第198話 黒髪の少女

 その頃の僕はある村に逗留とうりゅうしていた。

 素朴で、何の変哲もないどこにでもあるようなのどかな村。


 正直にいってその当時の僕はんでいた。

 『未来知』によって知ったハルモニア世界に今後起こる大きな変革。つまりは魔族と魔素の流入。それに対する大きな仕込みも終え、とくにすることもなくなった僕は何をするでもない無為な日々を送っていたのだ。


 その時の年齢は確か70歳くらいだったか、普通であれば自身の墓の心配をする頃合いだが、『焦点化』によって20代後半で肉体と精神を留めてある僕にとっては無縁の話。いや、無縁どころではなく、僕が自ら不老と不死を手放さない限り一生そんな日はやってこないのだ。


 それが、億劫だった。

 その辺の金持ちや権力者たちに不老不死の話でもちらつかせれば、いったいどうすればソレが手に入るのか瞳を輝かせて聞いてくるだろう。

 だけどその不老不死の実態はこんなものだ。どんなに満たされた日々を送ったとしても、必ず飽きがくる。心が虚しくなる。何にも感動を覚えなくなる日が、いつかはやってくる。


 幸いなことに、僕の不老不死は疑似的なものだ。そのスイッチを握っているのは僕自身、それを切ってしまえばいつでも僕はまっとうな命の流れに戻ることができる。

 

 でも僕にはそれを手放す心の強さがなかった。何故なら一度でも手放してしまえば後戻りはできない。後付けで不老不死を掛けなおすことはできてもその間に進む肉体と精神の年月は戻らない。


 そのちょっとした老化でさえ僕には怖いのだ。だってそれを繰り返せばいつかは本当の老人にまで至ってしまうだろう。その時になって若さを取り戻したいと思ってもそれは僕の力では無理なのだ。もしそのように年老いた時、僕は無様にも真の不老、若返りの秘法でも探し求めるかもしれない。何よりそんな愚かな自身を晒してしまうかもしれないことが、僕には耐えられないほどの恐怖だった。



「なにをしてるの? けんじゃさま」

 ふと、ひとり思い悩んでいた僕にあどけない少女の声がかけられる。


「ん、ああ、釣りをしてるのさ。あと僕は賢者なんて大層な者じゃないよ」

 僕はとくに振り向きもせずにその声に答えた。

 僕が今いるのは村の外れにある小川の清流。そこで釣糸を川に垂らしながら、ろくに引くこともない竿を眺めているのだ。


「そうなんだ。でもおとなの人たちはみんなお兄さんのことをへんくつもののけんじゃさまだって言ってるよ」

 そういって声の主は僕の隣に座ってきた。

 年の頃は7~8才の黒い髪を背中まで伸ばした黒い瞳の女の子だ。今は可愛らしさが優っているが、あと10年もすれば村一番の美人と噂されるほどの素養がある。


「偏屈者って、随分な言われようだな。それなりの知恵は貸しているつもりだけど」

 少女からリークされた自身の批評に思わず溜め息をつく。僕はこの村に滞在するにあたって多少の知恵を村人に与えていた。それに伴い村はそれなりに発展し、その対価として僕の衣食住を保証してもらってるのだ。


「?? へんくつものってほめ言葉じゃないの?」

 少女は純粋な瞳でこちらを見てくる。


「そうだね、でも仕方ない。最近は彼らの生活にあまり貢献していないからね」


 そう、彼らの村に世話になって約10年。しかし、ここしばらくのところ僕は彼らに知恵を与えることを渋っていた。金の卵を産み落とすと思っていたガチョウが普通の卵すら産まなくなったのだ、彼らが苛立つのも理解できる。

 だけど僕はこれ以上彼らに知恵を貸すつもりはなかった。初めに知恵を与えたのは村での居住権を得るためだけ。村社会は余所者を受け入れないが、明確なメリットを示す者は特別だ。そうして僕は初めにわかりやすいメリットを提示することですんなりと村に迎えられた。


 後のことはどうでもいい。衣食住なんてその気になればどうとでもできる。僕が欲しかったのは、ただ誰かがいる空間だったのだから。


「けんじゃさま、さみしそう」

 ふと、隣の少女が頭を撫でてくる。


「そう、僕は寂しがりやなのさ。誰かに構われるのは嫌いでも、本当の独りになるのは怖いんだよ」


 相手が幼い少女であるのをいいことに、僕は心の中の本音を吐き出してしまう。

 このそれなりに長い人生において、結局僕はひとりになることはできなかった。その選択を選べなかった。

 外界と隔絶して孤高にて知を修める、そんな本当の意味での賢者には、僕は成れなかった。


「わたしといっしょだ!」

 僕の言葉を聞いて何故か少女は喜ぶ。


「一緒?」


「うん、わたしも夜にひとりでおトイレにいけないの。ひとりはこわいからいつもお母さんについてきてもらうの」


「そうか、確かに一緒だね」

 できるだけ優しく彼女の頭を撫でる。

 うん、僕のそれは夜闇の恐怖に耐えられないことと大して変わらない。何も見えない場所に独りでいると、そこに何か恐ろしいモノがあるのではないかと怖いのだ。


「あ、けんじゃさま! お魚が引いてるよ」


「あれ、本当だ。キミと一緒にツキも回ってきたらしい」

 僕は慣れた手付きで釣竿を引いて魚を釣り上げる。

 サイズは別段大きくはないが、よく脂の乗っていそうな川魚だった。


「うん、上々だ。ほら、この魚はキミにあげよう。今夜のご飯が少しだけ豪華になるよ」

 魚を針から外して、軽くそれの頭を叩いて意識を刈り取り手持ちの布に包んで少女に渡す。本当はこの場で魚を絞めてしまった方が新鮮さを保てるのだけど、さすがに幼い少女の前でそれをするのは気が引けたので裏技で代用する。


「ほんとう!? うれしい。わたしお母さんに見せてくる!」

 少女は本当に嬉しそうに駆け出していこうとする。


「おっと、ちょっと待ってくれ。キミにはこれも渡しておこう」

 僕は懐からいくつかの種を取り出して彼女に渡す。


「これは?」


「ちょっとしたおまじないをしてある種さ。お母さんにお魚を渡したら村の人に、私からそれを貰ったと伝えるといい。きっと喜んでもらえるはずだから」

 そういって僕は彼女を送り出した。

 少女に与えたのはこの地方では珍しい種類の植物の種だ。上手く育てられれば数年でこの村の特産になるだろう。

 たまにはこうやって貢献の真似事でもしておかないと、ごく潰しとしていつ追い出されるかわからないからね。


「けんじゃさま~、またね~」

 少し離れた場所から少女が手を振っている。


「はいはい、わかったよ。気をつけて帰るんだよ

 僕は仕方なしに手を振り返して彼女を見送る。

 そう、イリアという名の黒髪の少女を。

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