第182話 冥府の大沼2

「さあ、冥府の大沼に着いたよ。この辺りならハルジアからの文句も出ないだろう」

 目的の場所へと到着したリノンは馬車を停めて荷台のメンバーに声をかける。


「お、いよいよか。結構長い時間移動したな」

 するとアゼルが肩を回しながら降りてきた。


「まあ大陸の北から南までの大移動だしねぇ。にしてもまだ魔法使えないや」

 手の平をグーパーしながらエミルも続く。


「ねえねえシロナ、さっきのクロムさんの話、また後で聞かせてね」


「まかせるでござる。親父殿のことならいくらでも話すとも」


「わ、ありがとうシロナ。お礼に俺もシロナがいない時のクロムさんのこと教えてあげるよ」

 シロナはユリウスとカタリナに手を引かれながら出てきた。


「すごい、これが冥府の大沼なんだ。間近で見るとこんなに大きいんだね」


「大きいのはいいけど、一面全部濃密な魔素の泥みたいじゃない。正直私としては気分が悪くなるわ」

 最後にイリアも馬車を降り、アミスアテナが大沼の光景に苦言を呈する。


 実際に冥府の大沼は反対側の陸地が見えない程に広く、そして濃ゆい紫色の水とも泥とも呼べないような液体で満たされていた。


「そんなこと言うものではないよアミスアテナ。清濁併せもってこその世界なんだ。君たちはその点でいえば綺麗すぎるのかもしれない。まあ、これだけの濃密な魔素があるからこそ毒竜ヴェノム・ハデッサも生息できる。何が必要で何が不要かなんてことは、一方の視点からでは判断できないことだよ」


「………………お前の高説は結構だよ。それで、これからどうすればいい?」


「そうだね、エミルくんとシロナが戦力として数えられない以上、君らがその姿では話にならない。早速だが封印を解いてくれ」

 そう言ってリノンはイリアとアゼルに目配せする。


「ちょ、リノンさ…………リノン! 何でわざわざ封印を解かないといけないの? 今の姿でもそれなりに戦えるはずよ」

 封印を解くというワードに反応したアミスアテナが真っ先に反対の意を示す。


「うーん、まあ確かにそれなりには戦えるかもしれないけど確実性がない。僕はギャンブルは好きだけどそれは自分に負けがないってわかってる時だけさ。あと戦うのは封印の解けた魔王アゼルと僕だけだよ」


「え、リノン、私は戦わないの?」

 予想外のリノンの説明にイリアは驚く。


「そうだね。イリアが間違って本気を出すと、毒竜を殺しかねない。さっきも言ったろ、その毒竜が死んでしまうとここから大量の魔素が溢れ出すって」

 リノンは人差し指を振りながら説明の補足をする。


「だがよりにもよってお前とのタッグかよ。…………嫌な予感しかしないな」


「ははは、変なことを言うね。未来の予測なんてその力がない者が考えるだけ時間の無駄さ。そしてこの問答も僕らの時間の消費であることは一緒だ。さ、早く封印を解除したまえ」

 リノンは急かすようにアゼルの背中を押してイリアの前に送り出す。


「押すなっての。まあ封印を解く分には文句はねえよ。ん、どうしたイリア?」

 イリアの前に立ったアゼルは、彼女の様子に違和感を感じる。


「……別に、どうもしてないよアゼル」

 そういってイリアは顔をそらす。


「おいおい、そっち向いてたら封印が解けないだろうが」

 アゼルはイリアの顔が逃げる方へと追いかけて彼女の顔を覗き込む。


「ちょっとアゼル、そんなじっくり顔を見ないでよ。目をつぶって!」

 だがイリアはアゼルの顔を両手でつかんで必死に追い返そうとする。


「イタ、痛い痛い、わかったわかった。ったく、いつもは自分が目を閉じるくせによ」

 アゼルは渋々と言われるがままに目を閉じた。


 そしてわずかな間の後に唇に触れる柔らかな感触。


(…………ドッキリで実は違う人でしたとかないよな? ─────ああ大丈夫だ。いつものイリアの感触だ)

 そんなことを考えている内に封印が解けてアゼルの肉体に力が戻る感覚がして彼は目を開けた。


 すると、


「~~~~~~~っ」

 彼の目の前には恥ずかしそうに顔を真っ赤にしたイリアが、


「お、おいイリア、大丈夫か?」

 彼女のいつもと違った様子にアゼルは心配して両肩を掴む。


「─────っ! 大丈夫、だだ大丈夫だからアゼルはあっち行って!」

 イリアは顔を赤くしたまま肩を掴むアゼルを強く押し返して彼に背を向けるのだった


「????」

 ますますわけがわからないアゼルは、されるがままに彼女と距離をとらされポカンとしている。


「おやおや初々しい。君たちは封印を解くたびにいつもこんな感じなのかい? エッチだねぇ」

 そんなアゼルをリノンは肘で突っつきながら茶化す。


「何がエッチだ、いつもはこんなんじゃねえよ。まったくイリア、どうしたんだ?」

 

「さてさて、いつもと違うということはいつもと違ったんだろう…………気持ちとかね。まあそんなことはどうでもいいんだ、さっさと毒竜をしばき上げようじゃないか」


「───────ん、ああ。というか待て、確かシロナの回復のためには高純度の魔石が必要なんだろ? それって俺が生成すればいいことなんじゃないのか?」

 アゼルは元の姿に戻ったこともあり、ふとそんなことを思いつく。


「おや魔王アゼル、君は魔石を生成できるのか。流石は魔王といったところだね、試しに一つ作ってみてくれないかい?」


「まあ正直ここまで来たのは何だったんだって気はするが、毒竜を相手どるよりかは手間はかからんしな」

 そう言ってアゼルは右手を出して手の平の上に魔素を集中させる。


 するとものの数秒で一個の魔石が出来上がった。


「おお、これは素晴らしい。この能力があればお金に困ることはなさそうだね。さてエミルくん、この魔石の純度を視てくれないか?」


「ん~? いいよー」

 リノンに話を振られたエミルはアゼルに近づき、人差し指と親指で輪っかを作ってアゼルの作った魔石を覗き見る。


「え~と、96%ってとこかな」


「おや、やはりその程度か。これではシロナの核としては難しいねえ」

 あごに手を当てながらリノンはう~んとうなる。


「ちょっと待て、もう少しいいのを生み出すから。ほらエミルこれ持ってろ」

 作った魔石が要求される水準に達していなかったことにアゼルのプライドが刺激されたのか、アゼルは手にした魔石をエミルに渡して今度はより濃密な魔素を手の平に集中させる。


「ん~~~~~! どうだっ、これは!」

 今回は数十秒の時間をかけて先ほどより大きい魔石を生成した。


「はい鑑定するよ。え~、今度は97%」


「何!? まだ足りないのか。ええいこれも持ってろ」

 アゼルはまたエミルに魔石を渡して次の魔石の生成に入る。


「お、やった。また魔石貰っちゃった」

 そしてエミルはちゃっかりと受け取った魔石を自分のローブの袖の下にしまい込む。


「おやずるいねエミルくん、僕もそれを狙ってたのに。魔王アゼル、今度は僕にそれをくれよ」


「うるさい守銭奴ども。そして大賢者、俺が失敗する前提で話を進めるな」

 アゼルは今度は数分かけて集中して魔石を作り出そうとしていた。


「そのまま作業しながらでいいんだけど聞いてくれよ魔王アゼル。十中八九だけれど君がどんなに頑張ったところで純度98%までの魔石しかできないのさ。いや本来は純度98%の物すら自然発生する確率は非常に低い。それは何でかっていうと、魔石は95%を超えた辺りから魔素を集積するごとに体積が増えるか密度が増えるかのどちらかに偏るんだ。だからそれ以上の純度の魔石は市場価値が非常に高いんだね。というわけで魔石、できたかい?」


「よし! 会心の出来だ。どうだエミル!?」


「はいはいどれどれ、う~ん、さっきよりはいいけどやっぱり97%台だね」

 エミルから告げられる非情な宣告。


「ほらそうなったろ。ではこの魔石は僕が貰うとしてだね、まあ君の力があれば1年間ぶっ通しで集中すれば99%の魔石なんてすぐにできるとは思うんだよ。でも流石にそれは嫌だろ? というか僕が嫌だ、そこまで待ちたくない。なので既に99%の魔石として成立している毒竜の角をいただくというわけさ」

 リノンはアゼルの手から魔石を取り上げながら、「ご理解いただけたかな?」と付け足す。


「クソッ、理屈は理解ったよ。だがどうして99%までなんだ? 完全に純度100%の魔石があってもいいだろ?」


「お、いい質問だねぇ。物事の本質を突いてるよ。結論から言ってしまえば純度100%の魔石は存在しない。というか魔石とは呼ばれない。それは魔素結晶と言って奇跡の産物なんだ。無垢結晶であるイリアやアミスアテナと同様にね」


「ん? イリアと一緒ってそれはどういう───」

 ことだ? と続ける前にリノンはアゼルの背中を押して冥府の大沼に向けて歩き出す。


「その先の知識は今の君には必要がないものだ。……この試練を乗り越えられない君にはね」


「お前、それは一体、」


 リノンの意味深な言葉を問い詰めようとするアゼルだが、残念なことにそれは叶わなかった。


 アゼルとリノンが大沼に向けて十数歩踏み出したその時、まるで沼が爆発するかのような勢いで盛り上がり、毒竜ヴェノム・ハデッサが出現した。

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