第186話 リノンとアゼル

「さて、昔話をするとしよう。この毒竜ヴェノム・ハデッサは最初からこんなに大きく、強いドラゴンではなかったのさ。というのもこいつは幼体の頃に地上に間違って落ちてしまったドジなやつでね。本当だったらそこで衰弱死していてもおかしくなかった。それが偶然にもこの冥府の大沼の源流となる魔素溜まりに辿りついてどうにか一命をとりとめたというわけさ」

 毒竜ヴェノム・ハデッサの肩に座しているリノンは、その毒竜と必死に戦うアゼルをよそに何事か語り始めていた。


「それは僕が生まれてすらいない遥か昔、旧時代パストエイジの中でもさらに古い時代だったようだね。生まれたての子犬のようなコイツは必至にその源流から湧き出る魔素を喰らうことで生き延びた。だがそれだけではただ命を繋ぐだけで本来成長に必要な魔素には届くはずもない。だからコイツは掘ったのさ、未熟な手足と牙で、この世界の在来の生物に命を脅かされながらも、深く、広く、少しでも多くの魔素を取り込めるようにとね」

 リノンの目下では毒竜の鋭い爪とアゼルの魔剣が何度も衝突して激しい火花を散らせている。


「それを何千年以上と続けて、ようやくここは冥府の大沼とまで呼ばれるほどに巨大化した。つまりここはコイツにとって何千年も守り続けてきた自分の半身にも等しい場所なのさ。だからここを踏み侵そうとする連中が許せない。大事な宝物をこっそり盗もうとする奴らが許せない。──というわけで今コイツは君を全力で襲っているわけだね魔王アゼル」


「くだらない話をどうもクソ賢者! そもそも一番の戦犯であるはずのお前が安全圏にいるのが納得いかないがな」

 毒竜の攻撃を防ぎながらリノンに罵声を浴びせるアゼル。本当ならすぐにでもリノンに斬りかかりたいところだが、毒竜ヴェノム・ハデッサの猛烈な攻撃の前に身動きがとれないでいる。


「ハハハ、それは仕方ない。僕はいつだって安全圏で、いつだって部外者だ。そうだ、君もいつまで命がもつのかわからないし、ここで僕の昔話も追加でしようか。僕が生まれたのはさっきも言った通り300年前だ。そう、魔族がこの世界ハルモニアにまだ流入していない頃のことさ。ま、魔族はいなかったけれどその当時から人間は人間同士で戦争をしていた。本質は何も変わらないね」

 虚しさを漂わせながら、リノンは昔語りを始める。


「当時の僕は才気溢れる若者でね、この地上の全ての叡智を手にしようと躍起になっていた。うんうん、今の僕からすれば気恥ずかしい黒歴史だ。まあ普通ならどんなに願ったところで、適当なところで挫折するのが人間だ。だが残念なことに、当然なことに僕はそうならなかった。人間としての規格が違ったんだろうね」


「自分は周りとは違いましたってか? そんな若造の時からキサマは傲慢だったんだな」

 アゼルはヴェノム・ハデッサのブレスをかいくぐりながらリノンを罵倒する。


「そりゃ傲慢にも高慢にもなるさ。英雄ラクスが究人エルドラだって話はしただろ。そして僕も同じ究人エルドラなのさ。だからレベル80程度で止めていてもそのステータスはイリアやエミルくんよりも高いし、今の人間では手の届かない叡智にも手が届く」

 語るリノンの言葉にはより虚しさが募っていく。


「何、お前があの英雄と同じだと?」


「ああ、僕はどうやら捨て子だったようでね。だから両親は普通の人間さ。僕が一体どんな血統のもとに生まれたかはわからない。いや本当は深淵解読システムブックを使えば一発でわかるんだけどそれはしたくない。まあそういうわけで僕は叡智を探求した結果、彼女と同じく『ダンジョン』に辿り着き、そして悟りに至ったのさ。叡智を手にした者、賢者へとね」


「それだと、辻褄が合わない、ぞ。ラクスは確かに強すぎるほどに強かったが、お前みたいなおかしな力は持っていなかった、からな」

 度重なる毒竜の攻撃を掻い潜りながらも会話を続けるアゼル。


「それは僕も疑問だね。この叡智を手に入れる部屋はダンジョンの入り口付近にあったから、見逃したとも思えないけど。まあ自身を鍛え上げる気のなかった僕は、すぐにダンジョンからは引き返したさ」


「それで? そんな身の上話を俺にして、お前はどうして欲しいんだ? 今さら、俺が赦すと思うなよ」

 アゼルは毒竜の爪を腕ごと弾き返しながらリノンに言う。


「まあ今のはこれからの話をするために知っておいて欲しい前提の知識でね。まあそんなこんなで僕が手にした特殊な力は3つ、『焦点化リアルフォーカス』に『深淵解読システムブック』、そして『未来知アナザービュー』さ」


「未来知?」


「そう、それはこれから起こる出来事をテキスト化して把握することのできる力さ。未来という本を読む感覚に近いのかな。もちろん未来にも複数のパターンがあるし、遠くの未来ほど読むのに時間がかかる。その上ここ50年ほどはそのテキストも穴だらけになってしまって少しずつ役に立たなくなっているんだけどね」


「それが、どうしたって!?」

 再びの毒竜の猛攻に堪えながらアゼルは聞き返す。


「見えないんだよ」


「あ?」


「イリアの、彼女が不幸になる未来しか見えないんだよ」


 突然の、リノンの告白、その表情はかつてないほどに真剣で深刻だった。


「いくつも、いくつも未来を閲覧した。虫食いのような空白もいくつもある。だけど彼女が幸せに生涯を全うする未来が一つもない。そして、確実に彼女が不幸になる未来、その全てで君がイリアの隣に立っている」


「──────────何だと」

 その予想外の未来の宣告に、我を失ったアゼルは棒立ちとなってしまう。


 そこへ毒竜の前脚が蹴りのように振り上げられ、直撃を受けたアゼルは水切り石のように大沼の水面を跳ばされていく。


「思ったよりもショックを受けてくれて嬉しいよ。君にとってあの子はそれくらい大事な存在になってたんだね」

 ゆらりと毒竜の肩からリノンは立ち上がる。


「だからこそお願いするよ。なあ、魔王アゼル。彼女の、イリアの前から、消えてくれないか?」

 

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