第200話 変わるモノ、変わらないモノ
さらに時を隔てて2年ほど、
「ねえ、リノン様。またこんなとこで釣りしてる。別にここが穴場ってわけでもないのに」
それだけの時を経ても、相も変わらずに黒髪の美少女が僕に声をかけてくる。変わったことと言えば、彼女が僕を賢者ではなく、名前で呼ぶようになったことくらいだ。
「はぁ、キミもなかなかに変人だねぇ。どんなに脅されても優しくされても、僕はそうそう変わることなんてないよ」
そんな彼女に僕はいつも通り振り向きもせずに返事をする。
誰が話しかけてきたかなんて確認する必要もない。自分にわざわざ話しかけにくるような奇特な人間は彼女くらいであり、そして彼女が僕に賢者として奮起して欲しがっているのも変わらなかった。
「……別に、私はリノン様を変えたいとか思ってないよ。ただ私が私であることが変わらないってだけ。実はスゴイ人がみんなにその通りの扱いを受けていないことを、変に感じるだけだもん」
彼女は腰を曲げて前かがみになって僕の横から水面を見ている。
彼女、イリアは14歳になってますます美しくなっていた。起伏に乏しいボディなのは相変わらずだが、それを補って余りあるほどの可憐な容姿だ。これだけ可愛ければ周りの男たちは彼女を決して放ってはおかないだろう。
「まったく、僕も随分と買い被られたもんだ。むしろ村の連中の僕への扱いは、僕という人格に相応しいものだと思っているくらいだけどね」
僕はとくに彼女を気にすることなく釣りを続行する。流れる川、吹き抜ける風、見え透いた餌に釣られることもなく自由に泳ぎ回る魚たち。ああ、世界は今日も通常運行で廻り続けている。
「む~、リノン様はこんな小娘には興味ありませんって感じだね。これでも将来は息子の嫁にどうだとか、付き合ってくれとか結構たくさん声をかけられるんだけどな」
精神的に無視を続ける僕の態度をさらに無視するように、彼女、イリアは僕の隣に座ってきた。
「────はあ、なんだってこんな男の側に寄りたがるんだか。ま、キミくらいの年ごろの娘が顔だけが良いロクデナシに興味を持つのは珍しいことではないけどね」
彼女の、本当の想いになんとなく気付きながらも、見当違いの感想を述べる。
そこに言及してしまえば、今度は僕が立ち行かなくなるから。
「自分で顔が良いって自覚があるあたり本当にロクデナシだよねリノン様。でも私そこが好き。私にそういう意味で興味を持たないってわかってるから安心するの」
目を細めて笑いながら、彼女はそんなことを言う。
ほんの少し疲れたような笑顔。どうやら彼女は男女交際の申し込みが多すぎてお悩みのようだった。
「ふむ、モテすぎるのも考え物ってやつかな。とくに思春期の女の子にとっては異性の好意というものが全てプラスに感じられるわけではないだろうからね。その点もう少し大人になれば、異性の好意はお金に変換できることに気付くんだろうけど」
そう、いわゆる魔性の女という奴だ。
その錬金術に開眼してしまえばきっと人生はイージーモードへと早変わりするだろう。
「……いやいや、そんな大人になることを推奨しないでください。私、大人になるならキレイな大人になりたいの。見た目のこともだけど、それ以上に心がキレイでいたい」
それこそ本当にキレイで純真な心で彼女はそんなことを言った。
やめて欲しい、生まれてこのかた一度もそんなことを思ったことのない僕が、まるで汚れているみたいじゃないか。
「そうか、それはまた随分と欲張りな望みを持ったものだね。どちらか一つであれば現実的ではあるけど、そのどちらともとなるとなかなかにハードルが高いよ」
僕は自身の長い人生経験から容姿と性格が高いレベルで調和している人物がどれほど少ないかを知っている。まあだからこそ、そんな人になりたいと望むのだろうし、そのような人物の社会的な価値が高いわけなのだけど。
「難しくてもいいの。そうなれるかよりも、そうなりたいと思うことの方が大事でしょ?」
僕の意地悪な返答にも彼女は澄んだ言葉で返してくる。
うむ、でも彼女がそのロジックを使うのなら。
「まあそりゃね。でもだったら僕がこうやって隠遁生活を目指しているのも間違いじゃないだろ? たとえ僕の行動がブレブレだとしても、そうなりたいと思っていることには変わりないんだから」
彼女もまだまだ若い、こうやって簡単に言葉の隙を見せてしまう。
さて、今回も軽く彼女をあしらって、いつも通りの無意味の意味を探すあてのない時間つぶしをしようと僕が思っていると。
「む、それが本当にリノン様のなりたい姿ならいいと思うよ。───────でも、本当にそれが望んだこと?」
風が、草花を揺らして吹き抜ける。
「──────────」
彼女の言葉に答える必要がなかったのか、返せる言葉がなかったのか。
はて、僕は望んで隠者に、本当の意味での賢者になりたいのか。
それとも、ただあらゆる選択肢に埃が積もったがゆえに、掃除をするのがめんどくさくなって自身にも降り積もる埃を甘受しているだけなのか。
けど、それでも、
心を動かすことすら億劫な僕は、雪のように降り積もる埃から逃げ出そうとは思わなかった。
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