第133話 忘れじの剣戟

「何故、刀を抜く、夕斬り」

 目の前の、夕陽を背にして刀を手にした少女は、なるほど刀神と呼ばれるに相応しいほどに神々しかった。


「何ってお礼だよシロナ。みんなを解き放ってくれたシロナへのお礼。といっても私は刀にしか才のないガラクタだから、シロナの悩みを斬ってあげることしかできないけれど」


「おれの、悩み?」

 自分自身でさえ正体の掴めないそれを、彼女は把握してるというのだろうか。

 いや、それよりも、


「シロナの持っている悔恨や懺悔は私にはどうもしてやれない。それはシロナが一生背負ってくべきものだから。私が教えてあげられるのは、刀の振り方だけ」


「いや、もちろんそれはありがたいが、今でなくてもいいだろう。そんなことをすれば夕斬りの身体がもたない。今は夕斬りのこれからを話すべきだ」

 そう、今は自分のことなどどうでもいい。今は彼女の、彼女にとっての一番良い道を探すべきだ。


「一緒だよ、シロナ。私のこれからをシロナに遣うって決めたの。シロナに剣を教える。それが、私にとっての最後の『これから』なんだよ」

 理解が、できない。いや、理解してしまおうとする思考に必死にブレーキをかける。


「そんなことはない。夕斬りの『これから』はお前の幸せの────」


「くどい!!」

 神速一閃、

 彼女は病人とはとても信じられない太刀裁きで言葉ごと斬り伏せてきた。


 ああ、自分が恨めしい。

 こんなときであるのに、我が双刀は寸分の狂いなく彼女の剣撃を完璧に受け止めていた。


「うん、そうこなくちゃ。シロナ」

 夕斬りは嬉しそうに笑う。


「それじゃあ、いくよ」

 そしてスイッチが切り替わったように彼女から笑顔が消え、代わりに神の名に相応しい数多の太刀筋が自分を襲ってきた。


「────っ!」

 言葉を発する余裕もない。


 相手は一刀、自分は二刀。だというのに手数では夕斬りに負けるという矛盾。


 一の太刀を打ち込む時点で既に二の太刀、三の太刀に入っているありえない挙動を彼女は実現していた。


「─────くっ!!」

 それを辛うじていなす。

 剣筋が見えているのなら、二つは自分の聖刀で受けて残りの一つは躱す。

 そうすることでしか、この窮地を脱することはできない。


「──さすがシロナ。やっぱり

 異次元の太刀筋を見せつけながら、彼女はいまだ余裕の声だ。


 呼吸を挟む間もなく次の剣撃が襲ってくる。

 いや、考えてみれば自分は呼吸の必要はないが、彼女は一体いつ呼吸を挟んでいるのか?


 そんな雑念をすぐに斬り捨て、夕斬りの刀に応じる。


 一の太刀、二の太刀を両の聖刀で防ぎ、同時にくる袈裟切りの三の太刀を半身になって躱す。


 生まれて初めて、自分を褒めたくなった。


 この神域の剣技に、自分はどうにかついていけている。


 だが、それも早計、


 まさかの四の太刀、自分の心臓、魔石核を貫く刺突が用意されていたとは。


「─────ッ!」


 自分が終わる衝撃を受け止める。


 自分は刺し貫かれたのか。それとも貫かれたと同時に吹き飛ばされたのか。


 ああ、どちらでもいい。


 刀神の、神の手にかかって終わるのなら。それは自分にはもったいない最期だ。


 いや、それよりも、彼女の手にかかって─────


「コラッ、シロナ。さっさと起きなさい。……時間もないんだから」

 当然のことのように彼女から声がかかる。


 それで自分の身体がまだ動くことに気づいた。


「─────?? 何故おれは生きている? 今ので確実に破壊されたと思ったが」


「あのねぇ。刀を教えるって言っておいて、その人を殺すなんて、私をどんな人でなしだと思ってるの?」


「だが、確かに夕斬りはおれを貫いたはずだ。その感覚もあった」


「そう、それが私の教えたいこと。シロナの覚えるべきもの。…………気付いてないだろうけど、シロナは意識して刀を止められない。その意識が生じる前に既に身体が動いている。それはね、刀の道を歩む者が生涯をかけて会得すべきもので、誰でも辿り着けるものじゃない」

 

 身体を起こす自分に彼女は言う。


「だけどシロナはその境地に辿り着く前に、もっと知っておくべきことがあったの。つまりは何を斬って何を斬らないか。刀使いであればまず一番初めに修めておくべきことがシロナはできていない」

 とても真剣な顔で彼女は自分を哀れんでくれる。


「多分シロナは誰かの為に刀を振り、誰かを真似して命を斬ったんじゃないかな。始まりに自分がなかったから、シロナの刀は迷い、そして重くなった」


 実に耳が痛い。

 本当に彼女の言う通りだった。

 主クロムの傑作たらんと刀を振り、担い手イリアに追いつかんと命を斬った。


 その果てに迷い、惑い、あげくの果てにこんなところまでやってきた。


「シロナはもう、誰の命も奪いたくないんだね」


「──ああ」

 そう、それが自分の答えだ。だが、


「だけど、何かを斬る、ということから離れることもできない」


「────ああ」

 そう、自分の生まれた意味はそこにあるのだから。


「なら、今のシロナに必要なのは斬らない心構えじゃなくて全てを斬り伏せる意思。自分の思いをもってその聖刀を手にしなくちゃいけないの」


「全てを、斬る?」

 自分には彼女の言いたいことが理解できない。

 全てを斬る意思とは一体何なのか。


「分かりにくい? そう、それなら世界を、星を斬るといい。天に瞬くあの星じゃない。世界のいしずえたるこの星を斬るの。斬れないモノに挑むことで何も斬らない結果を生む」


「星を斬る? 夕斬り、何を言っている。おれごとき小さなモノが星を斬るなど、それは挑むことすら烏滸がましいことだ」

 存在のスケールが違いすぎる。

 自分のような矮小な存在が臨んでいいことではない。


 しかし、夕斬りは真っ直ぐにこちらを見据えて、


「『燕雀の志、安んぞ鴻鵠の志に及ばざるや』これが私からシロナへの答えだよ。弱い者、小さいモノの在り方が、どうして大きいモノに及ばないって言うの? 私たち刀使いは、相手が自分より弱いから斬るわけじゃない。強いから斬るわけじゃない。お互いに対等な一つの命同士として相手を斬るの。なら、相手が世界だって星だって一緒でしょ」


「ひどい暴論だ、夕斬り。確かに刀神であるお前ならそれができるのかもしれない。だが、所詮機械仕立ての人形であるおれには到底──」


 無理だ、と自分が口にするよりも早く彼女はそれを否定した。


「違うよ。──シロナは自分で気づいてないだけで、もう私と同じ高みにいる。私の剣閃が見えるってことはそういうこと。だから、もう一からやり直すなんてできないの。そこまで登ってしまったのなら、さらに先を目指すしかない」

 それは自分にはあまりにももったいない、過分な言葉だ。



 だが、それでも、


「おれには、それができるのだろうか?」

 そこにわずかでも、光があるのなら。


「…………斬るモノを選べない剣士なんて未熟もいいとこだけど────いいよ、私が許す。シロナは未熟なままで誰よりも高いところに行っていい」


 真っ直ぐな言葉で、背中を押される。

 自分以上に自分を信じてくれる彼女が、この世に「在る」ことを諦めるなと立ち上がらせる。


「そうか、夕斬りが許してくれるなら。おれも、おれが明日に在ることを赦してやれる」

 立ち上がり、両の聖刀に力を籠める。


「不器用過ぎるよ。人は、いや人じゃなくたって、魂ある者はただ今日に在るだけで明日を夢見ていいんだ」

 夕斬りも、聖刀『蓮』に両手を添える。


「私に遺された全てで、シロナの明日を切り拓くから!」

 何も、残像すら残さず、夕斬りは消えるように踏み込んだ。


 対する自分も知覚を可能な限り引き上げて彼女を迎え撃つ。


 ここから先、彼女はまさしく刀の神となった。


 一斬、


 自分の腕が斬り落とされる。…………代わりに『色彩』が世界から斬り落とされる。


 二斬、


 胴から真っ二つに斬られる。…………代わりに『時間』の観念が斬られた。


 三斬、


 容赦なく首を撥ねられる。…………代わりに数多の『記憶』は撥ね退けられ、ここには『今』しかなくなった。


「シロナ、これが星を、世界を斬るということ。シロナを通して、私は今を斬っている」


 彼女からの言葉での教授はここで終わり。


 四斬、


 世界から『言葉』が失われる。


 五斬、


 世界から『音』が消えた。



 無音の世界、色も時間も記憶すら失われた世界で、ただ彼女と自分だけが激しい剣戟を交え続ける。


 そうか、自分は、彼女が完全に世界を斬ってしまう前に『答え』に辿り着かなくてはいけないのか。


 もはや刃をぶつけ合う音色すら、久遠に置き去りしてきたかのよう。



 確かに、確かに彼女は速く、強い。


 病弱などと嘘のよう。だが分かる。今の彼女の強さは世界からあらゆる要素を剥ぎ取ることで成立しているのだと。


 そして、自分には彼女の強さがしっかりと見えていた。


 見えるということは辿りつけるということ。


 そして時間の概念が失われたこの世界では、時間をかければ到達可能なことは、必ず実現できる。


『楓三連』

 無音の中で技を繰り出す。


 右腕、左手、左足首、

 三箇所を必ず斬り落とす剣閃が走る。


『───────────────』

 しかし、それらの軌跡はまるで霞をすり抜けるかのように彼女の肉体を通り抜けていった。


 夕斬りは、何故か優しい笑みでこちらを見ている。


 ああ、


 ああ、恨めしい。


 この世界では、時間をかければ辿り着けることなら思考すら、次の瞬間には答えに至ってしまう。


 そうか、


 そういうことなのか、


 なら、星を斬るとは、を斬るとは。



 ひとつ、ふたつ、みっつ、


 三度彼女と刀を合わせる。


 この世界での最後の思い出に、


 涙が流れたのは、きっと自分の気のせいだ。



 この瞬間、お互いの呼吸こころがひとつとなり、全く同じタイミングでお互い初見のはずの同一の技をぶつけ合った。

 


「「直心一刀じきしんいっとう!!」」


 心と心をさらけ出すような刀の交錯はわずか一瞬。

 あまりにも、あまりにも愚直な一刀にて、おれは彼女ごと世界を切り裂いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る