第148話 クロムの書庫
穏やかな昼下がり、鍛冶師クロムは今日も今日とて自分の店でとくに来るあてのない客を静かに待っていた。
普段であればあまりにも暇すぎて魔工細工の一つでも手慰みに作るのだが、今の彼には黙っていても騒々しさのタネが寄ってくる。
「クロムさんクロムさん、書庫でこんなの見つけましたよ」
現在クロムと生活をともにしているユリウスがドタドタと嬉しそうに駆け寄っていく。
「あ、ユリウスずるい。ねえねえクロムさん。私だってこんな本見つけたんだよ」
同じくクロムに預けられているカタリナもユリウスに負けじとクロムにぶつかっていく。
「おいおい、慌てなくたって
クロムははしゃぐ彼らを諭しながらゆっくりと聞き返す。
その声にはかつての彼には似合わない柔らかな優しさが含まれていた。
「この本です。『
謎に元気よくユリウスは言い切る。
「クロムさんクロムさんこっちも、『かつてありし
カタリナもクロムに縋りつくように上目遣いで聞いてくる。
「お前ら、よりによってよくそんなもんを見つけてきたな」
クロムは呆れ顔で二人の頭をなでる。
ユリウスとカタリナがクロムに預けられてから既に2週間。
とくに彼らにまかせる仕事がなくなったクロムは、二人に自身の書庫を見せてやっていた。
知的好奇心の強い二人は非常に喜び、クロムもこれで一人の時間も作れるかと思ったのだが。
二人は三十分から一時間に一回ほどはこのようにクロムのもとへと駆け寄ってきて、結局はクロムの側で読書に
「その本は子供が読んで面白いもんじゃないぞ?」
クロムは一応のことわりを入れる。
「いやいやクロムさん。そういう意味では子供向けの本なんて一冊も置いてないじゃないですか」
ユリウスがやや呆れたようにクロムに返す。
「ん、そういえばそうか」
クロムは困り顔で頭を搔く。
「そもそもクロムさんは鍛冶師なのになんであんな書庫を持ってるの?」
そういってカタリナは可愛く首をかしげる。
「ああ、そうさな。鍛冶ってのは力と経験や勘だけでやるもんじゃねえんだよ。先人の知識、知見、世の仕組み、理、それらを理解せずして本物を目指すことは難しい。その上
クロムは祖父の話に差し掛かると自慢気な表情になる。
「お~、まさかクロムさんから孫溺愛|(溺愛される側)の話が聞けるなんて」
「ねぇねぇ、それで
「ああそれな。お前らの言う
「はい、お願いします」
「まず
「古い時代? どのくらい古いの?」
「まあとてつもなく古いから具体的な年数はいえねえな。だがひとつの指標はある。それが
「その
「いや彼らもあくまで人間だったはずだ。だから
「人間って変なの。わざわざ別の呼び名を作るなんて」
「そうさな、だが彼らがそうしたのも理由がある。
「? どういうことですか?」
「つまり当時、人間には二種類あったんだよ。かつてこのハルモニア世界を統一して栄華を誇った
「え、今の人間たちは日陰者だったの?」
「ん、いやまあ、当時はそうだったんだろ。何せ現人間と
「そうなんですか?」
「分かりやすい例があれだな、二人ともそこの窓から空を見てみろ」
そういってクロムは二人を促す。
「どうだ、何が見える?」
「何って、空と……あの大きな塔だよ」
二人が見上げた先には天まで届かんほどの巨塔が建っている。
「あれはたしか『グジンの塔』って名前でしたよね。よくここの人たちはあんな物の側で生活できますよね。倒れてこないかとか心配にならないんですか?」
ユリウスは塔を見上げながら不安気にクロムに聞く。
「まあ生まれた時からアレを見てるからなあ。今さら心配などせんさ。そしてアレを建てたのがその
「え、そんなのイチから積み上げるしかないんじゃないのクロムさん?」
「そりゃそうだろうけど、クロムさんの言いたいことはそうじゃないよ。カタリナ、あれだけ巨大な構造物を建築する技術がないんだ。僕たち魔族はもちろん、今の人間たちにも」
「その通りだユリウス、あのグジンの塔がなぜ直立して立っていられるのか、なぜ何千年も倒れずにいるのか、それが誰にもわからない。今の人間の技術であれを再現しようとした場合、絶対にあの高度まで塔が積み上がらないのに加えて、仮にできたとしても必ず自重で崩壊する」
「え、そうなのクロムさん!? そう聞くと本当にいつか倒れてきそうでコワイ」
そんなもしもを想像したのかカタリナは自分の肩を抱いて身震いしている。
「安心しろカタリナ。グジンの塔が倒れるよりも、おそらく
「肉体、ですか?」
「ああ、そうだ。複数の文献で調べたところ、彼らは今の人間とは肉体の強度が桁違いだったようだな。規格が違うと言ってもいい。仮に現在の人間のHPや力、素早さなどの上限を999とした場合、
「何からなにまで10倍以上の能力差ですか」
ユリウスは口を開けて唖然としている。
「当然、上限の話だから、もちろん全ての
「でも、クロムさん。それだけ力に差があれば、今いる人間とその
そしてカタリナはクロムの言いたいことの本質をついた。
「……その通りだ。カタリナはそういうところに気付いてしまうんだな。あくまで残された書物から判断するしかないことだが、
「区別、ですか? 差別ではなく」
「さて、その定義は曖昧なところもあるが、
「一緒に生活をしない?」
「そもそも文明レベルが明らかに違うんだ。使う言葉が同じでも、使う常識、使う道具が違うならそれは異世界の存在と変わらない。とても一緒には暮らすことなどできないだろうさ」
「使う道具が、違うですか? でもそれは
「そうさなぁ、彼らの使う道具が現在の常識に沿うような物であれば、そんなこともできたのかもしれない。だがそうではなかった。それ故に彼らは自分たちが作る道具には自分たちだけしか使えないような安全機能を付随したのさ」
「安全機能? 間違って子供が使ったときにケガとかしないような?」
「子供か、だがカタリナの例えは的を射ているな。
「神を、殺す、ですか。そもそも神さまなんているんですか?」
「さてな、そこは
クロムのその問いに二人は勢いよく首をブンブンと横に振った。
「そうだろう。だから
「ふぇ~、コワイね、すごくコワイ。でもクロムさん、そんなスゴイ人たちがどうして今の時代には生き残っていないの?」
「ま、当然そこに疑問がいくよな。二人ともグジンの塔の頂上部が見えるか?」
「え? なんとか見えますけど。あれ、少し崩れてます?」
「あ、本当だ」
「実はな、あの塔はどうやら建設途中だったようだ」
「え、あれってまだ完成してなかったんですか!?」
「今でも十分すぎるほど高いのに、バカみたい。」
「馬鹿か、確かにな。だからあれは
「
「思いあがった考えだろ? まあ、
「どうやって滅んだの?」
「文献に残された言葉通りだと、『神の獣』に滅ぼされたらしい」
「神の獣?」
「ああ、天の高みにはまだ
「そんな、にわかには信じられない話ですね」
「まあな、あのグジンの塔と確かな文献が残ってなければ儂もこんなことを考えもしなかったさ。
「その神獣の力をもってしても崩れずに今なお立っているあの塔って、そう考えると恐ろしいものですね」
ユリウスは今まさに見上げる塔に違う意味での恐ろしさを感じていた。
「あれ、でもそうしたらその人たちの武器や道具は今どこにあるの?」
「さてどうだろうな。これはおとぎ話レベルの話なんだが、時代に不要された物たちはこの星の内海、『真海』と呼ばれる場所に飲み込まれていくそうだ。だからそれらのアイテムもそこに飲まれていったんじゃねえかな」
「『真海』なんて初めて聞きました。まだまだ知らないことがいっぱいですね」
「まあ今の若い連中にはなお馴染みのない言葉かもな。今ではもっぱら『ダンジョン』なんて呼ばれてるそうだからな。一度迷いこんだら二度とは出てこれないって噂は変わらんから、誰も興味本意では探さないだろうが」
「でもクロムさん、もしその
カタリナは真剣な瞳で、そんな「もしも」を問う。
「ん、そりゃそんなことはないとは思うが。たった一人であろうと常識の通じない能力を手にするんだ。世界を滅ぼす魔王だろうと、気まぐれに世界を救う英雄にだろうと何だってなれるんじゃないか。まあ、周囲の人間とはまるで肉体の性能が違うんだ。まっとうな人生を送るなんてことだけはできないだろうがな」
「そっかぁ、なんかそれはそれで可愛そうだね」
「まあ、人間の社会の中に取り残された僕たちも似たようなものだけどね」
ふと我に返ったユリウスはやや自嘲気味に呟く。
「そういや、あの勇者と魔王は
「クロムさんの子供、シロナを探すのに手間取ってるのかな。でもクロムさん、私たちはいくらでもココで待っていられるから平気だよ」
そういってカタリナはクロムの太い腕に抱き着く。
「いや、平気だよって言われてもな。まあお前らとの生活にも慣れて来たし、何が困るってわけでもないが」
「────クロムさん、シロナに、自分の子供に会いたいんじゃないんですか?」
ユリウスの刺すような一言。
それにクロムは、
「ん、まあ、お前らと散々話題に出しちまったからな。会いてえよな。会って色々話して、アイツとゆっくりと酒でも飲んでみてえわな」
はにかむように頭を搔きながら、心からの本音を漏らしたのだった。
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