第108話 月下の剣士

 草木生えぬ岩石地帯。


 時は既にあらゆる生物が眠りにつく深夜、空には真円の月が煌々と輝き大地を淡く照らしている。


 本来何者もいるはずのないこの空間に人影がひとつ、何を思うのかひたすらに天を見上げていた。


 短く整った白い髪、睫毛も眉も白に染まり、その虹彩のみが薄い灰色をしている。


 中世的な面立おもだち、芸術の美を思わせる唇は閉じ、裾の長い白を基調とした狩衣を着たその姿は白亜の人形のようだった。


 その腰には黒塗りの鞘に納められた二本の刀が月の光に濡れてる。



「やっと見つけたよ、シロナ」

 この、白亜の剣士ただ一人のはずの世界に、エミルの遠慮のない声が響く。


「───────────────」

 その無遠慮な声に返ってくる言葉はない。

 ただシロナと呼ばれた人影は首をゆっくりと傾け、たった一人の月世界に現れた異邦者たちへと視線を向けた。


「シロナ、聞こえますか? 私です。イリアです」

 イリアは夢かうつつかすら朧気な相手に真っ直ぐに声をかける。


「イリ────ア?」

 白亜の剣士は胡乱な瞳で、自身の記録と目の前に現れた少女との照合を行なっていた。


「なあ、コイツがお前たちの探していた剣士で間違いないのか?」

 唯一、この剣士との面識がないアゼルは、相手の掴みどころのない様子に困惑している。


「間違いないよ。まさか適当に作った魔積回路の対価でこんなドンピシャな情報貰えるなんて、やっぱり日ごろの行いかな」

 そう、イニエスタにてエミルが受け取った情報、


『ここ2週間ほどイニエスタとフロンタークを結ぶ街道から少し離れた岩石地帯で、見境なしに岩山を切り裂いている危ない剣士がいるので絶対に近づかない方がいいですからね』 


 といったものだった。


「お前の日ごろの行いに対しての対価がこれだけだったとしたら、もう少し行動を見直せ。それにイリア、お前がそんなちっこい姿だから分からないんじゃないのか? 封印を解いたらどうだ? ……もちろんそこの聖剣様のお許しがあれば、だが」

 アゼルは皮肉たっぷりにイリアの腰に帯剣してあるアミスアテナへと視線を向ける。


「─────────そうね。イリア、しゃくだけど封印を解除しておきなさい」

 しかし、アミスアテナの返答はアゼルの予想に反するものだった。


「何だ、今まで随分と封印を解くのを嫌がってたのに、今日は随分と素直だな」


「勘違いしないでよ。魔王がその姿だと話しにならないからよ」

 彼女の声には意地悪ではない、普段以上の真剣さがあった。

 

「?」

 アゼルがアミスアテナの発言の意図を読み取るその前に、


 白亜の剣士は、その姿を消していた。


 いや、それだと語弊があるだろう。


 剣士は姿を消すと同時にアゼルの前へと現れ、いつの間にか抜かれた聖刀にてアゼルの首を串刺しにしていた。


 ────もしも、エミルの白羽止めが間に合っていなければ。


 アゼルは今の一瞬の交錯で何が起きたのかを理解できず、自身の目の前で止められた刀を見つめて大量の冷や汗を流している。


「ちょっとちょっとシロナ。ロクな挨拶もなしにこれはないんじゃない?」

 エミルはアゼルの顔の直前で左手の親指と人差し指で剣士の刺突を止めている。


「…………いつからそなた達は、魔族とつるむようになったでござるか?」

 初めて白き剣士が声を発する。

 抑揚の少ない、純朴な声だった。


「こないだからだよ。って言っても、元々はイリアが連れてたんだけど」


が? 何故だ、担い手は魔族が憎いのではなかったのか?」

 剣士は幼い姿のイリアへと視線を向ける。


「い、色々と事情があったの。それに、憎いっていうのとは少し違うよシロナ」

 イリアはアミスアテナに向けるのと同じような、砕けた口調で返す。


「───────、」

 白亜の剣士、シロナは何も言葉を返さずに刀を引き、かすみのように消えて先ほどまで立っていた場所へと再び現れる。


「ねえ、わかったでしょ? あの子供たちを連れてこなかった理由が。わかったらさっさと元の姿に戻りなさい。アンタが弱いとあの子とまともに話もできないのよ」

 辛辣なアミスアテナの言葉、


「あ、ああ」


 それに、アゼルはただ頷くしかできなかった。


 アゼルにはあの剣士の挙動がまるで読み取れなかった。

 例えるならば、エミルとの戦いの初撃を受けた時に似ていた。


 ただ大きく違ったのは、そこには明確な「死の予感」があったこと。


 あの剣士、シロナは確実にアゼルの命を刈り取りにきていた。


「イリア、シロナはちょっとアタシが相手しとくから、ちゃっちゃと封印を解いときなよ。もしかしたらアタシじゃ、…………ね」

 エミルは弱気な発言をかろうじて飲み込む。

 先ほどのシロナとのわずかなやり取りで、感じるものがあったのか。


「はい、わかりました」

 イリアは素直に頷いて、いまだ茫然としているアゼルの手を引いて安全な距離まで離れた。


「───さてと、シロナはこんな何もないとこで何してんのさ? こんな、岩山に大量の刀傷をこしらえてさ」

 エミルは辺り一帯を見回してそう言う。


 月明かりのみが照らしあげるこの草木生えぬ世界、その見渡す限りにとても刀で付けたとは思えないようないくつもの深い斬撃の痕があった。


「まったく、こんなことをするためにパーティーを抜けたわけ? …………そんなの、イリアがかわいそうじゃん」


(!? エミルさんだけはそのセリフ言ったらダメじゃないですか!)

 耳に入ってきた言葉に思わずツッコミたくなるのをイリアは必死に堪えた。


 そんなエミルの、自分自身を棚に上げた発言が聞こえたのか聞こえないのか、


「────命は、どこから来てどこに行くと思うでござる?」

 唐突に、星空を見上げてシロナは語りだす。


「ん? どうしたのさシロナ。」


「命は何の為に生まれて、何の為に死んでいくでござる? ──────────拙者が切り捨ててきた命は、一体どこへ行ったのだと思う?」

 瞳に一切の感情を見せずに白亜の剣士は言葉を続ける。


「拙者は、何のために生まれ、何をするために生きているのか知っているでござるか?」

 感情の揺らぎが見えないが故に、心の奥の慟哭が聞こえてくるかのようなその問いを、



「知らん!」


 エミルは躊躇もなく切り伏せた。


「そんなもの考えてわかるわけもなし、持ってたって息苦しくなるだけの余計な荷物でしょ? まったく、しばらく見ない間にこじらせちゃって。──────────まったく、ずっとそんなことを悩んでたんだね」

 微かに、憐れむようなエミルの声音。


「同情なら不要、既に答えは得ているでござる」


「へぇ、どんな?」

 エミルは優しい声音で聞き返す。

 一年以上の顔を合わせない間に、彼が一体どんな答えに辿り着いたか知りたいと。


 そしてそれは、


「拙者は、


「………………………何ソレ?」

 完全に彼女の予想斜め上の返答だった。

 エミルは呆気にとられた表情で唖然としている。


「理解も不要でござる。これは拙者のみが弁えていればいいことゆえに」


「そう、それならアタシは深くは考えないけど。それでどう? イリアの旅に付いてくる気はある?」

 エミルは本題を切り出す。


「否、拙者はまだ修行の身でござる。何を斬るかも分からない刀を外に持ち出すわけにはいかない」

 しかし、その誘いはにべもなく断られた。


「あー、そっか。まあ仕方ないよね。嫌がるヤツを連れ出してもしょうがないし」

 エミルは実に素直にシロナの言葉を受け入れる。


「理解はありがたいでござる。─────しかしエミル、何故をとる?」

 シロナからの当然の疑問。

 勧誘の失敗を受け入れながらも、エミルは両拳を構えて戦闘態勢に入っていた。


「え、だって修行してたんでしょ? どれくらい強くなったか見せてよ」

 まるで少年のような眩しい瞳で彼女はシロナを見つめていた。



「ちょっと、エミルさん! どうしてシロナと戦おうとしてるんですか!?」

 少し離れた場所で封印を解除していたイリアが元の姿で駆けつける。


「むしろイリアがどうして、あの女が戦わないと思っていたかの方が俺は不思議だがな」

 同様に元の姿を取り戻したアゼルも、ゆっくりと歩いてきた。


「だがちょっと待てエミル、先にちょっかいを出されたのは俺の方だろ?」

 アゼルはそのまま歩みを止めずにシロナの方へと近づいていく。先ほどの虚を突かれた奇襲がよほど頭にきてるのか、片眉がピクピクしている。


「え? アゼルが先にすんの? ええ~、良いとこなのになぁ」

 エミルはそう言いながらも渋々と引き下がる。彼女がアゼルと逆の立場だったら同じことをしたと分かるからでもあった。



「おい、さっきはよくも不意を突いてくれたな」

 アゼルはシロナの前に立ちはだかり、右手に魔剣を顕現させた。


「──────────な。」

 対してシロナは腰の聖刀に手をかけて、何事か呟く。


「─────ろ、───な。」


「?? 何だ? まあいい行くぞ。」

 聞き取れなかった相手の言葉は無視して、アゼルが一歩踏み込んだその時、


「やめろ! 来るな!!」

 居合の構えから、シロナの聖刀が閃光のように煌めいた。


「あ、アゼル死んだ」

 エミルの呆然とした呟きの後、


直心一刀じきしんいっとう


 熟したリンゴのようにゴトンと、アゼルの首が地面に落ちたのだった。

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