第185話 イリアの気持ち

 アゼルとリノンが毒竜と対峙している頃、エミルとシロナはユリウスとカタリナの指導にあたっていた。


「しかしエミル、今の拙者はロクに刀も振るえない。これでは上手く教えられないでござるが」


「逆だってシロナ、シロナがいつもみたいに聖刀なんて振ったらこの子たちには見えないんだから、今くらい能力が落ちていないとまともに教えられないでしょ」

 

「む、そうでござったか」

 少ししょんぼりとするシロナ。


「さ、ユリウス、カタリナ。アンタ達も無事に家に辿り着くまでは自分の身くらいは自分で守らないといけないんだから。護身の術は身に着けておきな。さしあたって身を守る体術とクロムのおっちゃんから貰った刀の使い方くらいならアタシたちが教えてあげる」


「「はい」」

 エミルとシロナの前に立っているユリウスとカタリナは元気よく返事を返す。


「体術はアタシ、護身刀の使い方はシロナが、それぞれマンツーマンで教えるけど、ひとまずどっちから教わりたい?」

 エミルから投げかけられる些細な問い。

 ユリウスとカタリナ、二人の目の前にいるのは「歩く災害」と呼ばれるエミルと、クロムの息子シロナ。

 

 瞬間、二人は本能的に何かを感じたのか、シロナの方へと顔を向け。


「俺はシロナに───」

「私はシロナに───」


 同時に教えを受けようとしていた。


 言葉がかぶった瞬間に固まるユリウスとカタリナ。


「…………へ~、そういうことしちゃうんだ。今のは流石にアタシも傷ついたな~」

 ゆっくりとエミルへと顔を向ける二人。しかし彼女は台詞とは裏腹に実にニコニコとした表情だった。嗜虐的な笑みとも言えるが。


「よし、それじゃまずはユリウスから相手したげる。シロナはカタリナを見てあげて。とりあえず1時間くらい教えたら交代ね」


「エミルよ、休憩の時間は入れないでござるか?」


「大丈夫大丈夫、この子たちは魔族の中でも特級の血を引いてるし、そんじょそこらの連中よりも体力あるの。だからシロナも遠慮なくしごいてね」

 ニコニコと、彼女の中でも最上級の笑みを浮かべてエミルは言う。


「うむ、そういうことであれば問題はないでござるな」

 意外なことにシロナもエミルのスパルタ理論にさして反論する気はなさそうだった。

 それを見て、これから始まる特訓への恐怖で頬が引き攣るユリウスとカタリナ。


「…………ところで、今さらっと2時間の訓練予定を立てたでござるが、アゼルとリノンが早々に毒竜を片付けてくる可能性もあるのではないか?」


「どうだろ、アタシの見立てだとそのくらいはかかると思うよ。さっきからリノンの気配が消えてるし、また何か企んでいるみたいだからね」

 エミルは冥府の大沼へと意識を向けてそう語る。


「確かに、リノンを視認どころか、意識することさえ難しくなっているでござるな。しかしこのままあやつの好きにさせてよいのか?」

 シロナには珍しい辛辣な態度。しかしそれはある意味での信頼の裏返しのようでもあった。


「ほっとくしかないんじゃない? アイツが本気で遊びだしたら手が付けられないからね。それに、リノンはああ見えて無意味なことと無駄なことが嫌いだから、どれだけウザい行動に見えたとしても必要なことだったりするしね」

 エミルはそう言って嘆息する。


「?? エミルさん、さっきから誰のことを話してるんですか?」

「うん、リノンって誰のこと?」

 純真無垢な瞳でユリウスとカタリナはエミルを見る。

 二人はリノンの力の行使の影響により、完全に彼のことを認識できなくなっているようだった。


「ん~ん、今は関係ないよ。二人がアイツのこと思い出せたら訓練終了だから。さ、覚悟しなよ」

 エミルは少しだけ優しい笑顔で二人を馬車から少し離れた開けた平原へ連れていく。


 そして、この場にはイリアだけがただ一人残ってアゼルたちと毒竜の戦いを見守っていた。


「───────────」

 イリアは膝を抱えて座り、無言で冥府の大沼へと目を向けている。


 その視線はただ一人、アゼルにのみ向けられていた。

 そしてそれは、リノンの焦点化リアルフォーカスなど関係なく、初めから彼女の瞳にはアゼルしか映っていなかった。


「やっぱり、今日のアゼル、カッコいいよね」

 ふと、彼女の口からこぼれ出る言葉。

 彼女は彼の一挙手一投足、全てを真剣に見つめている。真剣に毒竜と向き合う瞳、誰かに向けて罵声を放つ姿、颯爽と大沼の上を走り抜ける様子、数多くの攻撃を必死に耐えている、彼女の魔王。


「どうしたのイリア? そりゃ整った容姿とは思うけど、別にいつもあんな感じじゃない?」

 呆けるようなイリアの言葉にアミスアテナが答える。


「そんなことないよ。最近のアゼル、急にカッコよくなった気がする。…………さっきだって、まともにアゼルの顔を見れなかった」

 先ほど封印を解いたときの光景を思い出して、イリアは恥ずかしそうに顔を伏せる。本当に恥ずかしいのかその耳までもが赤く染まっていた。


「……………………イリアは、魔王が好きなの?」

 その仕草を見て、意を決したようにアミスアテナはその問いを投げた。

 それは、最近のイリアの様子を見れば一目瞭然のことであった。しかし、それでも思い違いであって欲しいと願いながら、彼女はその質問をずっと我慢していたのだ。


「─────好き、なのかな? わかんないよアミスアテナ。だって私、そういうふうに誰かを好きになったことないもん。こんな気持ち、初めてだもん」

 俯きながら、ポツンポツンとイリアの心の言葉が漏れ出す。


 アミスアテナは悩んでいた。

 どう答えるのが、自分にとって正しいのかと。

 それは一時の気の迷い、すぐに醒める一過性の病だと言ってしまうのは簡単だ。

 だが、彼女には、どうしてもそれを口にする気にはなれなかった。


 イリアから漏れ出た言葉、それはかつて彼女が抱いた感情とまったく同じであったからだ。


「最近ね、ずっとアゼルのことばかり考えるの。今日はあんまり話せなかったとか、昨日よりたくさんお話しできたとか。アゼルと手を繋げて嬉しかったり、冗談でアゼルを抱きしめてドキドキしたり、アゼルとの、キスを思い出して眠れなくなったり。…………最近ね、夢の中にもアゼルが出てくるの。いつも焼けた村の夢ばかりだったのに。今はね、そんなことも思い出せないくらい胸の中がアゼルでいっぱいなの」

 涙が、零れ落ちる。

 イリアには、それが正しいことなのか分からなかった。

 自身の根底にある、大事な人たちを奪った者への復讐、それすら薄らいでしまう彼への想いが、持っていて正しいモノなのか、彼女には分からなかった。


「イリア、」

 アミスアテナは先ほどの自身の考えを撤回した。

 イリアが抱いているのは、かつての自分とは比べものにならないほどの確かな恋心だった。


 イリアが生まれた時からずっと一緒にいた彼女だからこそ断言できる、初恋だった。


 思い返せば今まで一度も恋に落ちなかったことの方が不自然だったのだ。


 イリアは普通の女の子、普通の女の子に勇者というレッテルを貼っただけの存在だ。


 そして彼女は素直に、一途に、その勇者という在り方を守り続けた。


 結果として彼女は多くを失い、多くを奪い、自他ともに認める勇者として成立する。


 しかしそれでも、その中身が、その根本がただのありきたりな少女であることに変わりはない。


 だからこそ、目覚めたのだろう。


 前回の英雄ラクスとの戦いにおいて、イリアは勇者としての在り方よりも魔王アゼルを守る道を選んだ。きっとその時に目覚めたのだ。今まで表に出ることのなかったあたり前の少女としての彼女が。


 あとはきっと、坂道を転げ落ちるよりも簡単に恋に落ちたのだろう。

 彼女の目の前にいるのは、彼女にとって誰よりも「人間らしい」魔王。自身のこれまでの生き方に悩み、足掻き、逃げ出しながらも輝かしい明日を夢見る彼。彼女を否定し、彼女の人生を否定し、それでも否定しきれずに大切に守ろうとしてしまうような弱い彼。


 イリアにとってそんなアゼルは、誰よりも眩しく、尊く、そして愛おしく思えたことだろう。


「イリア、私はあなたのこと好きよ。だから言うけど、やめておきなさい。その気持ちが何であるかに気付く前に、忘れてしまいなさい」

 アミスアテナの言葉が虚しく響いて消えていく。


 その言葉は、果たしてイリアに届いたのだろうか。



 彼女はずっと、戦い続けるアゼルを熱い瞳で見つめていた。

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