第172話 アルトとセスナ

 魔族領アグニカルカの首都ギルトアーヴァロンの居城の巨大な回廊にて、二人の人物が対面していた。


「これはこれはセスナ・アルビオン卿、お身体の具合はいかがかな? この度はとんだ狂犬に噛みつかれて大変であったと聞いたが」


 声をかけられたのは大魔王近衛騎士のセスナ・アルビオン。白く美しい髪と肌、それに切れ長な目が凛々しさを際立たせる美しい女性だ。純白の騎士服を纏ったその姿には誰もが畏怖を抱かずにはいられない。


「アルト様、冗談もほどほどにしていただきたい。いくら貴女様とはいえ、狂犬と分かっていながらそれを放し飼いにされるのはいかがなものかと思いますが。おかげで多くの同胞がその犠牲となっています。貴女様さえ邪魔されないのであれば今すぐにでも私がその狂犬を処分いたしますが」


 対して、アルトと呼ばれたのは紫に染められたドレスを着た年頃の美しい少女だった。その髪は艶やかに長くドレスの色よりもなお映える綺麗な紫色をしており、身長はセスナと同じくらいにスラリと高いが、その顔立ちにはやや幼さを残している。


「おお、恐い恐い。祖母ほども歳の離れた女性にそのように凄まれると妾も身が縮こまってしまうぞ。────ああ、そういえばそなたは妾から『おばあ様』とでも呼ばれたいのであったかな?」

 彼女はその言葉とは裏腹にまったくセスナを恐れた様子はなく、意地の悪い微笑みを浮かべていた。


「…………ご冗談はそこまでにしていただきたい。それ以上ふざけられるようなら、私も貴女にをしなければならなくなる」

 セスナは込み上げる怒りを必死に抑えているのか、眉間に皺が寄っていた。


「それこそ恐ろしいではないかセスナよ。あと妾はあの狂犬の飼い主になったつもりはないぞ。あの野良犬が足元にまとわりついてくるので仕方なく相手をしてやっているだけじゃ。まあ、あやつは自身のことを犬ではなく狼だとでも思っておるようじゃが」

 やれやれと嘆息をつくアルト。


「今の状況では誰も貴女とルシュグルが無関係だとは思ってくれませんよ。むしろ貴女をルシュグルの傀儡と思っている者も少なくないでしょう」


「ほう? そうなのか、それは嘆かわしいことよ。首輪のリードを引いていたつもりが実は振り回されていたのは妾であったとは、ヨヨヨ」

 アルトはわざとらしく泣く仕草をする。


「そんな小芝居はおやめください。貴女がその気になればすぐに解決する話ですし、そうでなくても私が一瞬で終わらせて見せます」

 強い意思とともに膨大な魔素を放出するセスナ。

 魔王アゼルに並ぶと言われる彼女の力を前にして気を確かにしていられる者などこのアグニカルカに数えるほどしかいないだろう。


 だが、


と妾は言ったつもりだったが、それがわからなかったのかセスナ・アルビオン?」

 そんなセスナでさえ、アルトのただの言葉を前に、強制的にひざまづかされてしまう。

 

「うっ、アルト様」

 謎の力によって身体の自由を奪われた彼女は、その意志力をもってどうにか顔だけを起こす。見上げたアルトが手にしているのは流麗な魔剣だった。


「この魔剣グラニアを前に屈するあたり、貴様も後悔しているのではないか? 10年前はまだ妾も幼く弱く、ルシュグルを無視することができなかった。その間にやつは民の心理を扇動して国をかき乱したのだ。セスナ、貴様がこの国を留守にしている間にな」


「くっ」

 屈辱か自責の念からなのかセスナの表情が悔しそうに曇る。


「貴様が少しでも妾に負い目を感じるならば、しばらくは妾の好きにさせよ。ようやく、ようやく準備が整ったのだから。……まあ、その姿を見れば答えはいらぬか」


 ひざまづくセスナを尻目にアルトは通り過ぎていく。

 彼女の歩く先にはこの城の門が待っているのみだ。

 


「く……アルト様、どちらに行かれるので?」

 何か予感を感じたセスナは、どうにか言葉を絞り出す。


 すると、アルトは、


「決まっているじゃない。に会いに行くの。10年分の貯まったツケを、きっちりと払って貰うんだから」


 無邪気さと妖艶さが混じりあった花のような笑顔を見せて、彼女は優雅に城の外へと去っていった。

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