第196話 どこかのいつか
「はい、というわけでわかったアーシャ? 賢者様は~?」
「クズでロクデナシで人でなしのどうしようもないダメ人間!!」
母親の問いかけに、少女アーシャは元気よく答える。
「そう、良くできました。いい? 世間ではね、自分から賢者とか名乗る人間を信用しちゃいけいないのよ」
母親は指を立てて少女に言い聞かせる。
「わかったわお母様。…………でも、物語の賢者様は確かに正しいことばかりをしてたわけじゃなかったけど、それでも何かのために頑張ってた、そんな気がするの」
少女アーシャは母親の洗脳、……もとい教育を受けてもなお、その賢者の行動の価値を探ろうとしていた。
「─────そう、貴方はそこまで読み取っていたのね。貴方は正しく、本当に素直に育ったのね」
その少女の反応を見て、母親はギュっと彼女を抱きしめる。
「お母様?」
「そうね、少し早いけれど貴方にも教えるわ。正しくあるように、清く真っ直ぐにと貴方を育ててきたつもりだけど、だけどこの世界はその正しさだけじゃ救えないこともたくさんあるの。その点あの賢者は誰よりも賢かった。正しさや悪で物事を測ることをとっくの昔にやめていた」
娘を抱きしめ、遠い記憶を思い出すように母親は言葉を続ける。
「誰かを、何かを守るために平気で嘘をついて、平気で本当のことも言った。あの男は、悪を行なうことも、正しさを遂行することにも何一つためらわなかった。その結果多くの者を不快にさせたけど、多くの物を守ったのもきっと本当よ。アーシャもいつかそんな日がくるかもしれない。貴方が、アーシア・ヴァーミリオンが魔王としてその座についた時にはそんな決断をしないといけない日がくるかもしれない」
「お母様、何でそんなに悲しそうなの?」
「ううん、ごめんね。難しい話をしちゃった。私が言いたかったのはそんな難しいことじゃないの。もしこれから何か迷った時は、貴方が思う貴方の正しさを貫きなさい。ただそれだけ」
彼女は何かを吹っ切ったような顔で娘の頭をなでる。
「貴方の、死んだお父様もそう願っているわ」
「お父様が?」
少女はそのワードに少しだけ嬉しそうに反応する。
母親が、その言葉を自分から口にするのはとても珍しいことだからだ。
母がいつも悲しそうな顔になるので、少女は無意識のうちにその話題に触れることを遠慮していた。
「ねえ、お母様、今日はお父様の話、もっといっぱい聞いてもいい?」
「─────ええ、いいわよ。だけど少し長くなるから、お布団に入ってからにしましょ」
「うん! お父様ってとってもカッコよくて強かったんでしょ?」
「そうよ。でも何より、その心が誰よりも強い人だったわ」
静かに、誇らしく彼女は答え、少女を寝室へと促していく。
ここより先は母親と娘の寝物語。
誰もその中身を聞くことはない。
だから、勇者たちの旅の結末がどうなるのかは、再びあの本のページがめくられた時に語られるだろう。
終わりは、眠りよりも優しく。
物語の最後のページの中に納まっているのが、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは、誰かがそれを捲ってしまうまでは分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます