第132話 カグラの刀神

 夕斬りは、家の中にはいなかった。


 黄昏の中、彼女は落ちゆく夕陽を見つめていたからだ。


 その手には、彼女の愛刀が握られている。


「私ね、子供の頃からきっと長生きはできないって言われてたんだ。……そして自分でもそれを分かってた」

 夕陽を見つめながら、こちらに背を向けて彼女は語る。


「だけどそんな私にも夢があったの。里の中しか知らないから、旅をして知らない世界を巡ってみたかった。きっと長生きはできないけど、お母さんって呼ばれてみたかった。この狭い世界から私を連れ出してくれる誰かと、──恋に、落ちてみたかった」

 訥々とつとつと、彼女は語り続ける。

 全てはもはや叶わない、過ぎ去ったことだと言うように。


「なら叶えたらいい。命があるのだから、生きているのだから。全てはまだ夢で終わらない。ここから踏み出せばいい。自分が、おれが夕斬りの側にいるから。外に連れていくから」

 このままどこかへ消え去ってしまいそうな彼女を、精一杯の自分なりの言葉で繋ぎ止めようとした。


 だが、


「里長たちに、会って来たんでしょ?」

 自分の言葉に答えることなく、夕斬りは別の話を切り出す。


「そして、あの里の本当の姿を見て来たんでしょ? さっき霧が晴れたから、そうなんだろうって思ってた。」


「あれは、どういうことだ。あれでは、まるでずっと前に……」


「滅んだみたい、だったでしょ? うん、シロナの言う通り、刀神の里カグラはずっと前に滅んだの」

 本当に、何でもないことのように、彼女は語る。


「一年前、もっと前だったかな。魔族と人間との戦いが起きたでしょ? その時にこの里は襲われた。刀神を代々排出するこの里が厄介に思われたのかもね。みんな頑張って戦ったけど、みんな死んじゃった」


「では、夕斬りだけが、たまたま助かったのか?」

 一縷の希望を込めて、彼女に聞く。


「助かった? う~ん、そうだねぇ。───シロナ、私のこの家がおやしろなんだって気づいてた?」

 唐突に、彼女はまた話題を変える。


「ここはね神様を祀る社なの」


「──だが、祀るべき神はどこにもいないだろう」

 薄々と、真実に気付きながら、自分はわざと見当違いなことを言った。


「いえいえ、いるんだよシロナ。ここは刀神の里。だから、祀られていたのはこの私、今代の刀神『夕斬り』なの」

 彼女は、夕斬りはこちらへと振り向き、真っ直ぐな瞳でそう告げる。

 そこに、嘘や偽りは何一つなかった。


「刀神? 夕斬りが?」


「私には強い身体は与えられなかったけど、幸いなことに、残念なことに、剣才だけは誰よりも与えられてしまったみたい。力の強い人、脚の速い人はいくらでもいたけど、刀の腕で私に敵う人はいなかった。そして、刀神とみんなに崇められたその日から、私はここに祀り上げられてしまったの」

 何の悲哀もなく、当然のことのように彼女は言った。


「そう、なのか、」

 そんな言葉しか、返せない。


「だから、たまたま生き残ったのかと言われたけど、少し違う。あの日、私は里を襲った魔族を、一人も残らず斬った。私はこんなところにいたから気付くのが遅れて、里のみんなは死んでしまったけど。……どうも、私を守るためにわざと呼ばなかったみたい。ひどいよね、私が最初から相手してれば、里のみんなを守ることできたのに。──私の命と引き換えにだけど」

 泣きそうな笑顔で彼女は告げる。


「結局、みんなが敵を減らしてくれたおかげで、私一人が生き残っちゃった」


「だが、それならおれが話をした里長や他の連中は一体何だったんだ?」


「──不思議だよね。簡単だけど私がみんなのお墓を立てて、ここに戻って、ああ私はいつ死ぬのかなぁ、なんて思って寝て起きたら、ここを里のみんなが尋ねてくるの」


「──────────」


「『大丈夫か?』『足りないモノはないか?』『困ったことがあったらすぐに声をかけるんだぞ。』って」


「それは、──幽霊というやつなのか?」

 浅学な自分には、そんな陳腐な言葉しか思い浮かばなかった。


「そうなのかも、ね。あの人たちは独り残された私が心配で心配で、死んだことすらなかったことにして、私を気にかけてくれたのかも」


「それで、か。彼らはお前を頼むと言って消えていった」


「そう、やっぱり。…………ずっと探していたのかも。私の側にいてくれる人を。だってこんな奇蹟、ずっと続くはずないもんね」

 彼女は強く笑ってみせる。その瞬間に零れた涙から、自分は目を背けられなかった。


「─────すまなかった。自分がここに来たせいで、彼らは消えてしまった」

 取り返しのつかないことをしてしまった。そんな深い悔恨が自分を襲ってくる。だが、


「違うよシロナ、ありがとうなの。これは私がありがとうって言うべきことなの。シロナのおかげで里のみんなは正しい命の流れに戻ることができた。シロナがみんなを解き放ってくれたんだよ」

 彼女の優しい笑みが、自分を赦そうとする。


「あり、がとう。…………それで、夕斬り。これからどうするつもりだ? この里を出ていくのか、それともここで暮らすのか。どちらにしてもおれはお前の側にいる」

 強い決意のもと、自分は彼女にそう告げる。


 だが、返ってきた言葉は、予想外のものだった。


「きっと、どっちもムリだよ。それよりも刀を抜きなよシロナ。斬り合おう?」


 彼女は愛刀『蓮』を既に抜いていた。


 ああ、何故。


 夕陽に照らされる彼女と刀、真白な着物を着たその姿が、死装束しにしょうぞくに見えてしまったのか。

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