第207話 親子

 場を静寂せいじゃくが支配する。


 謎の美少女、アルト・ヴァーミリオンの言い放った『娘』という発言によって。


「何? お前が、俺の娘?」

 アゼルはどうにか言葉を絞り出すが、彼の頭の中はハンマーで殴り付けられたように混乱していた。


「ちょっと、デタラメなことを言わないでください! そんなことあるわけないじゃないですか!」

 そこへ、イリアが語気を強めて前に出る。


「ふーん、そんなことあるわけない? どうして?」

 だがそんなイリアの剣幕に動じることもなく、アルトは小動物をいたぶる肉食獣のようなオーラを漂わせてイリアに聞き返す。


「だ、だって、アゼルは結婚してな…………」

 イリアはまったく揺らぐことのないアルトを前にさらなる反論を口にしようとしたが、そこで何かに気付いて次の言葉が継げなくなる。


「ふふ、結婚してないだなんて、その人が一度でも貴女に言った? 本当に?」

 アルトは妖艶な足取りでイリアに歩み寄り、彼女のあごを細い指でクイッと引き上げる。

 

「え、だって、だって──アゼル?」

 普段の戦いの中で感じる恐怖とはまったく別種の圧力に気押され、イリアはまるで子供のように涙ぐんで、思わずアゼルへ助けを求めるように視線が泳ぐ。


 だが、アゼルは震えるような声で、


「お前は、、なのか? だが待て、アルトはまだ小さな子供だったはずだ」

 瞳孔が収縮して定まらない視点でそんなことを言った。

 

「はあ、まったくお父様ったらおめでたい。お父様が家出してから何年経っていると思ってるの? 10年ですよ10年。そりゃあ当時7才の女の子だって10年も経てば立派なレディになるに決まってるでしょ」

 アルトはややあきれたようにアゼルをたしなめる。


「それじゃ、本当にお前は」

 アゼルは夢うつつな足取りでアルトへと歩み寄り、その頬へと手を伸ばし、


「そう、貴方の本当の娘、アルトです」

 彼女も嬉しそうに微笑んでそれを受け入れた。



「────────え、何で?」

 そしてそれを混乱した顔で見つめるイリア。



「何か本当に親娘おやこっぽいね~。まあイリアの確認不足だったかな、アタシもだけどさ。アゼルは200歳の魔王なんだからそりゃ結婚してない方がおかしいもんね。リノンは知ってた?」

 まさかの情報にエミルも多少驚いた様子だった。


「もちろん知っていたとも、だからさっきも僕は驚いてなかったろ。まあだからこの前、毒竜と戦った時に彼に言ったんだよ。『キミにイリアの側にいる資格があるのかい?』って」

 だがリノンは全てを承知していたように平然としている。


「ん? アゼルに子供がいたとして、何か問題なのでござるか?」

 そしてシロナはイマイチ現在の状況が飲み込めていない様子だった。


「そりゃまあ問題なんじゃない? だってイリアとアゼルは、まあ好きあってるんでしょ? それが実は結婚してました、子供いましたじゃ、ねえ?」


「え、何か問題あったっけ?」

 それとなくシロナに状況を伝えようとするエミルだが、そこにリノンがあっけらかんとしたセリフを挟む。


「ちょっと男のクズはしばらく黙っててくれるかな」

 そんなリノンをエミルはいつものようにしばきにかかる。


 だが、イリアは後方で繰り広げられる茶番に気を向ける余裕もなく、


「アゼル、本当にその子がアゼルの子供なの? アゼルは結婚していたの? ──何で、それを私に教えてくれなかったの?」

 今にも泣き出しそうな瞳で、アゼルの服の裾を掴んでそう言った。


「いや、イリア、隠してたつもりはなかった。今までは聞かれなかったから話す機会がなかっただけで。それに、さっきイリアにはこのことを話そうとしたんだ、信じてくれ」


 アゼルはイリアの両肩を掴んで彼女に言い聞かせようとする。


「まさに浮気男のテンプレな発言よね」

 そこに入るアミスアテナの冷たい一閃。


「人聞きが悪すぎるだろ!」


「じゃあ違うの? アゼルは私のこと好きって言ったけど、…………違うの?」

 イリアのすがるような言葉。


「イリア、それは」


「うんうん、違わないわ勇者イリア。そこのお父様、魔王アゼル・ヴァーミリオンは自身の国アグニカルカに妻子を残して飛び出していったちょっとだけ残念なお人よ。そして貴女のことを大切に思っているのもきっと真実。今まであなたたちのことを見てきたからわかるわ」

 アゼルの言葉を遮るようにアルトはイリアの耳元で囁き、


「そして貴女には残念なお知らせ、お父様は私がアグニカルカに連れ帰らせてもらうわ」

 そしてそのまま絶望を上乗せするような通達をした。


「!? なんだとアルト」

 その言葉に驚くアゼル。


「何を驚くのお父様、当然のことじゃない。今アグニカルカは王が不在の異常事態。となれば魔王であるお父様には国に帰っていただかなければね」


「いや、だが、俺は……」


「帰りたくはないんですよね。うん、それはわかっていたわ。だから私がここに来たの。魔王たるお父様を力ずくで連れ帰るにはそれなりの実力が必要ですもの。王の系譜、魔王の娘である私ならそれが可能、ましてや封印されて力を抑え込まれているお父様ならなおのこと」

 アルトは淫靡いんびな笑みを実の父に向けてそう言った。


「お前、封印のことまで知って……」


「ええ、何でも知っているわ。だからお父様、諦めて素直に私に付いてきてくださる?」

 彼女はアゼルに向けて優美に手を差し出す。


「………………」

 答えに窮するアゼル。

 彼がゴクリと唾を飲み込み、何か言葉を発しようとしたその瞬間、


「ダメ!」

 白銀の髪を振り乱してアルトの前に立ち塞がるイリア。


「あら、どうしたの? 泥棒猫の勇者さん」


「渡さない。アゼルは絶対に渡せない!!」

 何が正しくて、何を信じたらいいのかわからないのに溢れてくる、彼女の悲痛な叫びがそこにあった。

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