第183話 毒竜 ヴェノム・ハデッサ

 アゼルが踏み込んだ沼地には既にいくつか自然発生した魔石が転がっており、さらにその奥にはもっと大きい物が大量に発見できる。


 これら全てが純度の高い魔石であり、売り払えば人生を何度やり直しても尽きないほどの富が得られることだろう。


 だが、そんなことを許しはしないとでもいうかのように、この冥府の大沼の縄張りに入った瞬間に毒竜ヴェノム・ハデッサが飛び出て来た。


「ヴォァアアアアア!!」

 響き渡る毒竜の咆哮。それとともに撒き散らされる大量の魔素は、普通の人間であればその場にいるだけで即死するほどの濃度である。


 毒竜のその姿は禍々しくも美麗。黒く艶のある竜体を暗黒色の鋼鎧が覆っており、その頭には雄々しい限りの一本の角がそびえている。


 その体長は目算でおおよそ50メートルほど、遠目から見ると黒々とした巨大な岩山が動いているかのようだった。


「………………おい大賢者、今からアレと戦うのか?」

 毒竜の巨大な偉容を見上げながらアゼルは唖然としている。


「もちろんさ魔王アゼル。言わなかったっけ、あの竜は英雄ラクスが倒した飛竜と同格だって」


「初耳だよこのヤロウ」


「ああ、そういえば言ってなかったけどまあいいや。それに、飛竜が討伐されてから今までの10年間もひたすらにこの大沼から溢れる魔素を喰らい続けたアイツの強さは今やそれ以上かもしれないしね」

 対するリノンはまったく緊張感のない声でアゼルに新情報を追加する。


「そーかよ。それは嬉しい情報だな。で、何か弱点とかないのか?」


「あるとも、全身が濃縮された魔石のようなアイツはとにかく無垢結晶に弱い。言ってしまえばイリアとアミスアテナが参戦すれば5分もかからずに殺してしまうだろう。でもそれでは困るって話はしたろ? 幸い君は死ぬことがないようだし、まずは戦ってみることさ。それにここであまり長話をしてると毒竜がやってきて後ろの子どもたちまで巻き込んでしまうよ」

 リノンはそういってチラリと離れた場所にいるユリウスとカタリナを見た。二人とも毒竜ヴェノム・ハデッサの偉容に腰を抜かしている。


「ちっ、わかったよ。とにかくお前は俺の足を引っ張るなよ」


「はいはい、任せたまえ」


 そうしてアゼルとリノンは大沼に足を踏み入れていく。


「おお、さすがは魔王アゼル、何も言わずとも当然のように魔素の沼を歩いていくね。それはあれかい、足元の魔素を支配して足場を作ってるのかな?」


「ああそうだよ。お前はイチイチ分かってるのに聞いてくる感じがして腹が立つな。それにお前も普通に歩いているじゃねえか」

 アゼルは額にピキリと青筋を立てながらリノンに突っ込む。


「あはは確かにそうだね。まあこれは名前の加護みたいなものさ。僕はこの世界のあらゆるところを歩く権能を持っているだけのことでね。ほら、そんなことを言っている間にヴェノム・ハデッサが来たよ」


 リノンが注意を促すと同時に毒竜ヴェノム・ハデッサは二人を外敵と認識して巨体に似合わない速度で突進してきた。


「ちっ」

 突進を躱すべく左に大きく回避するアゼル、とそれについてくるリノン。


「って何でこっちに来んだよてめえ。こういう時は二手に別れて挟み討つのがセオリーだろうが!」


「いやはっは、そんな寂しいことを言わないでくれよ。だってあんなのが突っ込んできたらコワイじゃないか。ほらほら今度はブレスがきそうだよ、防御、防御」

 リノンはにこやかな表情を崩さずにアゼルを急かしていく。


「コイツ、役に立たねえ」

 アゼルは苛立ちを募らせながらもヴェノム・ハデッサに目をやる。すると毒竜は大きく息を吸い込み、リノンの見立て通りにブレス攻撃の準備に入っていた。


「クソッ、間に合えよ。アルス・ノワール!」

 アゼルはすぐさま魔剣シグムントを顕現させて、奥義である黒い極光を解き放つ。


 それと同時に毒竜の口からも濃密な魔素の咆哮が放たれる。


 ぶつかり、衝突し合うアゼルとヴェノム・ハデッサの魔素の奔流。


「うんうん、絶景かな絶景かな。魔素と魔素の衝突、まさに力と力のぶつかり合いだね。魔王といにしえの毒竜のマッチアップなんてなかなか見れるものじゃないよ」

 アゼルの後ろの安全圏で暢気に観戦を気取るリノン。


「お前ホントに後で殺すぞ大賢者! 手が空いてるならお前も何か手伝えよ」

 毒竜の咆哮を防ぎながら、アゼルは後方にいるロクデナシに文句を飛ばす。


「え~、早速かい? もう仕方ないなぁ、まあ無能と思われるのも癪だしね」

 そう言うと同時にリノンはアゼルの背後から消えて、毒竜の足元に現れる。


「こういうデカブツはえてして足元がお留守になりがちだからね、えいや!!」

 そして手持ちの杖を実に適当にフルスイングする。

 するとまるで冗談かのようにスコーンと毒竜の前脚が滑り姿勢が大きく崩れる。


 当然アゼルに向けて放たれていたブレスも狙いがそれて、彼のアルス・ノワールが一方的に毒竜へと直撃した。


「おいおいマジかよ。……だがこの隙は逃さん、勝手に避けろよ大賢者!」

 アゼルのアルス・ノワールはいよいよと威力を増して毒竜ヴェノム・ハデッサを襲う。


 響く毒竜の悲鳴。


 数十秒に渡って魔剣の極光が放射された後に巨大な怪物は沈黙した。


「…………終わったか? 案外とあっけなかったな」

 アゼルは動かなくなった毒竜に近づいてその頭部に向けて登っていく。


「これか、シロナに必要な魔石ってのは」

 いざ目前にした毒竜の角は吸い込まれそうなほどに美しく深い黒で満たされていた。


 そしてアゼルは魔剣を振りかぶり、その角に向けて強く振り下ろす。


 ──だが、


「何!?」

 魔剣が毒竜の角に接した瞬間に激しい反発を受けてアゼルは吹き飛ばされる。


「あ~あ、やっぱりねぇ」

 そして、まるでそれが予想できていたかのようなリノンの声。


「おい、大賢者! これはどういうことだ!?」

 姿が見えないリノンに対してアゼルは声を張る。


「どうもこうもないさ。君はこの毒竜を倒したつもりだったのかもしれないけどとんでもない。コイツは今ただをしているだけさ、魔王の濃密な魔素をね」


 リノンが言葉を言い終わると、毒竜ヴェノム・ハデッサの瞳が赤く灯り、再び大咆哮が辺り一帯に響き渡る。


「何!? 俺のアルス・ノワールを、喰っただと?」

 アゼルは驚愕の表情を見せる。


「そんなに驚くことかい? 君は以前もエミルくんに自慢のその技を取り込まれたそうじゃないか。その技はどうやら魔素の圧縮・蓄積・放出を高効率で行なってるみたいだけど、中途半端な威力だとこの通り喰われてしまう」


 響く毒竜の唸り声、その赤い瞳は完全にアゼルを捉えていた。


「ほら見なよ、ヴェノム・ハデッサは君を敵ではなく上質なとして認識したみたいだぜ」


 そして大賢者リノンは、毒竜ヴェノム・ハデッサの肩に堂々と現れた。


「さあここからが本番だ魔王アゼル。喰うか喰われるか、その足掻きを僕に見せてくれよ」

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