第168話 謎の教主

 ドットリングの街の片隅、一人の男を中心にして大勢の人が集まっていた。


 中心にいる男は上質なローブを着た細身でやや長身の端正な顔立ちをした色男であり、くせのある翠色の長髪を頭の後ろで簡単にまとめている。


 彼は長い杖を持って木箱に腰掛け、押し寄せた人々は地ベタに座って彼の言葉を待っている。


「やあやあ、みんな今日もよく集まったね。そんなに生きることの悩みは尽きないかい? まあ尽きないだろうね。生きることは悩み苦しみをわざわざかき集めながら引きずっていくことに他ならない。自分の意思で手放せるものなら最高だが、そのかき集めたものの中に幸せや生き甲斐なんかも混じってるからたちが悪い」

 男はよく通る美しい声で、まるでひとりごとのような口調で語り始める。

 しかして彼のもとに集まった人々は、真剣に瞳を輝かせてその話に聞きいるのだった。


「働くことはツラいかい? 仕方がない、そのツラさを動力にして社会は回るのだから。いいかい、労働がツラくないとしたらそれは誰かの犠牲で君の人生が回っているときだ。結局いつかは誰かのために自身の人生を消費する時がくるのを忘れないように。人間関係は難しいかい? それはそうだ、誰かと関係を結ぶ方法もそのほどき方も誰も教えてくれなかったのだからね。それぞれがオリジナリティあふれる関係性を構築してるのだからそれが簡単に上手くいくわけがない」


 男はツラツラと重いのか軽いのかわからない言葉をのたまい続ける。


「さて、あまり私ばかりが語っても仕方がないね。誰か悩みを口にしたい者はいるかな?」


 男の言葉のあとにわずかな静寂、そして次々と悩みの声が上がっていく。


「はい、教主様! 私の恋人が浮気をしているようなのです」


「ほう、浮気かい? わかるわかる、浮気をする側も心苦しいものなんだよ。おっと違った、浮気をするとはなんてヒドイ奴だ。君がどれだけ傷ついていると思ってるんだろうね」


「教主様、私の夫は賭け事にのめり込んでしまって、稼いだお金も家に持って帰ってきません」


「おや、それはひどい。まったく賭け事の何が面白いのか。僕なんかいくらでも勝ててしまうから楽しいのは最初だけさ。ああ、そういう話じゃなかったね。大丈夫だよ、あなたのつらさは誰がわからずとも私がわかっている、安心しなさい」


「教主さま! 最近子育ての自信をなくしてしまいました。子どもを幸せに育てるにはどうすればいいのですか?」


「これまた思い違いをしているね。子どもは育てるのではなく育つものさ。ただそれを見守る義務が親にあるというだけ。幸せというのなら自分の幸せが何かを考えなさい。子どもだって自分で自分の幸せを追い求めるのだから。幸せになるというなら君らは競争者さ。どっちがより幸せになるのか競いあったらいい。ま、その光景こそが何よりの幸せと僕は思うけどね」


「教主様! 浮気がバレました! どうすればいいですか!?」


「また浮気かい? いいねぇ、いいねぇ。僕好みの悩みだ。そうだねぇ、私の経験談で申し訳ないが、そういうときはさらに新しい浮気相手を見つけるといい。罪をなかったことにしようなんて思い上がった考えさ。罪にはさらに罪を塗り重ねて何が悪かったのかわからなくするのが有効さ。まあ君がクズだというのははっきりしているが、安心しなさい僕もクズさ」


「教主さま! 友人に恋人を奪われました」


「ん、今日はその手の話題が多いねぇ。逆に考えるんだ。友人が恋人を奪ったんじゃない。恋人が君の友人を奪ったのさ。つまりは取り返すべきは君の友人さ。恋人なんて街で声をかけたら5分でできる。だが友達はそうじゃないはずさ。『お前の一番は俺だろ!』ってその友人に問い詰めたらいい」


 教主と呼ばれる男は集まった信者たちからの悩みに対して実に軽快に答えていく。軽く、快く、その回答の内容などその実どうでもいいとでも言うかのように。


「うんうん、今日もみんなの悩みをたくさん聞いたね。いいかいみんな、悩みなんてその悩みにしばられているうちは解決はしないもんさ。大事なのは視点を変えること。見たくないモノを見ないこと。悩んでいること自体を忘れること。そうすれば勝手に時間が過ぎて、悩みのタネもただの過去になり下がる。それでも解決しなかったら? それなら何度でも私のもとにくるといい」


 信者たちはキラキラとした目で教主の男を見ている。まるで、男の特別な行為を待っているかのように。


「さて、そろそろ夢から覚めて現実に戻る時間だね。さ、私の右手を見てごらん? ほら1、2、3……」


 パチンッ


 彼が数字を数えて指を鳴らすと、何もなかった右手に一輪の美しい花が握られていた。


 そしてその花を集まっている信者たちに向けて振るうと、花びらが舞い散り花吹雪となる。


 その光景を見ていた信者は陶酔するかのような表情で恍惚としている。


「どうだいみんな? 君らの悩みなんて綺麗さっぱりしただろ。さあ、これでここには用はないはずだよ。君らの日常に戻るといい」


 教主の男がそう言うと、集まった人々はまるでもやが晴れたようなすっきりした表情をして次々に帰っていく。


 そして大半の者たちは、男の近くに置いてある容器に金品を次々と入れていく。


「ああ、いいんだよいいんだよ。お金を置いていかなくたって。金銭目的ではないのだから。ああ、ああ、そんなに出すものではないよ。いや、まあ、うん、悪いねぇ」

 男は口では拒んでおきながら一切遠慮することなく彼らからの金品を受けとるのだった。


「いやいやみんなすまないね。申し訳ない申し訳ない。────さて、ひぃ、ふぅ、みぃ…………。うん、今回の稼ぎもまあまあかな。それでは今晩も適当に遊んで回ることにしようか」

 信者たちが一通り掃けたところで教主の男は集まったお金を数え出す。


 そこへ、


「ねえ、ねえ教主さま~」

 可愛らしい少女の声が響く。


「ん? おやなんだい? まだお悩みがある子が残ってるとは珍しい」

 男は顔を上げてその少女へと視線を向ける。


「ねえねえ、昔なじみの男がアコギな商売してるからボコボコにしてやりたいんだけど、顔とボディ、どっちを殴った方が反省すると思う?」

 そこには笑顔でこめかみをピクピクとさせたエミル・ハルカゼが拳をボキボキと鳴らしながら立っていた。

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