第169話 湖水教
先ほどまで大勢の信者で賑わっていた街角は今は閑散とし、現在教主の前に立っているのはエミルをはじめとしたイリアたちのパーティーだけであった。
「あれ~、見た顔だねー。というかエミルくんだねぇ。久しぶり久しぶり。それで何だい? 君にも殴りたい男ができたのかい? それはめでたい、今夜は赤飯でも炊くとしようか」
教主の男はエミルを前にしてもとくに慌てた様子はなく軽口をたたく。
「アタシが殴るのはアンタに決まってるでしょリノン・W・W!!」
エミルは割と本気で男、リノンの顔面に拳を叩きこむ。
だが、
「おや、まさかエミルくんがこの私に
何故かエミルはまったく見当違いの場所に向けて拳を振るっていた。
男は木箱に座ったまま微動だにしていない。
「~~~~!! リノン、アンタねぇ!」
エミルは男への苛立ちがさらに高まり、顔を赤くしていく。
「おいおい嘘だろ、エミルが手玉に取られてるぞ。というかなんでアイツは関係ない場所を殴ろうとしたんだ?」
「あれはエミルさんのせいじゃなくてリノンの仕業だよ。リノンはああやって人を茶化すのが死ぬほど得意なの」
イリアは呆れ顔でアゼルに説明する。
「ん? そこにいる美少女は、…………ああ、アミスアテナを持っているあたりイリアなのかい?」
「……久しぶり、リノン」
「ああ、久しぶりだね、イリア。─────ところで何でアミスアテナを抜き放ってるんだい?」
イリアはアミスアテナを手にしてリノンのもとへとツカツカと歩み寄っていく。
そして大きく振りかぶって彼に聖剣を振るう。
「こらこら、いきなり暴力を振るうとは感心しないよイリア」
リノンは人差し指と中指の二本で聖剣を止めながら言う。
「いいんです、リノンには色々と聞かせてもらいたいことがありますから。何で私の認識をいじったんですか? 絶対にやめてって言ったよね」
イリアは真剣に怒った表情で聖剣にさらに力を込める。
「ああ、そのことか。イリアが僕のところまで辿り着いたってことはそういうことだしね。う~ん、言葉で説明するのは面倒くさいな~ それにエミルくんは元気そうだけど、シロナはどうしたんだい? 僕にはそこの彼の背中にいるのがシロナに見えるんだが」
リノンはアゼルに背負われたシロナに視線をやる。
「あ、そうだ。そこのバカの顔を見たら思わず殴りたくなっちゃったけどそっちが本題だった」
エミルは上昇していく怒りのボルテージをなんとか抑えて、当初の目的を思い出す。
「お前らコイツを見つけたら我を忘れやがって。コイツが何をしてたかは知らんが、さっきまで集まってた人間どもも満足してたみたいだし、別にあくどいことをしてたわけじゃないだろ?」
先ほどからのエミルやイリアの行動にイマイチついていけずにアゼルは置いてけぼりをくらっていた。
「お、そこの少年いいことを言うね。その通り、私は彼らの望むことをして、彼らはその感謝の気持ちとしてお金を置いていった。それだけのことなのさ」
「何がそれだけのことだよ。アゼル、さっきまでのリノンの信者との会話を思い出してみなよ。全部中身がないから」
「ん、そうだったか?」
アゼルは首をひねりながら思い出す。
「まったく、エミルくんはあいかわらず頭の回転が速い。しかしそれだとあまり幸せにはなれないよ。生きるためのアドバイスに中身なんていらないのさ。というかあるだけ邪魔だね。彼らは悩みを努力して解決したいんじゃなくて、その悩みをなかったことにしたいのさ。僕はそれをほんの少し後押ししただけだよ」
リノンはへらへらと笑いながら言う。
「それで、リノン? 根本的に解決してないあの人たちの悩みは一体どうなるの?」
イリアは聖剣を持つ手にさらに力を込めながらリノンに迫る。
「おや、イリアも少し賢くなったね。彼らは今日一日悩みを忘れて過ごし、そして明日になったらまたその悩みに直面してこの場所に集まるのさ」
「何だそれは、詐欺じゃねえか」
「詐欺とは失礼な。私は彼らに何一つ嘘はついてないし、そもそもまともな説明すらしていない。つまりは詐欺ではなく詐欺的というのが正しいよ少年」
そう語るリノンに一切悪びれた様子はない。
「わかったでしょアゼル、リノンはこういう奴だから。自分の『力』を躊躇なくロクでもないことに使うから本当にたちが悪い」
エミルはリノンの背後をとって腕を巻き付けて首絞めに入っていた。
「ちょっとちょっとエミルくんひどいなぁ。僕は彼らに『力』を使うなんてもったいないことはしてないよ。あれは視線誘導と意識誘導を応用した些細な手品さ。僕の『力』は基本僕のためにしか使わないよ……こんな風にね」
彼がそう言った瞬間、イリアとエミルに攻め立てられていたはずのリノンはいなくなり、突然アゼルの肩を組むように現れる。
「おい、なんだコイツ! さっきまでそっちにいただろ!?」
「お、いいリアクションだね少年。というかイリアがその姿になっているあたり君も少年ではないのだろうけど。さて、それよりも今はシロナだ。どうしたんだ彼? いくら物静かと言っても限度があるだろうに」
そう言ってリノンはシロナの顔の覗き込む。
「ったく、しばらく会わなくても相変わらずだねリノン。え~と、シロナはねぇ────」
エミルがリノンへの制裁をあきらめたのか片手で頭を搔きながら説明を始めたその時、
「おい! またキサマか! 通報があったぞ、またここで妙な集会を開いていたそうだな。何度言ったらわかる。頭のオカシイ宗教を流行らすんじゃない!」
青色を基調としたフルアーマーの兵士たちが複数人でやってきた。
「ん、なんだコイツらは?」
突然の兵士の登場に困惑するアゼル。
「ああ、初めて見るのかい? 彼らは湖水教の私兵さ。ここ最近毎日のように私にイチャモンをつけに来るのさ」
そして当のリノンはさして気にしたふうもなくアゼルに解説する。
「それはキサマが毎日ここで集会を開くからだろうが! 何が『夢見るクスリ』だ!『嫌なことからは目を逸らしましょう。死ぬまで無視すればそれはなかったことと同じです』などと軟弱な教えを掲げおって」
兵士の一人が青筋を立てながらリノンに詰め寄る。
「お、ウチの宗教の理念だね。覚えてくれているとは嬉しい限りだ。実用的でいい考え方じゃないか。何か気に喰わなかったかな? ああそうか、君たちは私みたいな弱小宗派にプレッシャーをかけて潰したり、場所代を集めるのが仕事だっけ? すまないすまない気が利かなくて、それでいくら欲しいんだい?」
リノンは流れるような仕草で自身の懐からお金の入った袋を取り出す。
「我々の神聖な仕事を侮辱する気か!? …………まあ、それはそれとして頭を低くする心がけがあるのは良いことだ。今回キサマが集めた額の7割でも納めれば上も納得するだろう」
「7割とは大きく出たね。そのうちの2割は君たちががめるんだろ? まったくそのあくどさには敵わないね。面倒だ、ほらこれで満足かい?」
リノンはジャラジャラと金貨の入った袋を丸ごと兵士に渡してしまう。
「!? お、おう。今回はずいぶんと素直だな。いつもこれくらいなら我々も楽でよいが」
「何々、ここでの商売も潮時というだけさ。明日またここに人が集まるだろうから、君たちが先回りして彼らの受け皿になるといい。君たち湖水教の教え『疲れたら水を飲もう』も素晴らしいものだと僕は思ってるからね」
そう言ってリノンはポンポンと兵士の方を叩く。
「違う! 『心身ともに疲れた者よ、蒼き聖浄なる湖水をもってその魂を清めたまえ』だ!!」
兵士は憤慨した様子でリノンの言葉を訂正する。
「あ、そうだったけ? まあまあどっちでもいいじゃないか。さ、要件は済んだんだろ? 私はこれから大事な話があるんだ。さっさと君ら本来の仕事に戻るといい」
リノンはあっちにいったいったと彼らに手を振る。
「~~~~! この男は毎度毎度! 一度牢にでも繋いで反省させてやろうか」
「やめとけやめとけ時間の無駄だ。回収するものはしたんだから早く他も回るぞ」
憤慨する同僚をなだめながら、兵士たちはイリアたちの前から去っていった。
「…………何だったんだ、今のは?」
一連の光景を見ていたアゼルは状況がよくわからずに言葉を漏らす。
「湖水教っていうこの世界の最大の宗教の私兵さ。神晶樹の森にある聖なる湖をご神体として崇める連中だね。組織が肥大化して一国の軍と同規模の私兵を抱えているものだから、パトロールと称して民衆からみかじめ料を集めたりもしてる。国やギルドも簡単には口を出せない一大勢力だよ」
リノンはアゼルの肩をポンポンと叩きながら解説する。
「随分と馴れ馴れしいやつだな」
それにアゼルは少し嫌そうな顔をしていた。
「馴れ馴れしい? 違う違う、ちょっと人との距離の取り方がわからないだけさ。いわゆるコミュ障というやつだね」
「自分で言うな馬鹿リノン。それで、よかったの? アンタの稼ぎ持ってかれたみたいだけど」
呆れた様子でエミルが言う。
「いいさいいさ、所詮は宵を越すことのないお金だ。長い目で見た貯金だと思えば気にもならない。それに新しい
そう言ってリノンはイリアを見た。
「なんですかリノン、そのたかる気満々の顔は」
「ん? だってまた僕を仲間にするために探しに来たんだろ?」
「ちょっと違うから。アタシたちはシロナを復活させにきたの。それが終わってアンタがイリアについていきたいんだったら頼み込んでみれば?」
「まったくエミルくんはいつになく僕に冷たいね、失恋でもしたのかな? ああいけないいけない、こういった軽口が君をイライラさせるんだ。注意注意」
リノンはわざとらしく頭を抱えてしまったしまったと呟く。
「その自覚がもうちょっと早かったらアタシをイライラさせないのに、ね!」
それにエミルは我慢できずにリノンの顔面を殴りにいく。
「おっと、ごめんごめん。いや、これじゃあ話が一向に進まないね」
リノンはエミルの拳をいともたやすく片手で受け止めながら、
「え~と、イリアは魔王と戦った際にアミスアテナの封印術を使って自身も幼くなった。そして封印された魔王はそこの少年。シロナは魔王を殺すために現れた英雄と戦った時に再起不能になった、…………これであってる?」
ここまでのあらすじを語ってしまった。
「!? 何だこの男は、今までのことを見てたのか?」
驚くアゼル。
「見てたというか、世界の読み手たる僕とほんのちょっと同期しただけさ」
「も~、ホントに腹立つ~。アゼルもいちいちリノンの言うこと真に受けない方がいいよ。チートのカタマリだからどこからどこまでが正しいこと言ってんのかわかんないし」
エミルは受け止められた拳が動かないのか、悔しそうに地団太を踏んでいる。
「ひどいなぁ、僕はいつも真実しか口にしないのに」
「そういうのはもういいですから。それでリノン、シロナは…………どうですか?」
「ああイリア、それが君らの本題だったね。どれ、シロナを診せてくれないか?」
リノンはシロナを背負うアゼルへと声をかける。
「──頼む」
アゼルはシロナを先ほどまでリノンが腰掛けていた木箱へそっと寝かせる。
「ふむ、うーむ」
リノンは顎に手を当てながらじっくりとシロナを観察する。
「……ところで、お前は医者か何かなのか?」
「うん? 私は医者でもなければオートマタの整備士でも鍛治師でもない───ただの大賢者さ。ふむふむ、わかった!」
「何、本当か!?」
「うん、僕には何も分からないことがわかったよ」
実にニコニコと報告するリノン。
それと同時にプチッと切れるアゼルの忍耐。
アゼルは先ほどまでのイリアやエミルの気持ちを十分に理解し、心の底からのツッコミを込めて役立たずの大賢者の頭を殴ったのだった。
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