第161話 同じ目線で
激しく、これ以上はないという勢いで壁に叩きつけられるラクス。
「「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ──」」
そして肩で大きく息をするイリアとアゼル。
イリアにいたっては血を流し過ぎたことにより、貧血で立っているのもやっとな状態だった。
しかし、今倒れることは許されない。
この英雄を前にして、油断して良いときなど今まで一瞬たりともなかったのだから。
「う、」
ラクスのうめき声。イリアとアゼルの視線は壁に叩きつけられた彼女へと向いている。
彼女はイリアのブラッディ・ノヴァによって激しいダメージを負っており、彼女が手にしていた星剣アトラスもアゼルのアルス・ノワールによって打ち負かされて元の形状へと戻っている。
「ま、まいった……な」
ラクスの口から言葉が漏れる。
それは降参の言葉か、もしくは、
「これ、使いたくなかったんだけど、な」
ラクスは『ふくろ』中へと手を伸ばす。
「「っ!!」」
緊張するイリアとアゼル。
彼女はこの期に及んで一体何をするつもりなのかと。
アゼルにとって一番警戒しないといけない『魔神殺し』はすでに取り出されたあとである。
ならば、ラクスが改めて取り出すイリアたちの「絶望」とは。
「もうあきらめろ、英雄ラクス。その傷では何を出したところでもうまともには戦えんだろ」
強気なアゼルの言葉。
だがそれは、「もうこれ以上立ち上がってくれるな」という願いの裏返しでもあった。
「はは、正解。私もこのままもう一回戦ったら死んじゃう。────だから」
ラクスは『ふくろ』から小瓶を取り出してその中の液体を口に含む。
「ゴクッ、ってコレ初めて飲んだけどあんまりおいしくない」
苦々し気な表情をして、ラクスは当然のように立ち上がった。
「!? え、何で?」
イリアの驚き、それはラクスが謎の液体を飲んだほんの一瞬で、彼女の傷がまるで最初からなかったかのように癒えていたからだ。
「おい、なんだそれは!?」
ぶんぶんと腕を振って調子を確かめるようなラクスに、アゼルは問いを投げる。
「ああこれ? エリクサーっていうただ完全回復するだけの霊薬だよ」
何でもないことのようにラクスは言う。
「ふざけるな!! そんなものがありながら今の今まで温存してたのか?」
「失礼なこと言わないでよ。私はコレを使うつもりなんてまったくなかったんだから。だってコレってあと
英雄ラクスから言い放たれる絶望的な言葉。
つまりはこの英雄を打倒するには、今までの戦いをあと四度乗り越える必要があるということだ。
「ま、あなた達が相手なら使っても仕方なかったと思うしかないか。断言するけど私が今まで戦ったなかで一番あなたたちのパーティが強かったわ。それで…………続ける?」
転がっていた大剣を拾い、最大の賛辞とともに英雄は聞いてくる。
まだ戦いを続けるのか、それとももうこれで死ぬのかと。
それに対して、
「「────────────────」」
イリアとアゼルはあきらめを知らない力強い瞳で返すのだった。
「──────そう、言っておくけど私は殺すよ。敵はきちんと殺す。それが勇者だろうと、善人だろうと私の邪魔をするのなら殺す」
絶対の意思を込めて、英雄は彼らの末路を宣言する。
イリアとアゼルに流れる緊張の汗。
この英雄の言葉に一切の偽りがないことが伝わってくる。
「───────────────だけど、幸せな人間は殺せない。それじゃまるで、私が幸せそうな奴に嫉妬して殺したみたいで負けた気分になるからね」
急に殺気が消え去り、ラクスは彼らに対して構えていた剣を肩に担ぎなおす。
「幸せそう? 私たちがですか?」
彼女の発言の意味がわからずにイリアは聞き返してしまう。
「ん? 自分の命と引き換えにしてでも女を助けようとする男。自分の命を消費しながらも男の在り方を守ろうとする女。お互いの命を自分よりも大切に想い合う関係。それをあなたたちは幸せとは言わないの?」
ラクスは先ほどまでとは違い、本当に羨ましそうにその言葉を口にする。
「あー、やだやだ。男女の関係は好きだけど、私はもっと軽いのがいいの」
そう誤魔化すように言って、彼女は床に転がっていた『魔神殺し』を『ふくろ』に戻してイリアとアゼルの攻撃の余波で破壊された外窓まで歩いていく。
「それじゃ、もう邪魔者は退散するから、後は好きにやっといてよ」
そう言い残し、先ほどまでの殺し合いなどなかったと、英雄は窓から飛び降りて風のように去っていった。
残されたのはイリアとアゼルのみ。
そして突然緊張が解けたイリアは膝から崩れ落ちた。
「おい、イリア大丈夫か!?」
アゼルは慌てて彼女に駆け寄って支える。
「ゴメンね、アゼル。もう大丈夫だって思ったら急に」
「バカやろ、血を流し過ぎだ。お前がここまでする必要なかったろ」
「ううん、あったよ。おかげで守れたモノがある。アゼルも私も、生きてるよ」
イリアは本当に嬉しそうに、涙を流しながらアゼルを抱きしめた。
「ああ、生きてるな。もう、ダメだと思った。俺はここで死ぬんだって覚悟した。でも、ありがとうイリア。お前のおかげで俺はまだ明日を夢見ていられる」
アゼルも生き延びたという事実に感極まったのか、瞳に涙をためながらイリアを抱きしめ返す。
死の淵から逃れた二人は、その幸運を噛み締めるようにお互いを強く抱いた。
「あ、ちょっとアゼル。……苦しい」
「──すまん、少し力が入った」
力を緩めて離れるアゼル。
自然と泣き腫らしたイリアの顔が目に入る。
身を挺して、アゼルを守ろうとした女の顔が目に入る。
その時、アゼルの胸の中で生まれたのはいかなる感情か。
アゼルはイリアの肩にそっと手を添えて優しくキスをする。
「!」
一瞬驚くイリア。
しかし、彼女もすぐに目を閉じてアゼルの行為を受け入れた。
優しい光が、二人を包み込んでいく。
そして光が晴れるのと同時に現れたのは、封印された二人の姿だった。
「………………自分から封印されてくれるだなんて、随分と気のきいた魔王さまよね」
その一部始終を見ていたアミスアテナがそっと呟く。
「!? しまった俺は雰囲気に流されて一体何を」
我に返ったアゼルは自身の失態を今になって気付く。
「あ~、予想はしてたけどやっぱり封印は緩んじゃったか。まあ、あれだけ全力全開で戦えば仕方ないわよね。今回はあきらめるしかないか」
二人の姿を見てアミスアテナはそう呟いた。
アゼルの封印された姿は以前よりさらに成長し、12歳くらいの少年となっている。
手足はすらりと伸び、顔立ちはまさに大人へと変化していく過程の気難しい年ごろといったところだ。
そしてそれはイリアも同様に。
先ほどまで座り込んで抱き合っていた二人は、今もお互いの顔を見つめ合う態勢のままである。
お互いに思春期の少年少女となった二人の身長差はほとんどなくなっていた。
「油断してた。まさかこんな自爆をするとはな。それに、急にキスして悪かった。文句があるなら言っていいぞ」
キョトンとした顔で黙り込んでいるイリアをみて、アゼルは彼女が気を悪くしたのではと思ってしまう。
だが、
「ううん、違うのアゼル。何か嬉しくて。だって私たち、──同じ目線だよ」
本当に嬉しそうに、イリアは笑顔で涙を流す。
たとえ、お互いの生まれが敵対しか許されぬ関係だとしても、
たとえ、側にいるだけで否定されてしまう間柄だったとしても、
こうやって同じ高さの目線で、言葉を交わし合うことはできるのだと。
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