第五譚:天涯波濤の英雄譚

第136話 勇者と英雄

 やあ、みんな久しぶりだね。世界の深淵を知る者、大賢者リノン・W・Wさ。


 こんにちは? こんばんは?

 いや何だっていいんだ、とにかくおはようおめでとう。


 今回、私は君たちにひとつの問いを投げ掛けたい。


 それは、「勇者と英雄の違いとは何か?」ということだ。



 まず勇者とはあれだね、字義の示す通り勇気あるものだ。


 ある困難な事象に対して自らを顧みずに一歩踏み出す者、といったところかな。



 だがここで待って欲しい。


 ただそれだけで勇者だと言うなら世の中は自称勇者だらけになってしまう。だってそこには愚かな蛮勇も含まれるし、何より人の心とはそんなに思うほど弱くはない。一歩踏み出すだけなら、実は誰にだってできるんだ。


 だとすると勇者とはいったい何か。


 仮に「世界を救う」という困難な事象が挑むべき課題だとするのなら、それを達成する、もしくはそこに挑み続ける者こそが勇者と呼べるんじゃないかい?


 一歩踏み出すだけではまだ足りない。二歩踏み出せばいいわけでもない。何歩だろうと「そこ」に辿り着くまで足を踏み出し続ける者が勇者なんだ。


 ん? 何が言いたいのかって?


 あ~、そうだね。


 歩みを、その足を止めてしまった時点でそいつは勇者でも何でもないただの人ということさ。



 さて、反して英雄はどうだろう。


 英雄、つまりはヒーローさ。


 こちらは比較的分かりやすい。


 何せこれから誰かを助ける予定があるだけのやつをヒーローとは言わない。


 英雄とはその対象の多い少ないはあれ、何かしらの良い結果を人々にもたらした者へ贈られる称号だ。


 雑な言い方をすれば結果が全てだ。


 崇高な理念のあるなしなど関係ない。たとえどんなに俗な理由であろうと構わない。

 要は救われた側が「救われた」と認識するのなら、救ったソイツは間違いなく英雄だ。


 ん? これまた何が言いたいのかって?


 はは、どんな殺戮者であれヒトデナシであれ、多くの民衆に良い結果をもたらすのならソイツは英雄だということだよ。



 ま、これが今回の「勇者と英雄」の定義だと思ってくれていい。

 もちろん異論の存在は認めるが僕は聞かない。


 だって人に話を聞かせるのは慣れているが、誰かの話に耳を傾けるなんて、ほら、実に面倒くさいだろ?



 さてさて本題はここからさ。


 今回の物語では勇者と英雄、その二つの存在の対立が浮き彫りとなる。


 ひとりはもちろん我らが勇者イリア・キャンバス。


 無欲の献身をもって世界を救わんとする勇者のかがみ


 予定調和の舞台装置。勇者というシステムの体現者。



 そしてもうひとりは孤高の英雄ラクス・ハーネット。


 我欲の邁進によって大衆を救った紅金あかがねの英雄。


 かの「飛竜落とし」にしてダンジョンからの生還者、そして旧時代パストエイジの遺児にして究人エルドラの末裔。



 そんな彼らの衝突の末に残るモノとは一体何か。



 え? それで結局お前は何が言いたいのかだって? まったく君らは堪え性がないね。


 それでは少しだけ核心に触れるとしよう。


『勇者』という言葉は時に『英雄』と同一視されるらしい。


 まあ、つまり、本当に君たちに聞きたかったことはアレだ。



 もし既に英雄がいるのなら、───────────────

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