第134話 真相

 世界が色を、時間を、音を、そして言葉を取り戻した。


 倒れ伏す夕斬りを抱き起こす。


 夕焼けのだいだいの陽によって、同じ髪色をした彼女が世界に溶けだしていく。


「──見事にモノにしたねシロナ。小さいけれど、確かに一つの世界を、シロナは斬ったんだよ」

 消え入りそうな声で彼女は言う。


 そうか、これが世界を裂く感覚なのか。だがそんなことはどうでもいい。


「────夕斬り、消えるのか? おれはもう誰の命も奪いたくないんだって言ったのはお前だろう。なのに、どうして」


「シロナは誰の命も奪ってないよ。だって私はとっくの昔に死んでるんだもん。途中からシロナも気付いてたでしょ?」


 ああ、そうだ。

 彼女がどういう存在か、分かってしまっていた。


 すり抜けてしまう剣撃、目の前にいながら感じ取ることのできない気配。

 それは、彼女が超越した聖刀の使い手だからではなく、


 彼女が既に死人しびとであるからに他ならなかった。


「本当はね、私はあの日、魔族を倒してみんなのお墓を作って、家に帰りついて、そして眠るように死んでいたの」

 こふっ、と咳き込みながら彼女は話を続ける。一秒ごとに彼女が薄くなっていく。


「だけど、みんなの心配する声で目を覚ましちゃった。すぐに自分が死んでたことに気付いたけど、里のみんなの思いを、死の摂理をねじまげてまで私を心配してくれるみんなの思いを裏切れなくて、ずっと生きたふりをしてたんだ」


 先に逝った里の者たちを思ってか、彼女は涙をこぼした。


「そのまま、いつかこの歪んだ世界の仕組みが限界を迎えるまでこの日々が続くのかなって思ってたところに、シロナが来てくれた」

 夕斬りはおれの頬に手を伸ばして、ふっと微笑む。


「おれは何もしていない。むしろ里の者たちの、夕斬りの明日を奪っただけだ」

 自分自身への不甲斐なさで、思わず夕斬りを抱く腕に力がはいる。


「シロナ、そんなことを気にしてるの? シロナはみんなを、そして私を解放してくれたんだよ」

 少しでもおれの呵責の念を払うためか、彼女は優しい言葉をかける。

 だが、────だがっ、


「魂のある者は、ただ今日に在るだけで明日を夢見ていいんだろう? おれは、それを奪ったんだ」

 そう、その事実に変わりはない。


「違うよシロナ。いつ終わってしまうかわからない世界を漂う日々を明日とは言わない。まばゆくも価値あるものを送り出せた今日こそがシロナが私にくれた『明日みらい』なの」


 ギュッとか細い腕で彼女はおれを抱き締める。

 ああ、こんな細腕で夕斬りは刀を振るっていたのか。


「大丈夫、私は消えても私の技はシロナの中に残り続けるから。『直心一刀』、多分クロムさんの仕業だね。きっとあの人は歴代の刀神の技をシロナの中に組み込んでたんだよ、私のも含めて」


「主が、そんなことを?」


「刀神はみんな、クロムさんの刀を使ってたからね。私もあの人に技を見せたことあるもん。…………ずるいよね、シロナには今までの刀神の力も宿ってるんだもん」

 彼女はコツンと自分の胸に頭をぶつける。

 その弱々しさが、いよいよ最期の時が近づいていると予感させる。


「でもおかげで、私もシロナの中に残ることができる。シロナの心に残ることができる。私は最後の刀神じゃなかった。この刀神の名をシロナに贈ってあげられる」


 自分が?

 それはなんと烏滸がましい、…………だがそれはきっと自分が向き合うべきモノだろう。

 まさにこれから身の程知らずな道にへと挑むのだから。


「ああ、夕斬り。その名を大事にする」


「だけど、ごめんね。シロナはようやく扉を一つ開いただけ。命なきモノの『ジン』を切り裂く力。シロナは次に命あるモノと向かい会わなきゃいけない。向き合った命の、その先に向けて刀を振らなきゃいけない。──そこまで見届けてあげられなくて、ごめんね」


 そっと、彼女の唇が自分のそれに触れる。


 確かに感じる熱。


 少しして彼女は離れ、はにかんだ笑みを見せる。


「夕斬り、今のは?」

 彼女の行動が頭で処理できずに聞いてしまう。



「今の? 今のはそうだね、うん、そう『仲間の証』。私たちは刀の道の高みを目指す仲間同志。────これからも、シロナの歩みを応援していくっていう証」

 夕焼けの中でなお赤く、彼女は顔を朱に染めていた。


「そうか、これは仲間の証か。ああ、ずっと忘れない」


「そう、ずっと忘れないで」

 消えゆく彼女の手をしっかりと握りしめる。

 おそらくこれが、最後の言葉になる。


「私ね、夢があったの。旅を、してみたかった。お母さんって、呼ばれてみたかった。……この夢は、もう叶わないけど──────」


 彼女は、とても幸せそうな笑顔で、


「シロナ、最期に初恋をありがとう。死んだ後に恋ができるなんて私は幸せ者だね」


 最期の言葉に、それを選んだ。



 夕斬りの想い重さが消えていく。


 彼女は笑顔のまま、夕焼けの世界に溶けてなくなった。


 自分は一歩もそこから動き出せずに、ただ時だけが過ぎる。


 とうに夕日は落ちて、世界からあらゆる熱が冷めていく。


 それでも、この唇に残った温もりだけは、いつまで経っても消えてはくれなかった。

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