第211話 アルトvsエミル

「はてさて、奇妙なことになったものだね」

 アルトとエミルの戦いが始まり、リノンは地面に這いつくばったままのイリアたちのもとへと避難していた。


「おいリノン、そこで暢気に観賞してないで俺たちをどうにかしろ」

 アルトが戦いはじめても全身にかかる重圧は解けないようで、アゼルはリノンへと助けを求める。


「どうにかしろと言われても、僕にはキミらが自ら進んでそうしているようにしか見えないのだけどね。要は彼女に対する負い目を感じなくなればいいだけの話だろ?」

 リノンは真面目に相手をする気はないような適当さでアゼルの要求を拒絶した。


「────あいつに負い目を感じないなんて、そんなことできるわけないだろ。それだけ長い間、アルトをほったらかしにしてしまったんだ」

 アゼルはリノンの軽口に憤慨することもなく、自戒するような言葉を吐いた。


「………………バカ」

 それを隣で聞いていたイリアは、自分にしか聞こえないような小さな声でそう呟く。


「それなら仕方ない、キミたちが今そうなっているのはキミたち自身の心の問題でもある。だから僕の力でズルして解決するのはオススメできないね。シロナもそれでいいだろ?」

 リノンは少し離れた場所で同様に地面に押さえつけられているシロナにも確認をとった。


「もちろんでござる。これは拙者が自身で打ち克つべきことだ」

 シロナは苦しそうな表情をしながらも真っ直ぐな言葉を返した。


「ま、そういうわけだ。ここは素直にエミルくんの奮闘を見させてもらおうか」


 リノンはそう言ってエミルとアルトの戦いへと目を向ける。


「ふむ、戦いの経験値はエミルくんの方が何倍もあるみたいだけど、彼女も今はまだ魔法を全開で使えないぶん苦戦してるみたいだね」


 エミルはアルトに対して近接戦を挑んでいた。

 それは彼女の魔奏紋がいまだ完調ではなく高威力の中・遠距離魔法が使用できないからであった。

 そのためエミルは格闘技を主体にアルトを攻め立てている。


「く、この、ちょこざいな!」

 そしてエミルが繰り出す打撃をアルトは悉くクリーンヒットさせられていた。

 これはリノンが評したとおりにエミルと比べてアルトの技量が明らかに低いがゆえであり、傍目から見ればていのいいサンドバッグである。


 だが、


「くっそー、やっぱ硬いなぁ」

 実際にダメージを受けているのはエミルの方であった。


 魔王の娘であるアルトの魔素骨子はアゼルと同様の三重仕様。体外と体表と体内に張り巡らされたその防衛機構が常時展開されているのだ。


 エミルはその体外の魔素骨子は熟練の技とで突破しているが、肝心のアルト本体に対する打撃は完全に打ち負けていた。

 

 本来の彼女であれば自己に施す強化魔法や、短縮詠唱で発動させる大魔法で効果的にダメージを与えるのだが、今の彼女では初級魔法すら詠唱が必要なほどだ。


「ま、でも仕方ないや。ここはひとつ初心に立ち戻りますか。『心に燃ゆる一握の紅蓮』フレイムフィンガー!」

 エミルはアルトの反撃を華麗に掻い潜りながらも短い詠唱を完成させ、炎を纏った五指をアルトへと突き立てる。


「ちっ、少々熱いがその程度では妾は怯みもせぬぞ!」

 しかし、アルトは攻撃の被弾に対しても硬直を見せることなく自身の魔素骨子を多数の刃に変化させてエミルに突き立てるように操作していく。


「通じないことくらい知ってるよ、『駆け巡る風、先を知らせる深緑』ウィンドサーフ!」

 だがエミルも自分の攻撃が通らないことは承知していたかのように、既に次の魔法を詠唱していた。

 すると彼女を中心に柔らかな風が巻き起こり、エミルは目を閉じたままアルトの攻撃をまるで風の波に乗るかのように優雅に回避する。



「なるほどなるほど、エミルくんの戦略が見えてきたね」

 その戦いの様子を観戦していたリノンが呟く。


「エミルくんは現状の自分の攻撃力ではアルト嬢にダメージを与えられないと判断するや否や、自身の魔奏紋の活性化を図り始めたわけだ。今の自分に使用できる低レベルの魔法から始めて、徐々にエンジンを慣らして中級・上級の魔法を使うつもりみたいだね」

 ふむふむ、とリノン自分の解説に自分で納得している。


「まあそれもこれも、アルト嬢の戦闘技術が低いからこそ採れる選択だろうけどね。彼女の戦い方は明らかにつたない、実戦の経験自体が相当少ないんだろう。まあそれでも対魔族であれば格の違いだけで彼女は勝利できるのだろうけど、今彼女が相手にしているのは戦闘センスの塊、『最強の魔法使い』だからね」

 リノンの視線の先では、エミルが華麗にアルトの攻撃を躱しながらも的確に一つずつ小さな魔法をアルトに発動させていた。



「ちっ、忌々しい!」

 そんな現状にアルトは思わず毒づく。

 今の彼女のダメージは実質ゼロだ。エミルの魔法によるダメージはごく微小のものであるし、次代の魔王の器であるアルトの魔素炉心はその程度のダメージなどほんの一瞬で回復させてしまう。


 しかし、そんな生命のスケールでは完全に勝っている自分が、本調子でないはずのエミルにいいようにあしらわれている。それが次代の王となるべくして育ってきた彼女のプライドをひどく傷つけていた。


「お、なんか魔奏紋も暖まってきたかも。次からは中級魔法いくからね」

 そしてエミルはこの場面でも実に楽しそうに笑いながら逐次魔法を詠唱していく。

 彼女とて相手にまともなダメージはほどんど与えられておらず、逆に一発でも直撃を受けたら窮地に立たされる状況である。だが彼女はまるでそのこと自体が求めていたシチュエーションであるかのように本当に活き活きと戦いを続けていく。


「『春はここに、地の力、風の力、全ての調べが星を紡ぐ』スプリング・ソング!」

 エミルが大地に手をついて詠唱を終えると、どこからともなく爽やかな春風が吹き、瞬間的に咲き誇った花びらたちを美しく巻き上げていく。


 誰しもの目を奪う、ある種の幻想的な光景。


 しかし、この魔法を放った当の本人はキョトンとしており、

「あ、しまった。久々に使ったから忘れてたけど、これってただ綺麗なだけの魔法だった」

 などと言い放つ。


「この、無礼者が! 思わず魅入ったではないか!」

 アルトは小馬鹿にされたと受け取り、その怒りを上乗せしてエミルへの苛烈な攻撃を再開する。


「いや今のはただのミスだし、バカにしてないから、よっと」

 だがアルトの怒涛の反撃もエミルに掠りもせずに悉くがかわされていく。


「くっ」

 その状況に思わず唸ってしまうアルト。

 彼女とてエミルの強さは十分に理解していたつもりだった。

 彼女はアゼルがハルジアからイリアに連れ出されて以降のことは把握している。それはつまりアゼルとエミルとの戦いを始めとしたエミル・ハルカゼの強者としての戦いぶりを見てきたということでもある。


 その在り方は天衣無縫。風がただ風として吹き抜けるように、鳥がごく当たり前のように大空を羽ばたくように、強者がただ強者として在るように、エミル・ハルカゼはどこまでいってもエミル・ハルカゼだった。


 だから、アゼルのところへ赴くにあたって彼女が一番の障害であることは最初から分かっていた。

 しかしそれでも、魔法を十全に使用できない彼女であれば魔王の娘たる自分が後れを取ることはないと信じていたのだ。


 先ほどからアルトは微かではあるが肉体に鈍い痛みを覚えるようになっていた。それはエミルの扱う魔法のレベルが徐々に上がっていき、アルトへの確実なダメージを蓄積し始めた証だった。

 さらに言えばエミルは逐一アルトから魔素を吸収して魔力へと変換しており、魔力切れを起こす気配はまるでない。そして今はまだ右腕の一部だけではあるが、彼女の魔奏紋が徐々に灼銀の輝きを放ちつつあるのをアルトは視認していた。


「──────────っ」


 現状ではまだ無視できるほどの痛み、だがいずれ必ず無視できないほどの暴威を奮ってくるのだとエミル・ハルカゼの楽しげな笑みが語ってくる。


「そろそろ上級魔法いってみちゃおうかな! っと、その前に魔力補給しなきゃ」

 エミルは軽やかにアルトの魔素の刃を躱して密着、そのまま足を搦めて彼女を地面に押し倒した。

 そして手のひらをアルトの胸元に当てて彼女自身から魔素を吸い上げ始める。


「くっ、この不埒者が。…………だが良いのか、そんなペースで? 我が父上にやったように接吻をもって魔素を吸収した方が早いだろうに」

 アルトはやや屈辱的な態勢からも、挑発的な笑みをエミルへと向ける。


「ん? まあ言われてみればそれもそうか」

 対するエミルはその方法を失念していたとばかりに、アルトの提案通りに彼女の唇を狙う。それも馬乗りになった上に手際よく彼女の両腕を片手で抑えてだ。


「あ、ちょっと待て! さっきのは冗談じゃ、うむっ」

 アルトが慌てて先ほどの発言を撤回しようとするが、エミルはそんなことお構いなしに彼女の唇を奪った。


「~~~~~~~~!」

 アルトの抵抗むなしく略奪されていく彼女の魔素。その膨大な魔素はエミルの体内で魔力に変換され、右腕のみに輝いていた魔奏紋が徐々に全身へと魔力をみなぎらせていく。


「ぷはぁっ、いややっぱり魔王の系譜の魔素は格別だね、吸いすぎちゃった」

 口付けから数秒の後にエミルは顔を上げて満足気に組み敷いたアルトから離れようとする。


「馬鹿者が吸い過ぎじゃ! もはや逃がすと思うなよ」

 しかしエミルがアルトから魔素を吸収するのに要した僅かな時間でアルトとエミルを囲むように蜘蛛の巣状の魔素骨子が彼らを包んでいる。


「あれ? もしかしてアタシ嵌められた?」

 その状況を見て苦笑いするエミル。


「策に嵌まったのは貴様じゃが、悪漢に襲われた気分なのはむしろ妾の方じゃがな」

 アルトは涙目になりながら逃げ場のないエミルをそのままギュッと抱きしめ、


「『黒き抱擁ブラックケージ』」

 黒い宝石で構成されたかのような格子状の檻がエミルを閉じ込めてしまう。


「ちょっ、何コレ!? 痛っ、殴っても壊れないし」

 エミルを閉じ込めた檻は空中をフワフワと浮かんでおり、中のエミルがどんなに檻の破壊を試みたところでビクともしなかった。


「ふん、どうじゃ鳥籠に閉じ込められる気分は? その檻は我が魔素骨子の一部を切り離したモノじゃ。その内部を妾の魔素が巡り続ける限り、先ほどまで妾に傷を付けられなかったそなたでは破壊はできん」


「…………しまったなぁ、目の前のご馳走に釣られて罠にかかるとかとんだ間抜けじゃんアタシ」

 エミルは捕まった割には余裕の表情で頭の後ろを搔いていた。


「貴様がマヌケなのは同意じゃが、その為に妾も大事なモノを失った気がするがな」

 アルトはどこからか取り出したハンカチで唇を念入りに何度も拭っている。


「まあでもこれならさっき貰った魔力でどうにかできそうな気はするんだよね」

 カンカンと何度か檻を叩きながら、エミルはその構成や破壊に必要な魔力量を判断する。


「その狭い空間で自爆覚悟の大魔法なら早く抜け出せるかもしれんな。だからこうじゃ」

 そういってアルトは指先をクイッと持ち上げる。


「うわぁ!」

 するとエミルを閉じ込めた檻は垂直エレベーターのようにスイーッと上空に向けて100メートルほど上昇する。


「しばらくはそこで大人しくしているがいい。妾の見立てだと脱出までにおよそ1時間、じゃから貴様が予想を裏切ることを見越して30分くらいは時間ができた。まあ焦らずに抜け出してみることじゃ。頼むから脱出に力を注ぎ過ぎて墜落死とかいうつまらん結末はやめて欲しいがの」


「────────────!」

 上空に飛ばされたエミルは何事が叫んでいるようだが、地上にはほとんど聞こえない。

 アルトは一番の懸案事項を無力化できたことで一息つき、いよいよアゼルのもとへと近づいていく。


「はあ、疲れた。────どうだったお父様、娘の奮闘ぶりは? まあとても優雅さとは程遠い戦いだったけど」

 アルトはいまだ地面に這い蹲ったままのアゼルの前にしゃがみ込んでそう聞く。


「────見事だったよ。娘の成長を感じられて嬉しいところだ。ところでいい加減にこの態勢も苦しいんだが」

 アゼルは這い蹲った姿勢からどうにか顔だけは上げてアルトに苦言を呈する。


「あら、今のお父様は私に心苦しさを感じて思わず私の発言に逆らえないだけなのよ。だからお父様が娘を10年間放置したこととか、国を10年もほったらかしにしたこととか、あげくの果てに家出した先で新しい女を作っていたこととかに負い目を感じないなら魔剣グラニアの効果はまったくないんだけど」

 アルトはアゼルのあごをなぞりながらそう語り、


「ぐはぁ」

 それを聞いたアゼルは吐血するかのような勢いで色々とダメージを受けていた。


「うふ、本当にお父様ったら可愛いんだから。────だから憎くて、愛しくて、本当に虐め甲斐があるわ」

 アルトの瞳にサディスティックな火が灯り、それを目にしたアゼルの背すじにゾクッとした悪寒が走る。


「でもまあこのままだとあの女が檻を壊して再戦を挑んできそうだから、とりあえずお父様だけ貰って帰ろうかしら」

 

「しかし大人一人を持ち運ぶのはアルト嬢だけでは大変なのではないかい?」

 そこへ今までのやりとりを笑いを堪えながら鑑賞していたリノンが質問を入れる。


「───問題はない大賢者。妾の黒き抱擁ブラックケージを用いればこの程度のこと造作もない」


「なるほどなるほど、確かに運搬用の技能と考えればなかなかに使い勝手が良さそうだね。ちなみに僕らと話す時だけその口調が変わるのも何か意味があるのかな?」


「ああ、それか。何、妾もいずれは国を統べる身。というか父上が不在の為に国政の一部は既に妾が掌握しておる。そんな小娘に箔を持たせるにはまず口調から威厳を出すのが手軽で効果的というだけじゃ。そこな父上も10歳で魔王となったお人じゃ。じゃから魔王となったその時から『僕』というのを『俺』へと変えたそうじゃぞ? セスナが『可愛いかったアゼルが大人びてしまって寂しかった』と嘆いておったわ」

 後半はアゼルにわざと聞かせるようにアルトは言う。


「…………」

 そしてアゼルはもはや精神的なダメージがいっぱいいっぱいなのか顔を上げずに俯いて、必死に心の痛みを堪えている。


「ま、これ以上お喋りに付き合って時間を稼がれても何だし、さ、お父様、アグニカルカへ帰りましょう?」

 アルトは話はもうこれでおしまいとアゼルに向けて手をかざす。


「やめて! お願いだからアゼルを連れて行かないで!」

 だがそれをイリアが必死な声で止めようとする。


「連れて行かないでって言われても、一応コレ家族の問題だからね」

 アルトはイリアの懇願に戸惑いつつも、やめるつもりはないようだった。彼女の黒き抱擁ブラックケージがいよいよアゼルを囲い込もうとする。


「お願い! やめて!!」

 虚しく響く、イリアの声。



 そこへ、一発の銃声が鳴り響く。



 アルトの手元へ放たれた黒い銃弾。


 彼女は驚いて手を引き、黒き抱擁ブラックケージの形成が中断される。


「っ、何やつじゃ!?」


 顔を上げるアルト、そこに現れたのは、


「イリアの泣いた声が聞こえた。何があったかは知らないが、オレはイリアの味方をする」


 魔聖剣と魔銃を手にした、魔人ルシアだった。

 

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