第157話 その壁を越えて

 イリアはアゼルが出ていった後にただの黒い壁なってしまった扉を叩き続けていた。


 しかし、再び能力を制限されたイリアの力では壁はびくともしない。


「っ、アミスアテナ、この壁を斬るよ」

 言うやいなや、イリアは聖剣アミスアテナにて黒い壁を切り裂こうとする。


 だが、


「ウソ、これでもダメなんて」

 聖剣の一撃は壁を薄く傷つけたのみで、その傷すら瞬く間に消えていく。

 まるで、この城の主が落命するまでは、決して彼女を出さないとでもいうかのように。


「……イリア、改めて聞くけど、いいの?」

 アミスアテナの声。普段の気丈な彼女の声ではなく、その言葉はどこか弱々しかった。


「アミスアテナ、それってアゼルを助けることについてだよね。何、アミスアテナはアゼルを見殺しにしろっていうの?」

 イリアは相棒の話に耳を貸したくないと、一心不乱に扉に聖剣を振り続ける。


「私は、魔王を、あの子をこんなところで死なせたくない。でもそれは私のエゴだわ。聖剣の役目じゃない。いえ、本当は聖剣に役目なんて……。でもイリア、あなたは勇者よ。そんなあなたが彼を助ける道理はないわ」


「…………ねえ、私が勇者だから。アゼルを助けたら、ダメなの?」

 顔を伏せ、イリアは言う。


「世間から見たら、あなたがしようとしているのは世界の敵である魔王を殺そうとする英雄の邪魔よ。もし仮に魔王を助けることができたとしても、きっとこれからあなたは勇者としてみんなに胸が張れなくなる」


「そう、なのかな。でも『みんな』って、私が守ろうとした『みんな』って一体どこにいるんだろう?」

 イリアからふと漏れる、顔の見えない独白。


「イリア?」


「私ね、何を守ろうとしてたのか、わからなくなっちゃった。私が、本当に守りたかった人たちは、ずっと前に私が守れずに死んじゃった。だから私は、せめてあの人たちが救って欲しいと願った世界を守ろうとした。……でも、だけど、そんな世界、いったいどこにあるんだろ?」

 うつむき、こぼれ落ちるイリアの涙。


「あの英雄に言われたことなら忘れなさい。あなたのこれまでを知らない人間の言葉なんて、聞き入れる必要はないわ」


「ううん、忘れない。だってそれは、ずっと前からアゼルが言ってたことだもん。『お前はどこにいるのか』『勇者でないお前はどうしたいのか』って」

 そう言って、涙を拭ってイリアは顔を上げた。


「アミスアテナ、合わせて。ヴァイス・ノーヴァを撃つから」


「イリア!? 無理よ、今の身体で撃てば反動が大きすぎる」


「でも、そうしないとアゼルは殺されちゃう! それは、それは嫌なの」

 イリアは瞳を閉じて、無垢なる力を解き放とうとする。


「─────もう、どうなっても知らないわよ」

 アミスアテナも彼女の力に呼応するように、聖剣の務めに集中した。


「ヴァイス・ノーヴァ!!」

 至近距離で目の前の黒い壁を破壊せんと、白き極光が咆哮する。


「はぁぁぁぁぁ!!」

 未熟な肉体を行使する影響か、イリアの手が裂けて血が流れていく。

 聖剣と勇者、二つの無垢結晶の共鳴によって生まれる奇蹟の波動。この狭い室内に無色の風が巻き上がっていく。

 

 しかし、それをもってしてもなお、


「────これでも、壊れてくれないの?」

 イリアの極技によって崩壊せんとしていた黒き壁は、すぐさま復元して元通りの姿を取り戻す。


「単純に出力不足ね。本来のイリアならどうってことない壁なんでしょうけど」


「はぁ、はぁ、はぁ。もう一度!」


「ムチャよイリア。これ以上やればあなたが倒れるわ。それじゃ意味がないでしょ」


「でも、でも、このままじゃ、っ!」

 焦るイリアの目の前に、一枚の紙が舞い降りる。

 導かれるようにイリアはそれを手に取った。


 それは一つの絵、空と大地と緑と水と、どこにでもあるあたり前を描いた風景画だ。

 決して上手とは言えない、試行錯誤の末に描かれたような絵。

 しかし、それはどこまでも色鮮やかで、何よりも強い想いが込められていた。


「アゼル、きっとこれが最初の一枚だったんだね」

 零れ落ちるイリアの涙。


 手にする絵から伝わってくるもの。

 人間たちにとってはあたり前の色彩に溢れた世界。

 でも、これを描いた彼にとっては、それはあたり前なんかではなかった。

 だから描いた。

 彼にとって尊い世界を閉じ込めるようにこの絵を描いたのだ。

 自分がいなくなっても世界に残る、「何か」があって欲しいと。


「アゼルの、嘘つき。絶対に暇つぶしなんかじゃないよコレ。本当だったんでしょ、世界を巡って絵を描きたいって」

 いくつもの涙が絵の上に落ちて滲んでいく。


 イリアはハッと気づいて、絵をこれ以上汚すまいと手を離す。

 しかし、イリアが先ほどまで掴んでいた場所も彼女の裂けた手から流れた血に濡れていた。


「しまった、アゼルの絵を汚しちゃった。ってアレ?」

 赤く汚れたと思った箇所は既にうっすらと白く結晶化していたのだ。


「あ、そうか。私の血も、私の内側も無垢結晶のひとつだから。…………もしかして」

 イリアは何かに気付いたように再び黒い壁に目を向ける。


「イリア、大丈夫?」

 心配そうなアミスアテナの声。


「アミスアテナ、ヴァイス・ノーヴァは私とアミスアテナの二つの無垢結晶の共鳴と反発で破壊力が出るんだよね?」


「まあ、簡単に言えばそうね。でも今はあなたの能力が落ちているせいで、その負担が一方的にイリアに流れてるのよ」


「今はそんなことどうでもいいの。それじゃアミスアテナ。無垢結晶がだったらどうなるかな?」


「三つ? そりゃ威力はかなり上がるでしょうけど、肉体的負担も大変なことに…………ってイリア何を考えてるの?」

 イリアは何かに気付いたアミスアテナには答えず、聖剣にて自身の手のひらをそっと切り裂く。


「イリア!? 何をしてるの!?」

 彼女はそのまま流れる血でアミスアテナの刀身を赤く濡らしていく。


「これで無垢結晶は三つ分。単純にはいかないかもしれないけど、これならきっと」

 再びイリアは集中していく。それはただひたすら、その壁の向こうに辿り着くために。

 その壁の向こうの、誰かに会いにいくために。


「もうイリアの考えなし! わかったわよ、付き合ってあげるから。必ず勝ちなさいよ」

 背中を押すアミスアテナの言葉。


 白銀の光が紡がれていく。


「「ヴァイス・ノーヴァ!!!」」


 泣き腫らしたイリアが再び放つ白銀の極光。


 それは、彼女の目の前の何ものをも打ち壊していく。


 その黒き壁を越えて。


 ただひたすら、彼にもう一度会うために。

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