第184話 裏切り

 

「これは一体どういうことだ大賢者! その怪物はどうしてお前を襲わない? まさかお前がそいつを操っているのか?」

 アゼルは確かな敵意をリノンに向ける。

 毒竜ヴェノム・ハデッサの肩に座ってこの状況を眺めている彼の様子はアゼルにはあまりにも理解できなかった。


「ああ、そうだね。実はコイツは僕が飼いならしている怪物なんだよ…………ってのは嘘で、本当のことを言えばコイツは最初から僕のことを認識できていないのさ」


「何だと?」


「この毒竜が出現した時点で、周囲の注目を君とコイツに集束してるのさ。だからこっちを見ているイリアたちも僕の行動を観測できないし、それを異常だとも思わない」


「キサマ!! それで一体何がしたい!?」

 いよいよ真剣にリノンへ向けてアゼルは怒気を放つ。


 たがリノンはなに食わぬ顔で、


「まあそれはおいおいと話そうか。それより魔王アゼル、こうして会話をしている間もこの毒竜は止まらないから注意してくれよ」

 アゼルへの説明をはぐらかした。


 そして毒竜はその鋭い爪をもつ前脚を大きく振りかぶってアゼルへと叩きつける。


「ぐぅっ!」

 それをアゼルは魔剣で受け止めて踏ん張っていた。


「おお! それはスゴい、この不安定な足場でその大質量を受け止めるなんて。さては君、自分の魔素骨子を足場を含めこの空間全体に広げて支えているね? さすがは魔王、この毒竜とは格が違う。あ、ブレスも吐き出すみたいだから頑張って耐えてくれ」


 リノンの指摘と同時に毒竜ヴェノム・ハデッサはアゼルを押し潰そうとしている爪の上から先ほどのブレスを放つ。


「ぐっ!? クソッタレが!!」

 アゼルはさらに襲いくるブレスの侵食に自身の魔素炉心を活性化させて抗っていた。


「そう、そういうことなんだよね。魔族と魔族、もしくは魔族と魔物同士の戦いは人間たちのそれとは趣が違う。君たちの戦いは魔素の支配権の奪い合いだ。ただ相手を打ち負かすのではなく、相手の魔素そのものを征服して隷属させる」

 リノンは魔素の侵食に必死に抵抗するアゼルを眺めながら言葉を続ける。


「だからさ、その魔素の支配する戦いで負けてしまえば君が今いくら不死身の状態だろうと関係ない。むしろ死ぬことがない分、一生コイツの餌として生き続けることになる。その時は仕方がない、みんなには君のことをすっぱりと忘れてもらって旅を続けるとしようか」

 悪辣に、冷淡に、リノンはアゼルへと離別の言葉を投げつける。


「忘れる、だと?」


「そう、僕の力で二度と思い出せないようにしてみせるさ。魔王は消え、勇者は生きる、これはこれでハッピーエンドだろ?」


「───るな。ふざけるなよてめえ!!」

 アゼルの咆哮とともに彼の周囲で爆発的に魔素が飛散する。とどまるところを知らない魔素の霧が、毒竜だけでなくリノンまでも包もうとしていた。


「ん? 今のは一体何かな? 単純な目晦ましとも違うようだけど、っておわ!?」

 リノンがアゼルのいた場所を検分していると、彼の背後から突然アゼルが魔剣で斬りかかっていた。


「死ね! クソ賢者! お前の方こそ毒竜に喰われたってことにしてやるよ」


「ビックリさせないでくれよ魔王。そうか、さっきの霧は君が生み出した魔素ではなくて、爆発四散しただったんだね」

 リノンは手にした杖でアゼルの魔剣を受け止めながら今起きた現象を分析する。


「自分の肉体を散り散りにばら撒いて、目的の場所で再生する。不意打ちとしては見事だけど、文字通り死ぬほど痛かっただろうに」


「知ったことか、これでキサマの首を撥ねることができるなら安いものだ」

 アゼルはリノンの言葉を半ば無視しながら一心不乱に魔剣を叩きつける。


「へえ、僕の首を? ねえ、やってみなよ」

 ふと、リノンから笑みが消え、代わりに得たいのしれない威圧感が溢れてくる。


「!?」

 突然に今までと雰囲気の変わったリノンにアゼルは嫌な予感を感じ、大きく後ろへと飛ぶ。


 しかし、


「へえ、そのあたりの直感はなかなか。エミルくんやシロナと戦って研ぎ澄まされたかな。だけど、それでも遅い」

 勢いよく下がるアゼルにリノンは一瞬で追いつき、彼のがら空きの胴に向けて鋭く杖を叩きつけた。


「がはっ」

 肺の中の空気を強制的に全て吐き出させるような一撃は、そのままアゼルを大沼に打ち付け巨大な水柱が立った。


「いやぁ、ごめんごめん。ついマジになってしまったよ。僕は人を煽るのは大好きだけど実は煽り耐性はないんだ。あははは」

 再び毒竜の肩に着地したリノンはまた元の軽い笑みを浮かべてアゼルが着水した場所を見つめる。


 すると高く舞い上がった魔素の水柱が急速にある一点へと収束していく。


「あいにくだが、俺も煽られるのは大嫌いでな。収束し、集束し、時の彼方にまで圧縮されよ」

 水柱が消失し、その姿が露わになったアゼルは魔剣を構えて周囲の魔素を魔剣の一点に掻き集めていた。


「おや、今度は自前の魔素だけじゃなくて、周囲の魔素も利用するつもりかい? うんうん、それは良いことだ。…………だけど君の狙いが毒竜からずれてるような気がするのは、気のせいかな?」

 アゼルは先ほどまでとは比べものにならない程の魔素を集積しており、それに伴い少しずつこの大沼の水位が下がり始めていた。


「気のせいじゃねえよ。そこの毒竜の相手はまずお前を殺してからだ。アルス・ノワール・ゼロ!!」

 アゼルが魔剣シグムントを振り下ろすと、極限までに圧縮された魔素が黒条の光となってリノンへ向けて放たれる。


「!?」

 驚愕するリノン。それもそのはず、あまりにも収斂されたその超高速の一撃は、リノンの知覚が追いつく間もなく彼の心臓を貫いていた。


「……これは、驚いた」

 自らの胸に空いた穴を見てリノンは言葉をもらす。


「魔王を舐めすぎたな、人間の小僧。その軽薄さは一度死んで治してこい」

 冷血に言い放つアゼル。


 だが、


「いやいや、君も可愛いやつだ。そんなことを言いながら頭の中ではイリアにどう言い訳したものか今必死に考えているんだろう? それに、今のは魔素粒子砲。大規模な外付けの補助もなく、単独でソレを行使できるなんて君もなかなかの化け物だ」

 心臓を貫かれたにも関わらず、涼しい口調のリノン。


「何!? キサマ、まだ死なんのか」


「まだ、というか死なないさ僕は。初めに会った時に言ったろ、僕の能力『焦点化リアルフォーカス』の五つの使用枠のうち二つは常に使っていると」

 リノンは二本の指を立てて見せる。


「……キサマ、まさか?」

 アゼルが何かに気づくと同時にリノンの姿が一瞬ぼやけて、次の瞬間には傷一つない彼の姿がそこにあった。


「そう、一つは『不死』。正確に言うと常に僕が『生きている』状態に焦点を当てているから、死に至る事象が生じてもそれはなかったことになるのさ」

 

「なん、だと……」


「そしてもう一つは『不老』さ。もうかれこれ300歳は越えたかな? たかだか200を数えたくらいで粋がるなよ


 毒竜の肩に乗り、大賢者と名乗る超越者はいよいよもってその本性を見せ始めた。

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