第121話 その、きっかけ

「──────────ん、ああ、眠ってしまっていたのか」

 クロムは微睡みから目を覚ます。


 ここ1週間ほどは二人の新しい同居人がいたこともあり、慣れない他人との生活で知らぬ間に疲れが溜まっていたのか、クロムは秘密工房の中で座ったまま眠ってしまっていた。


(誰かが、笑う、夢を見ていた気がするな)


 そう思い彼が顔を上げると、ユリウスが工房の中をあちらこちら興味津々に見て回っていた。


 秘密の工房に連れて来ておきながら眠ってしまい、悪いことをしたなと思ったクロムであったが、年頃の少年あるユリウスには一人で探索するだけで十分に楽しいようだった。


 反対に退屈を持て余していたであろうカタリナは、胡坐あぐらをかいて寝ていたクロムの脚の上にまるで猫のように丸くなって眠っている。


 これはどうしたものかとクロムは考えるが、父親を失った寂しさもあるのだろうと起こすのを躊躇う。


 カタリナを起こさない為に身動きもとれず、工房の中をウロチョロするユリウスを眺めるだけの静かな時間が過ぎてゆく。


 そこで不意に、今まで思い至ることのなかった疑問がクロムの脳裏をよぎる。


「なあ、ユリウスよ、」


「わ! びっくりした。クロムさん起きていたんですね。すみません、勝手にあちこち触ってしまって」

 怒られると思ったのか、ユリウスは少ししょげた様子を見せる。


「いや、別に叱るとかではない。お前は聡い子だから危ないことをしないのは分かっている。少し聞いてみたいことがあってな」


「?? 聞きたいことですか?」


「ああ、もう2年以上前になるか。魔族が人間領に侵攻を開始したな。あれは一体何がきっかけだったんだ?」

 200年近くに渡ってハルモニア大陸の中央、『大境界』を越えることのなかった魔王軍が何故突然になって攻め込んだのか。

 人間側の誰も知る由のなかったその疑問の根幹に、クロムは今迫ろうとしていた。


「2年前ですか。─────あくまでも僕の視点から見えたことですけど、それでいいですか?」


「もちろんだ。それで構わない」

 クロムは深く頷く。


「それでは。人間との戦いの口火が切られたのは2年前ですが、実はそれ以前から人間たちを排斥する風潮が僕らの国で広まっていたんです」


「ん? 人間を排斥する風潮? 魔族はもとより人間を排斥したがっていたんじゃないのか?」


「う~ん、どうなんでしょう。僕が物心ついたときには既にそんな状況でしたが、父は『魔王様が病床に伏せる前まではそんなことなかった。魔王様が表に出てこられなくなってから世の中の空気が変わってしまった』と言っていました。まあ、実際には魔王様はアグニカルカを出ていかれていたわけですけどね」

 少し気まずそうに笑いながらユリウスは語る。


「なるほどな、あの魔王が魔族の国から消えたことで、人間排斥の風潮が高まって人間領の侵攻に踏み切ったってわけか」


「多分、そういうことなんですかね。その時の旗頭はたがしらは四天王筆頭コールタール・オーシャンブルー卿でした。しかし父は、その裏ではルシュグル・グーテンタークが糸を引いているとも言っていました」

 ルシュグルの名前が出た瞬間、ユリウスの目が鋭く細まる。


「ルシュグル? 何だそいつは?」


「四天王の一人です。僕はこいつだけは許せない。こいつは勇者の登場によって敗走していく魔王軍において、手負いの者たちを穏健派であった父たちに押し付け、自分たちは浮遊城ジークロンドで我先にと逃げ帰っていったんだ」

 憎しみの籠った瞳でユリウスは続ける。


「負傷して足の遅い僕達の集団は大境界まで辿りつけずに、人間たちの国アスキルドに逃げ込むことを余儀なくされた。幸い勇者たちはルシュグルたちを追いかけることを優先したから何とかなったけど、でも結局はそのアスキルドで、」

 殺し、殺されるはめになったとユリウスは続けようとする。


「いや、もういい。そこまででいい。すまない、聞き過ぎたな。どれ、そろそろ腹も空いたろう。上に上がってメシの準備でもするか」

 ユリウスの闇をこれ以上広げまいと、クロムはすぐに話題を切り替える。


「ああ、もうそんな時間でしたか。そうですね行きましょうか。…………でもね、クロムさん」


 ユリウスの昏く沈む瞳を見て、一足遅かったかとクロムは嘆息する。


「できることなら僕はこの手で、アイツを地獄に叩き落としてやりたいんです」


 ユリウスの闇は広がらずとも、既に十分過ぎるほどに深かった。

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