第180話 ハルジアの暗躍

イリアたちがアスキルドの東、冥府の大沼にいよいよ近づいてきた頃、


「あれれぇ、大沼の近くに随分と人が集まっているみたいだよ~」

 馬車の御者をしているリノンがそんな声を上げる。


「人がそんなにいるのリノン? リノンの話じゃ大沼は危険だから人は近寄らないって言ってなかった?」

 リノンの言葉を聞いて馬車の荷台からイリアが顔を出す。


「う~ん、どうも雰囲気から察するとどこかの軍隊らしい。あの装備はハルジアの兵じゃないかな」

 彼は指で輪っかを作ってそれを覗きながら集団の所属を推察していた。


「またハルジアか。どこに行っても関わってくるな」

 話を聞いていたアゼルがうんざりした様子で呆れている。


「ま、それは向こうも同じこと考えてんじゃない?」

 対してとくに気にした様子のないエミル。


「それでどうするイリア? 彼らを無視していくかい? それとも少しお話をして状況を確かめるかな?」

 リノンは余裕ある態度でイリアに判断を委ねた。


「そうですね、一度彼らに話を聞いてみようかな」


「本気? イリア、また何かトラブルに巻き込まれるかもしれないわよ」

 イリアの決断にアミスアテナは乗り気でないようだった。


「おいおいアミスアテナ、せっかくイリアが決めたんだ、それにケチをつけるものじゃないよ。安心したまえ、たとえ何があったとしても交渉事の範囲なら僕がいれば難しい話にはならないよ」

 そうリノンは言い切って、馬車をハルジアの軍の先頭に向けて走らせる。


 そしてしばらくして集団の先頭にまで辿り着いた。


「おいおい嘘だろ。ここまで誰にも引き留められなかったぞ」

 アゼルは軍に近づく不審な一団であるはずの自分たちが容易く接近できたことに驚いていた。


「まあこの馬車そのものを世界の視点から逸らしていたからね、認識しようがなかったのさ」

 リノンは人差し指を左右に振りながら説明する。


「お前の力だったのか、本当になんでもありだな」

 アゼルは唖然としてリノンを見ていた。


「それでどうだいイリア、話をしてみるかい?」


「うん、あそこにいるのは黒騎士アベリアだ。……話を、してみるよ」

 イリアは意を決し、それを聞いたリノンはアベリアのもとへと馬車を横付けして、注意を逸らしていた力を解除する。


「黒騎士アベリア! よろしいですか?」


「!? 誰だ貴様は!?」

 アベリアは突然声をかけられたことに驚き腰の聖剣に手をかける。


「やあやあ驚かないでくれよ黒騎士アベリア。なに、我々は不審な者じゃない。勇者イリアとその一行さ。話くらいは別に構わないだろ?」

 リノンはアベリアの戦意など意に介さないように言葉を並べていく。


「何、勇者イリアだと? …………確かに、知っている姿よりは少し若いが、その顔立ちとその聖剣は勇者で間違いなさそうだな。だがその貴様たちがこの冥府の大沼に何の用だ?」

 アベリアは聖剣イグニスの柄に手をかけたまま会話を続ける。


「まあちょっとした野暮用、慈善事業の一環かな。それに質問を返すようで悪いが君たちこそここで何をしてるんだい? ここはアスキルドの領土だろう? いくら彼らがこの土地を持て余しているとはいえ、勝手に軍を駐留させるのは褒められたことではないと思うんだが」

 

「何を言っている、ここはハルジアの土地だ。前回の大戦後の領土再編成においてこの大沼の東側はハルジアの領土となっている。一度目はその無知を許すが、二度目はないぞ」

 アベリアは鋭い目つきでリノンに言い放った。


「おやおや、大賢者に無知を指摘するとは手厳しい。いやわかったよ、君たちは正当な権利のもとでここにいるんだね。だがどうして? ここは毒竜ヴェノム・ハデッサの住処だ。いくら軍を組織したとはいえどうにかできるものとは思わないが」


「…………それは、俺もわからない。ただ賢王による命令なのだ。毒竜はどうにかなるから魔石採掘の用意をしてこちらに軍を率いろと」

 アベリアも自分自身で困惑しながら現状を述べる。


「ふ~む、確かに君たちの装備は戦闘というよりは採掘作業向けのもののようだね。しかしいいのかい、そんなことまで我々に喋ってしまって?」


「構わん、王からはもしこのことを質問してくる者がいたらありのままを伝えろと言われている」


「おやそうかい。そこまで織り込み済みとは恐ろしい。だが状況は分かったよ、ありがとう黒騎士アベリア」

 リノンはそう言って馬車の向きを変えようとする。


「え、リノン、もうこれでいいの?」

 話についていけないイリア。


「ああ、これでいいのさ。だって彼らはこれからここで作業をするんだろう? それを邪魔することはできない、何せここはハルジアの領土だからね」


「それを弁えているなら結構だ。だが貴様たちはこれからどうするのだ?」


「ん? いやあハルジアの領土で仕事がしにくいならぐるりと西に回ってアスキルド側から大沼に挑むしかない。それなら別に構わないだろ?」


「……まあそこについては我々の関知するところではない。もちろんアスキルドの連中が何を言うかは知らないが」

 アベリアは釈然としない様子ながらもリノンのとる行動に関与する気はないようだった。


「それではハルジアの兵士諸君、せいぜい採掘作業を頑張りたまえ。アデュー」

 リノンは謎の台詞を残して馬車を大沼の西へと進ませるのだった。



 その30分後、


 黒騎士アベリアの目の前の空間が大きく歪み、そこから突然ハルジアの賢王グシャ・グロリアスが現れた。


「!! 王よ、どうしてここに?」

 驚いた様子のアベリア。だが彼が驚いたのは賢王が現れた手段ではなく、ここへ出向いた理由だけに向いているようだった。


「何、状況の確認にな。─────それと、彼らと顔を会わせることができると思ったが、どうやらすれ違いだったようだな」

 驚くアベリアに対してグシャは淡々と言葉を紡いでいく。


「勇者イリアたちのことでしょうか? 彼らは大沼の西、アスキルド側へと移動していきました。どうやら彼らを先導しているのが例の大賢者のようでしたが」


「そうか、彼らは大賢者を見つけたのか。まあそのせいだろうな、上手く彼にタイミングをずらされてしまったらしい」

 グシャはふむふむと自分だけ納得するように頷いている。


「?? どうしますか? 今からでも彼らに向けて兵を差し向けることは可能ですが」

 アベリアは賢王の思惑がイマイチ飲み込めないながらも提案をする。


「不要だ、それでは本来の目的に支障が出る。彼らがここへ来たということは大沼の毒竜と戦うつもりだろう。となれば毒竜の注意が彼らに向いているその間にこちらは魔石の採取に集中できる」

 

「彼らは本気で毒竜と? もし彼らが十分に時間を稼げなければ我が軍に被害が出ますが」

 アベリアは心配そうに意見を述べる。


「そうか、明確な時間の設定がなければ不安で我が兵も動きが鈍るか。では15分後に作戦を開始、60分後に撤退をするのだ。短めに見積もったのでそれで被害がでることはあるまい」

 賢王は淡々と冷静に計算を終えてアベリアに指示する。


「──────────了解です。賢王の御心のままに」

 そしてアベリアは、他者には根拠の理解できない賢王の言葉をそのまま受け入れた。疑問の余地はあったとしても信じることに彼はためらわない。賢王のこれまでの実績がアベリアの心を支えていた。


「ところで我が王、城を離れてきたということは現在の政務は誰が?」

 ふとアベリアは脳裏によぎった一抹の不安を確認する。


「ああ、それは白騎士カイナスに任せてある。3日ほどであればあやつ一人で事足りるだろう」

 賢王グシャは謎の信頼をもってそう言い切る。


「ちょ、王よ、それはご勘弁ください! カイナスが倒れてしまいます。馬と護衛を出しますので即刻城へお帰りください。王は城から出るのは一瞬でも帰りには普通の手段を使うしかないのですから」

 アベリアは慌てた様子で賢王を帰りの途につかせようとする。


「む、そうであるか。しばらくはここで見学をしたかったのだがな。お前がそう言うのであれば仕方あるまい。ではアベリアよ魔石の回収の件、改めて任せたぞ」


「はい、そちらはもちろん。ですので王は一刻も早く帰られてください」

 アベリアはまだこの場に残りたそうな賢王の背中をグイグイと押していく。


 こうして賢王グシャは残念そうに冥府の大沼から去っていったのだった。

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