第155話 彼の部屋
そこは、アゼルが誰にも見せたことのない秘密の部屋。
彼に促されてイリアはその部屋へ入る。
同時に、独特の匂いがイリアの鼻をつく。
「ん、これってアゼル。何の匂い? っ!?」
匂いの次にイリアの目に入ったのは、数多の─────
「………………」
アゼルは何も言わずに、イリアの顔を見ないように視線を逸らしている。
「アゼル、これって────『絵』、だよね」
イリアは手近にあった一枚を手に取る。
そう、アゼルの部屋には何千枚という絵画が散乱していた。
その種類も油絵であったり水彩画であったりと様々である。イリアが感じた匂いはその油絵の絵の具の匂いだろう。
そして、その全ては色彩豊かな風景画だった。
「あらまあ、上手な絵じゃない魔王。あんたにこんな趣味があったなんてね。色んなとこから買い集めたの?」
アミスアテナも素直に関心している。
「───────だよ」
返ってきたのは小さな声。
「え、何て?」
「自分で描いたんだよ。全部」
絶対に視線が合わないようにそっぽを向きながらアゼルは言う。
「すごいアゼル! これを全部自分で描いたんですか?」
イリアは驚きながら奥へと進み、部屋を埋め尽くすような絵画を一枚一枚手に取る。
そのどれもが描いた者の熱情を感じとれるほどに真剣に描かれたものだった。
そしてふと気づく。
どれも熱意に溢れているのは確かだが、中には明らかに拙い技術で描かれたものもあることに。
「…………あんまりその辺をジロジロ見るなよ。絵を描き始めた頃のヤツも混ざってるんだから」
対してアゼルは恥ずかしそうに扉の方へと戻っていく。
「?? でもアゼル、どうして今この部屋に?」
当然の疑問を抱くイリア。
この緊急事態にわざわざこの部屋に案内する意味とな何なのか。
「…………夢が、あるんだよ」
突然の、アゼルの告白。
「いつか世界中を巡って、この目で見た世界を、絵の中に収めたい。色彩溢れる世界を、確かな形で俺の手にしたい。……それが、俺の夢なんだ」
訥々と彼は語る。
「だからイリア、俺は、死ぬわけにはいかないんだ」
真剣な瞳でイリアを見つめてアゼルは言った。
「アゼル?」
「俺はここで死ぬわけにはいかない。だからイリア、お前の力を貸してくれないか?」
アゼルの言葉に嘘偽りはなかった。
真っ直ぐにイリアを見つめて右手を伸ばす。
「アゼル、そんなことを確認するためにここまで案内したんですか? ふふ、馬鹿ですね。でも正しい。これであなたを死なせるわけにはいかない確かな理由ができましたから」
そしてイリアもアゼルのその手を強く握り返した。
その時、
アゼルは強引にイリアの手を引き寄せて、そのまま唇を奪う。
「!? ……ル。……で?」
突然のことで離れようとするイリアに構わず、アゼルはそのまま口付けを続ける。
すると二人を封印の光が包みこんでいく。
「魔王、どういうつもりよ?」
アミスアテナの問いの答える言葉はなく、光が解けて現れたのは封印されて幼い容姿に戻ったイリアと、先ほどと変わらぬ大人の姿をしたアゼルだった。
「え、どうして私だけ子供に? それにアゼル、これは一体どういうつもりですか!?」
「ここは俺の城の中だ。その支配権を使えば、この程度のことは造作もない」
冷たい表情でアゼルはそう言って、部屋の扉から出ていく。
「アゼル! それでは答えになってません。一緒に力を合わせるんでしょう?」
「嘘だ」
「え?」
「嘘に決まってるだろう。勇者と魔王が力を合わせる? どんな夢物語を見てたんだお前は」
冷たく突き放すようなアゼルの言葉。
「さっきの夢だって嘘に決まってるだろ。ただ暇だったから手慰みに描いただけだ。魔王が世界を巡って絵を描く? そんなの、嘘だろ」
閉まる扉。
鍵が掛かる音がして、さらには漆黒の壁が扉を塗りつぶしていく。
「今のお前ではそこからは出られん。せいぜいこの戦いが終わるまでそこで大人しくしていろ」
扉の向こうからアゼルのくぐもった声がイリアに届く。
「アゼル! アゼル! 扉を開けてください! あなた一人ではあの人に敵わない。死ぬつもりですか!?」
「魔王と一緒に殺されるつもりかよ。ここで死ぬわけにはいかないのは、お前も一緒だろ。──────────まああれだ、万が一俺が死ぬようなことがあれば、そこの絵の一枚くらいは貰ってくれ」
それを最後にアゼルの声は聞こえなくなる。
遠ざかっていく気配。
「アゼル! アゼルー!!」
イリアのその叫びすら、もうアゼルには届かない。
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