第139話 アゼルの父

 夜の荒野の中で、焚き火が静かに燃え続けている。


 フロンタークに向かうことを決めたイリアたちは一刻も早く状況を知るために最短ルートをとっていた。

 その為、途中の街に寄ることもなくこうして野宿をしているのだった。


 夜の見張りは眠ることのないシロナともう一人を交代で務めることになっている。


 既にイリアとエミルは眠りについており、その側でアゼルが起きて火の番をしている。


 シロナは少し離れた場所で、周囲に気を配りながらも静かに刀の修行に励んでいた。


 そんな、イリアとエミルの寝顔を見るくらいしかすることのない中でアゼルに声がかけられる。


「ねえアゼ、……魔王」

 イリアの側に立て掛けてある、アミスアテナからだった。


「何だ、言っておくが喧嘩は買わんぞ。こいつらを起こすと後がうるさい」

 アゼルは口を開くといつも険悪になるアミスアテナへ釘を刺すように先手を打つ。


「……わかっているわよ。別にあなたに難癖つけるつもりはないわ。ただ、聞いてみたいことがあっただけ」

 他の者が眠っているせいか、アミスアテナも普段より幾分トーンの低い静かな声で話す。


「聞きたいこと? 何だ?」


「あなたの、お父さん。アグニカ・ヴァーミリオンのこと」


「!? 父……、親父を知ってるのか?」

 アミスアテナが口にした言葉に驚くアゼル。


「────やっぱり、魔王はあの人の子供なのね」


「ちっ、カマをかけたのかよ。……お前こそ何で親父を知ってるんだ?」

 少しやさぐれながらアゼルも聞き返す。


「昔、ほんの少しだけ縁があっただけよ……それだけ。それで、魔王。少しでいいから教えてくれない? アグニカ、大魔王のことを」


「────────────」

 アゼルは答えに悩む。普段の彼であればここは「冗談じゃない」と一蹴するところである。

 しかしそうするのは気が引けた。

 何故なら今のアミスアテナは、普段の高圧的な態度が嘘かと思うほど、まるで少女のようなしおらしさがあったからだ。


「何で、知りたがる。何かに利用するのか?」


「どうしても、知りたいの。……ただ、知りたいの」

 アミスアテナから返ってくる言葉は少ない。だがそれ故に謎の真摯さがそこにはあった。


「……ったく、普段のお前と違って調子が狂うな。いいか、俺から親父がどう見えたのかということしか話せんぞ」


「────うん、それで、いいの」


「…………親父は、アグニカルカの大魔王アグニカ・ヴァーミリオンは魔族にとっての英雄だ。だが具体的に親父が何を成したのかは、直接は教えて貰ったことはない。その当時のこと、つまりは俺が生まれる前、魔界で何が起きたのかを語ろうとする連中はいなかったからな。親父はその辺のことは何も言ってはくれなかった。いや、それ以前に、親父から貰えた言葉なんてそう多くはなかったよ」

 静かに、寂し気にアゼルは語り出す。


「うん」


「ただ、親父は誰よりも尊敬されてた。大人たちは尋常じゃないくらいの尊敬と畏怖を親父に向けていた。だから、親父、大魔王アグニカはとてつもない偉業を成し遂げたんだってことは想像がついた。だけどそれを誰も教えてはくれなかった。だから俺にとって親父は、何をしたかはわからないけど、とにかく凄い人なんだ」

 徐々に、アゼルにも少年のような熱がこもっていく。


「うん、そうなんだ」

 それをアミスアテナも静かに聞き続ける。

 

「俺が魔王になるのと同時に、親父とはほとんど会えなくなった。周りの連中に聞いても病気で臥せってるとしか教えてもらえない。病床に見舞いにいくことすら許されなかった。はは、魔王なのにだぜ。だからその前、魔王になるときに貰えた言葉はよく覚えている。『お前はアグニカルカの王、人間たちの敵である魔王として彼らと戦うことになる。お前はアグニカルカの民を守らねばならない。民の盾とならねばならない。だが決して、人間たちを殺し過ぎるな。彼らから……これ以上奪うな』ってな」


「──そう」


「馬鹿げてるだろ。これから魔王として重荷を背負う息子に、相手側の生死も気にしろだなんてさらに重たいモノをのっけてくるんだぜ。もっと、俺を、俺のことを見てくれてもよかっただろ」

 アゼルの言葉は徐々に自分のうちに向けてのものとなる。もはや誰と話してるのか気に留まらなくなるほどに。


「うん、ひどい人」

 だが、アミスアテナはそれも気にせずに相槌を打ち続けた。


「挙句の果てがあれだ、『自らを善と偽るな。自らの悪から目を逸らすな。自らが踏みにじった者に頭を下げるな。ただ前を向き、生涯を賭して辿り着いた場所をもってその者たちの価値を証明せよ』だよ。もうどうすればいいんだって話だろ。どうして欲しかったんだって話だろ。親父は、父上はどうして、僕に─────ッハ!」

 ここまで語ったところでアゼルは我に返る。自分は仇敵である聖剣アミスアテナに一体何を話しているのかと。


「俺は今、どこまで話した?」


「色々と語ってくれたわよ。────僕とか」


「─────!!」

 アゼルの顔が夜の暗闇の中でもわかるほどに真っ赤に染まる。


「気にしないで。あなたを弄るつもりはないから。色々話してくれてありがとう。色々聞かせてくれて、ありがと。私ももう眠るわ。今夜は、いい夢が見れそう」

 そう言って本当に眠ったのか、アミスアテナは沈黙した。


「…………くそっ、何だったんだよ」

 予想していたアミスアテナからの口撃もなく、アゼルは頭を搔く。


 思いがけないきっかけで、彼は父を思い出すこととなった。


(今どうしている、父上?)


 別れ際の父の姿が脳裏によぎる。


 その映像がいつまでも消えずに、見張りの番が交代してもアゼルは眠りにつくことができなかった。

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