第123話 後悔の轍

「ハア、ハア、ハア、ハア、ハアッ……」


 魔族領域の薄暗い森の中を二人の影が駆けていた。


「……大丈夫かいルシュグル」

 影の一人、四天王の一角カッサンドーラ・アンブレラは肩を貸して走るもう一人の男、ルシュグル・グーテンタークを気遣う。


 ルシュグルは左手で強く右肩の傷口を押さえている。そこに本来あるはずの彼の右腕は既に失われていた。


「まあまあ、いえいえ、まあまあ? いやいや、まあまあまあまあマアマアマアマアママアマママアマ──────────何だアイツは!!!!」

 普段の冷静さを保つことなど到底できずに、彼を知る者からすれば信じられないほどの怒声があがる。


「──────────ルシュグル」

 彼女は彼の疑問に対してなんの答えも持っていない。


 彼女からしても、ほんの1時間前に浮遊城で起きたことはまったく理解の及ばないことだった。


 ルシュグルが浮遊城を使用して人間を虫けらのように潰していた真っ最中に侵入者の警報がなった。

 怪訝な表情で顔を見合わせるルシュグルとカッサンドーラであったが、その時はシステムの誤作動か人間の特攻まがいの自爆程度のことだろうと楽観した。


 しかし、いつになっても警報は鳴り止まずに、むしろ各所からの被害報告が立て続けに上がってきた。


 曰く、女が単身で攻め込んできたという。


 真っ先に勇者の存在を思い浮かべたルシュグルはすぐさま脱出手段の確保に走った。


 カッサンドーラはそれを見て情けなく思うが、その判断を否定することはできなかった。もし本当に勇者が来ているのなら真正面から戦って勝てるはずがないのだから。


 しかし時すでに遅く、指令室の扉が蹴破られる。


 そこにいたのは白銀の勇者とは似ても似つかない赤い髪の若い女だった。手にはそぐわない大剣を持っているが、どう見ても聖剣、聖刀の類ではない。


 その女を見てルシュグルは安堵と怒りの入り混じった表情をする。


 襲来したのが勇者でなかったのは朗報だが、兵士どもはこんなただの人間を追い返すこともできないのかと。


 そこでルシュグルとその女は一言二言の言葉を交わす。


 残念なことにカッサンドーラはその内容を覚えていない。何故ならその直後に起こったことがあまりにも衝撃的過ぎたからだ。


 戦いの口火はすぐに切られた。おそらくはルシュグルが女の癇に障ることを口にしたのだろう。ただの自然体で相手を苛立たせ、冷静さを失わせるのは彼の得意技だった。


 しかし、今回ばかりは相手が悪かったのだろう。女は物凄い速度でルシュグルに迫り、振りかぶった大剣でそのまま彼の右腕を断ち切った。


 起きたことが理解できずに、ルシュグルとカッサンドーラは驚愕で固まる。


 現在の常識において人間が通常の武器で魔族を傷つけることなどありえない。それは、普通の武器では魔族の有する魔素骨子を突破できないからだ。


 さらにはルシュグルは上位貴族。頂点に位置する魔王には及ばずとも「体表」と「体内」の二重の魔素骨子を有しており、勇者の持つ聖剣を例外とすれば、人間の騎士たちの聖剣ですら傷つけることが困難な存在である。


 それを今この女は、ただの「膂力」のみでルシュグルの腕を断ち切った。一体どれほどの腕力があればそれが可能だというのか。


 驚く二人とは対照的に人間の女は冷めた目でルシュグルの右肩から流れ出る血を見ている。まるで、あまりにも弱すぎて落胆したとでも言わんばかりに。


 その顔を見てルシュグルのプライドは大きく傷つけられ、彼は、迷わず逃げの手を打った。


 元々直前まで逃げる準備をしていたこともあり、赤髪の女が唖然としている隙にルシュグルは見事に浮遊城から脱出した。─────多くの魔王軍の兵士を見捨てて。


 慌ててそれに続くカッサンドーラであったが、人間の女は呆れたように眺めるだけで追撃をかけるようなことはなかった。


 浮遊城から逃げ出した二人は、地上にまだ残っていた人間の兵士たちを蹴散らしながら魔族領アグニカルカまで辿り着く。そう、例え手負いであろうと、魔族にとってただの人間など本来なら何の障害にもならないのだ。─────本来であれば。


(ちっ、何だあの人間は? 普通ではない。人間の中で脅威なのは勇者と、…………あの忌々しい魔法使いエミル・ハルカゼだけではなかったのか!?)

 カッサンドーラは横でブツブツと呟き続けるルシュグルを介抱しながら暗い森の中を進む。


(くそっ、これでは計算外だ。ルシュグルに付いていれば勝ち馬に乗れると思っていたのに。それにトリアエスの仇、エミル・ハルカゼに復讐する機会も。どうして、どうしてこうも上手くいかない!)

 そして、残してきてしまった浮遊城のことを思う。


(あそこにはまだセスナ様がいる。あの人間がセスナ様を殺せればよいが、もしあの人が生き残った場合、我々に帰る場所などない。そうなった時は、…………こいつを売るか?)

 カッサンドーラは狂人のように同じことばを繰り返すルシュグルを横目で見る。


「スススススス、ロスロスロス、コロスコロスコロス、殺ス殺ス殺ス。いやいや? そうそう? そう! そうそうそう殺すのだ! ええ、ええええカッサンドーラ殺しましょう。足りなかった足りなかった、足りなかったのです。あのような異常な人間が沸いてきたのも、奴らが、あの虫けらたちが多すぎるせいだ。ああ、ああああ、足りなかった。私には覚悟が足りなかったのです。あのゴミどもを掃除する為には犠牲を厭わない精神が必要だった。奴らをこの世から一掃することがの至上の義務。。───────────────カッサンドーラ、貴女は私の仲間ですよね?」

 いまだ出血の治まらぬ右肩を押さえながら、血走った眼をギョロリとカッサンドーラへと向けてルシュグルは言う。


(ちっ、あともう少し混乱していれば楽に事を済ませられたのに。どうする? どうする? まだセスナ様が生きている保証はない。もし死んでいればコイツの手腕でどうにか処理は着けられるだろう。だが生きていた場合は確実に我々は処刑対象だ。コイツの首を手土産に全責任を押し付けるしかないが、手負いとは言えコイツに勝てるか? 私の魔剣の能力は戦闘向きではないしネタもばれている。それに今の狂ったコイツには得体の知れない恐ろしさがある。どうする? どうする? どうする?)

 ルシュグルからの確認の直後、カッサンドーラは刹那の内に目まぐるしい思考のループを繰り返し。


 ルシュグルが、再び口を開こうとする、───その前に、


「もちろんだ。我らはたった二人残った四天王ではないか」

 自らの今後の運命を決定づける言葉を発した。


「いやいやまあまあ、そうそうそうです。まだ貴女と私がいるのですから。まだまだまだまだ人間を殺しましょう。邪魔をするものは全て殺しましょう。全て全て、全て殺してしまえばいいのです」

 右肩の痛みすら忘れたのか、狂っていながらも実に楽しそうにルシュグルは笑う。


 暗い森の中を二人の影が歩いていく。


(くそっ、どうしてこうなった?)

 

 そこには、彼女の深い後悔が足跡となって刻まれていった。

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