておらなんだ。まあつまりはこういうことよ、グラニアをもって命ずる『跪け』」

 アルトは魔剣グラニアをかざしてルシアに命令をした。


「何の、マネだ? ぐっ!?」

 一瞬アルトの行動が理解できなかったルシアだが、次の瞬間には彼女の言葉通りに地面に向けて膝を折っていた。


「お前は自分でも気付いておらんのかもしれんが、その感性は人並みよ。無抵抗の女を深く切り裂いておきながら何も感じずにおれるほどキチガイではなかったということじゃ。まあそれを優しさととるか甘さととるかは判断の分かれるところじゃろうが」

 アルトのそんなセリフの間にも彼女の傷はみるみるうちに癒えていき、彼女はそのままルシアに背を向けて去ろうとする。


「ま、待て」


「しばらくはそうしているが良い。なに、妾が父上を連れ帰る頃にはその束縛は解かれる」

 何の感情もない、ただ事実だけを告げるアルトの言葉。


 だが、


「オレは、待てと、言っている」

 ルシアはゆっくりと重圧を押しのけるように立ち上がり、魔銃の銃口をアルトへと向けていた。


「!? 何だと? 何故貴様が立ち上がれる?」

 驚愕するアルト。しかしそれもそのはず、今ルシアに対してかけられている重圧は魔王アゼルや勇者イリア、剣士シロナに強制しているものと同等のもの。その彼らがいまだに立ち上がることすらできない状況で、どうしてルシアだけがその束縛から逃れたのか。


「グラニアの力は確かに作動している。───お前はいまだ妾に負い目を感じながら、それでも立つのか」

 アルトはルシアに未知の生き物を見るような目を向けていた。


「確かに、女にあれほど深く剣を突き立てたのは初めてだ。思った以上に心がザワザワとする。今すぐに地に伏して謝れと頭の中から声がする。だが、それでもこの『心』を他人の好きにはさせられない。あの無意味な地獄の中で、たった一つ守り続けた『自分』を誰かの好きになどさせられるわけがない!」

 ルシアは怒りと嘆きの入り混じった苦しそうな顔のまま、アルトへ銃口を向け続ける。

 今も世界中から強制されるようなひどい重圧をその身に受けながら、それでもルシアはもう一度膝を屈するようなことはなかった。


「…………そうか、それは悪いことをした」

 ふとアルトから他者を威圧する気配が消え、それと同時に周囲一帯を支配下においていた魔剣グラニアの力も消失した。


 それによりルシアだけでなくアゼルやイリア、シロナへかかっていた重圧も消え去る。


「お前、今度は何のマネだ」

 しかし、ルシアは油断することなくアルトを警戒し続けている。


「…………別に、他人の心を壊してまでこのグラニアの力を行使するつもりはないというだけじゃ。まあ普通は無意識に自身の心を守るためグラニアの力からは逃れられんが、まさか自身を守ろうという機構がそもそも壊れているが故に、グラニアの支配を突破するとは。お前は、自分の心という在り方を守る為ならば、自分の命などどうでもいいんじゃな。ひどい矛盾じゃ」

 少しだけそのことを悲しげにアルトは口にする。


「何のことかはわからんが、これでお前は魔王を置いて帰るのか?」

 依然としてルシアの銃口はアルトに向いたまま、しかし彼女はそのことを気にした様子もなく、


「何、妾の目的は変わらん。少し手法を変えるだけじゃ、話し合いという理性的な手段にな」

 彼女はイリアたちの方へと目を向ける。


 アルトの魔剣の効果が消えたことにより、立ち上がることができるようになったイリアたち。


「ねえ、勇者イリア・キャンバス。私と二人、静かな場所でお話をしてみないかしら?」

 そのイリアに向けてアルトはそんな提案をする。


「さっきまであれだけ強引なことをしておいて、一体どういうつもりですか?」

 さすがにイリアも警戒心を抱いており、疑いの目でアルトを見る。


「そこの男との戦いで気が変わっただけよ。もともと私は戦闘向きではないからね。どう? 貴女も色々と聞いてみたいことがあると思うのだけど。例えば貴女の隣にいる魔王様が本当はどんな人なのかとか」

 そう言ってアルトは少しだけ挑発的な目でイリアを見つめる。


「っ、…………わかりました。でも二人きりなんてどこで?」

 一瞬の逡巡の末、イリアはアルトの提案を飲む。

 だが、辺りを見渡しても完全に二人だけになれるような場所など見当たらず、そして先ほどまではアルト一人に圧倒されていた状況でアゼルを含めた他のメンバーが彼女との1対1の対話を許してくれるようにはイリアには思えなかった。


「それは簡単、だって私は次期魔王なんですもの」

 イリアの疑問に対して、アルトは虚空に向けて手を伸ばして応えた。


「『顕現せよ、王の棺。その威容をもって我が王権を示せ』

 彼女の宣言とともに、目の前の空間が歪んで次の瞬間には紫黒の巨大な城が出現する。


 そしてアルトは優雅にスカートの裾を持ち上げ、


「さあ勇者イリア、この城でゆっくりとお茶会にいたしましょう」

 天使のような微笑みでイリアを魔城に招待するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る