第203話 ヴァージンロード

 どんな出会いがあろうと、別れがあろうと、それでも無常に時は過ぎていく。


 聖晶樹の森から出てきた僕は陽の光差す空を見上げる。


「う~ん、2年か。流石に喋り過ぎてあごが疲れた。彼女たちもなかなか離してくれないんだもんなぁ。まあモテる男はツラいツラい」

 僕は一人トボトボと道を歩きながらそんなことを呟く。


「さて、彼女たちとの次の約束はまた何十年か先だし、それまでに何をしたものかな」

 これからの指針を少し見失い、自分はふと立ち止まる。

 しかし、森の湖にいる間ほとんど一人の少女についての話を語り続けたからだろうか、ちょっとした約束を思い出した。


「まあ別に、守る必要のない約束なんだろうけど」

 そう、あんなものはただのリップサービスだ。彼女にとっても、僕にとっても。

 だけど、今少しだけ自分の心持ちが楽になったのは、彼女のおかげかもしれないから。


「顔だけでも、出してみるかな」

 きっと、彼女の言っていた結婚式なんてものはとうの昔に終わっているだろう。だがまあ、幸せそうな彼女を一目見ておくのは、そんなに悪いことじゃない。


 自然と、自分の足はかつて住んでいた、今も彼女が住んでいるはずの街へと向いた。


「ああ、だけどその前に一応確認しておくか」

 自身のチート能力の一つ、『未来知』を起動させる。

 この世界、ハルモニアに魔族が流入してくるのはあと約20年後。一応自分なりに準備はしているが、その不備がないかの確認だ。


 もう一人の自分と同期していくような感覚。

 現実を生きる自分とは別の、未来という書物のみを閲覧し続けるもう一つの自分の意識を受け入れる。

 そして、その膨大な量の未来を確認する過程で、一つの街が燃えた記述を発見する。


「!!」

 その瞬間、僕はすぐさま『未来知』を閉じてあの街に向けて駆けだしていた。


 僕は知っている、世界の無常さを。


 僕は知っている、全てのモノはいつか消えてしまうことを。


 僕は知っている。


 だから、いつかは消えゆくあれこれに執着してもしょうがないことを。


 ならば何故、自分の足はそれを知りながら止まろうとはしてくれないのか。



 僕の人生においてたった一度の全力疾走、最短最速をもってかつて住んでいた、今も彼女が住んでいるはずの街に辿り着く。



 赤い焔が、空をめていた。


 街は燃え、あらゆる建物が壊されていた。


 後から知ることではあるが、この街は僕が辿り着く数時間前にある国に略奪を受けたらしい。


 この街の珍しい特産が目当てだったそうだ。


 いや、別にこの当時は珍しいことじゃ、ない。

 多くの国が覇を競いあって、1年の内に片手じゃ数えられない程の村や町が攻め立てられて皆殺しに合うのはよくあること、だった。


 だから、それは悲しむべきことでも、怒るべきことでもなかった。

 自分はどこにも属さない世界の爪弾き者。誰かに肩入れなんてするべきではないし、するつもりもない。


 するつもりはない、のだけど。僕の足は迷わずに燃える街の中へと向かっていく。

 生き延びて避難していたらしい街の住人が僕を止めた気もするが、そんなのには構わない。

 彼らの中に、彼女はいなかったからだ。


 燃え滾る火炎も熱も、失われていく酸素すら僕には関係ない。僕はリノン・W・Wワールドウォーカー。どんな場所であれ、こと歩くことにおいて、世界は僕を止められない。


 幽鬼のように歩き続けて、ひとつの場所へと行きつく。

 そこはこの街には不釣り合いなほどに立派な教会だった。

 この火災のなか、いまだその形を保っている。


 何かの直観があったのか、僕はその教会の扉を開いた。

 溶け出すような扉の熱さも、扉を開いた瞬間に襲い来る爆炎も関係ない。


 僕は教会の、真っ赤な絨毯を歩きながら真っ直ぐに歩いていく。


「そうか、だったんだね」

 教会の中は多くの人が死んでいた。


 みんな礼服を着ており、今日が祝いの日であったことは明白だ。


 その奥には、探していた人物が。


 今年で二十歳になったであろう美しい女性。

 乱れた衣服、大きくはだけた胸元には長剣が突き立てられて、純白であったであろうドレスはいまやその血で真っ赤に染まっていた。


 彼女の側に跪く。

 呼吸はなく、その瞳は動くことはない。

 胸に刺さった長剣を抜く。血は、一滴も流れることはなかった。


 完全に死んだ命。

 ほんの僅かにでも生命の鼓動が残っていれば、それを長じさせることはできた。

 だけど、既に失われた命を取り戻すことは、どんなずるを用いても不可能だった。


 絶望に染まった彼女の瞳、せめて安らかに眠れるようにその瞼をそっと閉じる。


 だけどそんなのは詭弁だ。

 ただ本当は、僕がこれ以上彼女の死を直視できなかっただけの話。


 彼女を抱きかかえて教会を後にする。


 ああ、なんて滑稽な。


 赤い絨毯を踏みしめて、赤く染まった花嫁を連れ出す自分。


 こんなことなら、どんなに気恥ずかしかろうと彼女の提案を受けておくんだった。


 ハリボテの父親役でもいいから、彼女の側にいてやるんだった。


 涙は落ちない。


 燃え盛る乾いた空気によって、すぐに舐めとられてしまうから。



 街の外まで出てきた僕を見て、生き残りの人たちは驚いていた。この業火の中を生きて戻ってくるとは思わなかったのだろう。


 僕は彼らに抱き抱えていた彼女を預け、出きるだけ丁重に弔って欲しいと言伝ことづててその為の金銭も渡した。


 それで彼女については終わり。

 誰かを特別扱いすることなど、本来僕にはあってはならない。


 だがどうした、だからどうした?


 それでも彼女が幸せであって欲しいと願うのは、幸せになって欲しかったと悔やむことは、悪いことなのか。



 ああ、悪いことだ。


 この世界において、誰かの幸せが誰かの暴力で壊されるなどありふれた日常の光景であり珍しくもないことだ。

 そしてその略奪の結果、奪いとった誰かの幸せに似た幸せナニカを手にしている。

 大なり小なり、幸せな日常の裏には、世界のどこかで割りを喰らっている存在が必ずいる。


 だから、それが自分たちの側に回ってきた時にだけ嘆くというのならそれは悪だろう。


 ならば、僕は世界を進めてやる。


 戦乱の日々が、国と国との争いの日々がこんな惨劇を生むというのなら、そんなものが擦り切れてしまうほどに時代を、文明を進めてみせる。

 多くの成長と排斥を繰り返しながら、他者と殺戮を前提に奪い合うのではなくせめて表面上だけでも共存していく社会を形成するまで僕の能力を駆使していく。


 そう、彼女がもう一度この世界に生まれ落ちた時には、幸せだったと思える生涯を送れるように。



 この世界に生まれ変わりはある。


 余人にはわからずとも、それを知覚できる人間には確かにわかる魂の輪廻がある。


 だから、彼女が、イリアがまた生まれてくるその日までには、この世界に仮初めでもいいから平穏をもたらしてみせる。




 そして、僕はそれから世界に叡智をバラ撒いた。


 かつて彼女が願ったように、実に分かりやすい賢者として世界を巡り、他者を癒し、繁栄させ、社会を成熟させていった。

 人は僕の思惑も知らずに「大賢者」と褒め称える。


 それでいい、それで構わない。

 頼むから、成長してくれ。誰かと争うのは構わない、時には他者を妬み、自分にはないモノを奪いたくなる時だってあるだろう。

 しかし、せめてそこで血を流さないでくれ。


 それが蛮行だと気づく程度には、早く成長してくれ。


 約20年、そんな思いで僕こと大賢者リノン・W・Wは活動を続け、ついに約束の日がやってくる。


 ハルモニア大陸の西の門が開き、そこから魔族が流れ込み、そして大量の魔素がこの世界に広がっていった。

 多くの人間がそこで死んだ。

 それは僕の力をもってしても回避しようがない運命の死。


 だが構わない、というか仕方がない。

 これを契機に世界は変わる。

 せめて、人同士が争わない世界には。

 そして、魔族と均衡を保てるだけの後押しは既に終わっている。


 少なくとも、魔族が現れる前の世界よりは、不条理な死は少なくなるだろう。



 ああ、これは余談なのだけれど。

 僕の両親の街を、そして彼女が住んでいた街を襲い略奪を行なったハルモニアで一番の栄華を誇った西の大国は、魔素の流入と魔族の侵略によりほんの数日で滅び去った。


 僕がかの国に一切の助け舟を用意しなかったことは、どうか見逃して欲しい。

 救いの手を伸ばせる範囲には限度があり、そしてそれを伸ばす僕の心にも同様の限界がある。



 あらゆる手を尽くした僕は再び世界を放浪する。


 いつか来る未来に、彼女の健やかな幸せがあるように。

 今度は彼女が、自分の死を笑って迎え入れられるように。


 僕はずるくて卑怯な奴だから、その彼女の笑顔をもって、自分の失態をなかったことにしたいんだ。



 

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